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日本史 高校生

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STAGE A 用語チェック 旧石器文化 縄文文化 ① 氷河時代ともよばれる,約1万年前までの時代を地質学では何というか。 ② 1946年に相沢忠洋によって発見された, 群馬県の旧石器時代の遺跡名を答えよ。 ③ 旧石器時代の終わりごろ広まった, 木などに埋め込む組合せ式の石器を何と いうか。 ④ 北海道白滝や長野県和田峠などで産出される石器の原材料を答えよ。 もり ⑤ 動物の骨や角から作られた釣針や銛などを何というか。 ⑥地面を掘り、柱を立てて屋根をかけた縄文時代の住居を何というか。 ⑦ 縄文時代の女性をかたどった人形を何というか。 あらゆる自然物や自然現象に霊威を認める考え方を何というか。 ⑨ 死者の霊を恐れ, 手足を折り曲げて埋葬する方法を何というか。 農耕文化の成立と小国分立 ① 縄文晩期の水田跡が発見された福岡県の遺跡名を答えよ。 ② 石包丁による稲の収穫方法を何というか。 ③ 収穫物を保存するために作られた, 床の高い建物を何というか。 ほり ④ 戦いに備え, 周囲を濠や土塁で防御した集落を何というか。 ⑤ 九州北部で見られる, 大きな石をいくつかの石で支えている墓を何というか。 ⑥ 弥生時代の青銅製祭器のうち, 近畿地方を中心に分布するものは何か。 ⑦ 紀元57年に中国の皇帝から印綬を授けられたのは倭の何という国か。 ⑧ 江戸時代に⑦の印綬が発見された志賀島は、 今の何県にあるか。 ① ② ③ ⑤5 6 (7) ⑧ ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧8 ⑨ ⑨ 邪馬台国の卑弥呼が中国の皇帝からおくられた称号は何か。 3 古墳文化とヤマト政権 ① 古墳の形で最も重要とされ, 大規模古墳に採用されている墳形は何か。 ② 古墳の墳丘上に並べられた, さまざまな形の素焼きの土製品を何というか。 ③ 古墳時代前期・中期の石室の形状を何というか。 ④ 仁徳天皇陵とされる, 大阪府堺市にある最大規模の古墳名を答えよ。 ⑤ ヤマト政権が朝鮮半島南部に進出して求めた資源は何か。 ① 2 ③ ④ 5 ⑥ 391年にヤマト政権が交戦した朝鮮半島の国はどこか。 6 ⑦ 古墳時代後期に見られる一か所に集まった多数の小古墳群を何というか。 豊作を神に祈る春の祭りを何というか。正面 7 ⑧⑧ □ ⑩ 埼玉県・稲荷山古墳の鉄剣銘や熊本県・江田船山古墳の鉄刀銘に見られる 熱湯に手を入れさせただれたかどうかで真偽を判断する裁判を何というか。 9 10 「獲加多支鹵大王」にあたる天皇は誰か。 11 17世紀中ごろから近畿の大王の墓に採用された墳形を何というか。 12 血縁を中心に大王によって編成された豪族の同族集団を何というか。 13 豪族の政権内での地位や職務に応じて、大王が与えたものを何というか。 146世紀初めに新羅と組んでヤマト政権に反乱を起こした人物は誰か。 15 大王が日本各地に設けた直轄地を何というか。 ⑩6 有力豪族の私有地を何というか。 12 13 14 15 16 5

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現代文 高校生

文章の意味が分かりません。 単語とか調べたものの、筆者の伝えたいこと、 各段落の内容が分からないので分かりやすい言葉で教えてほしいです。 問題の解説が掲載されていないため、漢字問題以外、解説お願いできませんか?🥺 シャーペンが私の、間違っていたとこのみピンクで正解を示して... 続きを読む

off ② ひとひととして向き合い、関係を構築すること自体が稀なことだから。 ⑧ 自立した主体の確立こそを理想とする社会の中で育ってきたから。 ④他者との関係性を損なわないためには、互いに適度な距離をとることが必要だから。 ⑥ 関係だけでなく、個人の能力も自分の本質を為すものとして無視できないから。 五日 (解答番号は、第二間で【古文】あるいは【現代文】 のいずれを選択した場合でも1~35 です。) 第一問 次の文章を読んで、設問 (問1~間10)に答えよ。 ひとりの人間と、彼/彼女が最初に出会うことば 〈言語〉との関係は、自明であり必然的であるというよりはるかに、ある種 偶然と事故によって支配されている。ひとりの人間がその誕生時において引きずる言語的ケイプそのものも、すでに複雑で した経路と水をかかえている。そうだとすれば、ことばの獲得とは、生得的な関係による る種の根源的な喪失とのなかから再発見 再獲得されるなにかであることになる。そのときことばは、私たちの生地ではな なものではなく、あ く、移住地であるのかもしれないのだ。 もしそのように考えることが許されるなら、ことばは私たちの存在を根源的に決定づけるなにものかであることをやめる。こ とばと私たちとの関係のなかに、 な属関係・新有関係を前提としない、旅と移住の運動性が生まれはじめる。こ とばはそれ自体として説明されるのではなく、それが言語的な未発の意識とのあいだに保存する記憶や痛みや欲動のほうから 定義され、そのことによってことばは言語的言語外的な認識によってつねに流動の渦のなかに置き直される。 私たちはみな、自分自身の前言語的な存在のかたちを、ことばという場に住みつかせるのだ。言語を とせずに存在する自分自身というものがあって、それをあらためてことばという異土に移り住まわせる。 そのとき、われわれが な手掛かり ことばを使うという行為は、本来的にすでに移住の行為、移民の行為だということになる。私たちはそのようにして日本語の世 さらにいえば、私たちはそのようにして、日本語話者としての「日本人」へと移民した。 ブラジルでは、ればふつう 「グラフィチ」と呼ばれる。 街路の壁々に描かれた、奔放な落書きのような風刺絵。 そもそもイ タリア語で柱や壁に傷をつけて書かれた「掻き文字」を意味する考古学用語が、日常の街路の壁の落書きをさすことはと 定の業界で仲間内だけで使われる僕。 された「グラフィティ」 (Graffiti)を、そのままブラジルのポルトガル語風に発音すれば「グラフィチ」。この国の街で、グラ フィチはあらゆる通りと路地とに満ちている。消されても消されても、人々は色とりどりのスプレーをふたたび持ってきては、 知らぬ間に家々の、シャッターを呟くばかりの想像力の氾濫によって色と線で埋め尽くしてしまう。 落書きが文字だけであれば、それはふつう「ビシャソン」である。 独特の字体に、特のようなことばの断片が踊り、かぶ 文字が歌やのかたちに変容してきだし、壁の平面に陰影の凹凸が生まれ、ことばに色と風合いとかたちが備わりはじ める。俗っぽいことばや政治的なスローガンを書き連ねる(「ビシャール」=壁に落書きを描く)だけのピシャソンにまじって、 時々はっとするほど時的な数行が、うす汚れた壁面に陥っていることもある。 ブラジルのグラフィチやビシャソンの世界の豊能さを、ブラジルを訪ねるはるか以前に私がはじめて知ったのは、デニス・ テッドロックの詩集『夢の暦の日々』のなかの記述からだった。 ニューメキシコのズニ族や、グアテマラのキチェ族の口承文化 や神話の研究で知られる北米の人類学者・民俗学者テッドロックは、ブラジルのカンピーナス市に滞在して特異な詩集のコウソ ウを練っていたとき、町の落書きのひとつに印象的な詩句を発見する。彼はそのポルトガル語の詩句を、こう写し取ってい VAI-SE A PRIMAVERA QUEIXAS DE PASSAROS, LAGRIMAS NOS OLHOS DOS PEIXES テッドロックが住んでいた家からわずかに二ブロックほど離れた路地に書かれていた、このビシャソンの飛び跳ねる奔放 筆跡を想像しながら、私はすぐに(テッドロックもおそらく気づいていない) この詩句の出自を理解した。 24一般入試A問題 (2024 AG-B-1) 介護は介護する介護されるという立場が明確であり、その主体は介護される者であるため、介護される者が介護とい 関係を受け容れることを待つことしかできない。 介護する者と介護される者の間にひととひととの個別的関係が築かれるためには、それぞれが主体と客体としての役割 をバランスよく果たしつつ、対話の機会を十分に持つ必要がある。 春がゆく鳥の嘆き 涙が魚の目に (行く春や鳥啼き魚の目は mmm はしょう 「奥の細道」の矢立初めの句としてよく知られたこの芭蕉の詩句が、ブラジルの地方都市の路地の壁に優美に踊っているの 想像して、私は不思議な興奮にとらえられた。芭蕉の句が、地球の対地点にまでたどりつく三百年をこえる時の道程のなか で経験した無数の声と文字による橋の過程に携帯用の筆入れと墨壺である立」からとりだされた筆記用具によって 聖の手帖の表面に走った毛筆の軌跡が、時を超えて、南米の植民都市の街路の壁の、スプレーによる躍動する落書きへと転 写されるという、筆跡の機知に満ちたはるかなる旅程に。 このビシャソンとなった芭蕉の句において、過ぎゆこうとする「春」はもはや日本的な春の惜別の感傷を宿してはいない。 ブ ラジルの春とは、いったい植物的な陰喩として測られるものなのか、それとも生き物や食べ物の推移として感知されるものなの か、それすらもはや判然とはしない。 ここで悲しく啼く熱帯の鳥とは? アマゾン川の獰猛な魚の目に溜まる泪とは? 日本語 の Haikaiへと転生するあいだに、ひとつの文化が感情の構造として宿していた意味と感覚の図の が、ポルトガル語の 一体が破れ、異形の、しかしみずみずしい力にあふれた別種のポエジーが、一気に侵入する。 自宅の近くの壁にお気に入りの落書きを見いだしたテッドロックは、たしかにこの時の古典日本的起源を知ることはな かったかもしれない。 しかし「夢の暦の日々」という詩集が示すように、彼はブラジルにおいて経験する日常的な出来事と、そ の反映としての夢のイメージとを、彼がよく知るマヤ=キチェ族の暦の形式に置き換えられた日録のなかに書き込んでいった。 「の」の日にはじまり 「一三の死」の日で一回転する精緻なマヤ暦のなかで自らの日常と幻想とを反することで、彼は近 代世界を統べる日常の時間から離脱し、先住民の生きてきた別種の暦との連続性の感覚のなかに入ってゆく。人類学という実践 そのものが異なる時間性の境界を越えてつかのま生きる実践であり、自らがフィールドにおいて生きたはずの別種の時の充足 ふたたび近代的な時間の支配するアカデミーのなかへと回収してしまう逆説的な行為であるからこそ、人類学はつねに幻影 既存の粋を解ょうヒスコ 夢のを「詩」として、フィールドノートと民族誌の余白に分泌するほかはない。 そして、テッドロックの想像力のなか に堆積した、そうしたヨジョウとしてのポエジーの氾濫が、ポルトガル語となった芭蕉の詩句による無意識のによってうな がされたものであることは、かえって芭蕉の転生としてのビシャソンの力を示している。ハイカイは、ここでたしかに、異土に 移住して別種の「時」と季節を渡りながら、ことばと文字がたどる一つの真実の旅の道程を見事に示している。 ブラジルにおいて、俳句をブラジル時のゼンエイ的な運動へと架橋し、芭蕉の評伝的なエッセイを書いた詩人がパウロ・レミ ンスキーである。姓からも察せられるように、彼の祖父母はポーランド系の開拓移民で、さらに彼の母親には黒人の血統も流れ こんでいた。ポーランド系ムラート〈黒い混血児〉のブラジル人。 この特別のケイフの混合に、レミンスキーは大いなる誇りと を感じていたという。(中略) クリチバという日系人も多く住むブラジル南部の街に生まれ育ち、 「日本」と早くから出逢い、若いときに日本語を習 得したレミンスキーが芭蕉と出会うのは、かならずしも驚くべき偶然とは言えなかったかもしれない、とわかる。そしてポーラ ンド系ムラートのブラジル人によって書かれた、ポルトガル語による唯一の「芭蕉伝」は、やはり「奥の細道」の冒頭における 俳聖の漂泊の心持ちを伝えることからはじまる。 あのビシャソンにもあった「奥の細道」の矢立初めの旬が、ここでも引用さ れているのだ。 レミンスキーによるこの句のポルトガル語ヴァージョンはつぎのとおりである。 primavera não nos deixe pássaros chorum lágrimas no olho do peixe 実験・野心弟で (2024AG-B-3) (2024AG-B-4)

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現代文 高校生

文章の意味が分かりません。 単語とか調べたものの、筆者の伝えたいこと、 各段落の内容が分からないので分かりやすい言葉で教えてほしいです。 問題の解説が掲載されていないため、漢字問題以外、解説お願いできませんか?🥺 シャーペンが私の、間違っていたとこのみピンクで正解を示して... 続きを読む

た。 問4 傍線部 (3) 「このことを、なぜわれわれは素直に認めることができないのだろうか」とあるが、この問いに対する筆者 考えとして最も適切なものを、次の①~⑥のうちから一つ選べ。解答番号は2 ① 他者に対して心を開くことは危険を伴うことだから。 ② ひとひととして向き合い、関係を構築すること自体が稀なことだから。 自立した主体の確立こそを理想とする社会の中で育ってきたから。 ④他者との関係性を損なわないためには、互いに適度な距離をとることが必要だから。 ⑤ 関係だけでなく、個人の能力も自分の本質を為すものとして無視できないから。 upt 解答番号は、第二間で 【古文】あるいは【現代文】 のいずれを選択した場合でも1~25です。) 第一問 次の文章を読んで、設問 (問1~問10)に答えよ。 ひとりの人間と、彼/彼女が最初に出会うことば 〈言語〉との関係は、自明であり必然的であるというよりはるかに、ある種 の偶然と事故によって支配されている。ひとりの人間がその誕生時において引きずる言語的ケイブそのものも、すでに複雑で錯 した経路と水脈をかかえている。そうだとすれば、ことばの獲得とは、生得的な関係によるAなものではなく、あ ある種の根源的な喪失と離脱のなかから再発見・再獲得されるなにかであることになる。そのときことばは、私たちの生地ではな く、移住地であるのかもしれないのだ。 もしそのように考えることが許されるなら、ことばは私たちの存在を根源的に決定づけるなにものかであることをやめる。こ とばと私たちとの関係のなかに、A な帰属関係所有関係を前提としない、 旅と移住の運動性が生まれはじめる。こ とばはそれ自体として説明されるのではなく、それが言語的な未発の意識とのあいだに保存する記憶や痛みや欲動のほうから 定義され、そのことによってことばは間言語的言語外的な認識によってつねに流動の渦のなかに置き直される。 私たちはみな、自分自身の言語的な存在のかたちを、ことばという場に住みつかせるのだ。言語を な手掛かり とせずに存在する自分自身というものがあって、それをあらためてことばという異土に移り住まわせる。 そのとき、われわれが ことばを使うという行為は、本来的にすでに移住の行為、移民の行為だということになる。私たちはそのようにして日本語の世 へと移住した。 さらにいえば、私たちはそのようにして、日本語話者としての「日本人」へと移民した。 ブラジルでは、それはふつう 「グラフィチ」と呼ばれる。 街路の壁々に描かれた、奔放な落書きのような風刺絵。 そもそもイ タリアでに傷をつけて書かれた「掻き文字」を意味する考古学用語が、日常の街路の壁の落書きをさすことばへと転用 された「グラフィティ」 (Graffitti) を、そのままブラジルのポルトガル語風に発音すれば「グラフィチ」。この国の街で、グラ フィチはあらゆる通りと路地とに満ちている。消されても消されても、人々は色とりどりのスプレーをふたたび持ってきては、 知らぬ間に家々の商店の壁、シャッターを目呟くばかりの想像力の氾濫によって色と線で埋め尽くしてしまう。 書きが文字だけであれば、それはふつう 「ビシャソン」である。 独特の字体に、符牒のようなことばの断片が踊り、かぶ 文字がや虫のかたちに変容してきだし、壁の平面に陰影の凹凸が生まれ、ことばに色と風合いとかたちが備わりはじ める。俗っぽいことばや政治的なスローガンを書き連ねる(「ビシャール」=壁に落書きを描くだけのビシャソンにまじって、 時々はっとするほど時的な数行が、うす汚れた壁面に踊っていることもある。 ブラジルのグラフィチやビシャソンの世界の豊さを、ブラジルを訪ねるはるか以前に私がはじめて知ったのは、デニス・ テッドロックの詩集「夢の暦の日々』のなかの記述からだった。 ニューメキシコのズニ族や、グアテマラのキチェ族の口承文化 神話の研究で知られる北米の人類学者・民俗学者テッドロックは、ブラジルのカンピーナス市に滞在して特異な詩集のコウソ ウを練っていたとき、町の落書きのひとつに印象的な詩句を発見する。 彼はそのポルトガル語の詩句を、こう写し取ってい VAI-SE A PRIMAVERA QUEIXAS DE PASSAROS, LAGRIMAS NOS OLHOS DOS PEIXES テッドロックが住んでいた家からわずかに二プロックほど離れた路地の壁に書かれていた、このビシャソンの飛び跳ねる奔放 筆跡を想像しながら、私はすぐにテッドロックもおそらく気づいていない〉 この詩句の出自を理解した。 24一般入試A問題 (2024AG-B-1 (2024AG-B-2) ② 介護する 不十分さが解消されるため、その関係を豊かにすることに注力 介護が人間に向けられたものとなり、その人間の豊かさに寄与するものとなるためには、人間の価値を能力から切り離 で捉えた上で、介護する者と介護される者の間に心が開かれた関係が形成される必要がある。 介護は介護する介護されるという立場が明確であり、その主体は介護される者であるため、介護される者が介護とい う関係を受け容れることを待つことしかできない。 介護する者と介護される者の間にひととひととの個別的関係が築かれるためには、それぞれが主体と客体としての役割 をバランスよく果たしつつ、対話の機会を十分に持つ必要がある。 春がゆく鳥の嘆き 涙が魚の目に 行く春や鳥啼き魚の目は 巨) primavera não nos deixe passaros choram wwwwww (注) ばしょう 「奥の細道」の矢立初めの句としてよく知られたこの芭蕉の詩句が、ブラジルの地方都市の路地の壁に優美に踊っているの を想像して、私は不思議な興奮にとらえられた。芭蕉の句が、 地球の対地点にまでたどりつく三百年をこえる時の道程のなか 経験した無数の声と文字による橋渡しの過程に携帯用の筆入れと墨壺である矢立」からとりだされた筆記用具によって 俳聖の手帖の表面に走った毛筆の軌跡が、時を超えて、南米の植民都市の街路の壁の、スプレーによる躍動する落書きへと転 写されるという、筆跡の機知に満ちたはるかなる旅程に。 このピシャソンとなった芭蕉の句において、 過ぎゆこうとする「春」はもはや日本的な春の惜別の感傷を宿してはいない。 プ ラジルの春とは、いったい植物的な陰喩として測られるものなのか、それとも生き物や食べ物の推移として感知されるものなの それすらもはや判然とはしない。ここで悲しく啼く熱帯の鳥とは? アマゾン川の獰猛な魚の目に溜まる泪とは? 日本語 の俳諧が、ポルトガル語の Haikai へと転生するあいだに、ひとつの文化が感情の構造として宿していた意味と感覚の連関の統 一体が破れ、異形の、しかしみずみずしい力にあふれた別種のポエジーが、一気に侵入する。 自宅の近くの壁にお気に入りの落書きを見いだしたテッドロックは、たしかにこの詩句の古典日本的起源を知ることはな かったかもしれない。しかし「夢の暦の日々」という詩集が示すように、彼はブラジルにおいて経験する日常的な出来事と、そ の反映としての夢のイメージとを、彼がよく知るマヤ=キチェ族の暦の形式に置き換えられた目録のなかに書き込んでいった。 「一の鹿」の日にはじまり 「一三の死」の日で一回転する精緻なマヤ暦のなかで自らの日常と幻想とを反芻することで、彼は近 代世界を統べる日常の時間から離脱し、先住民の生きてきた別種の暦との連続性の感覚のなかに入ってゆく。 人類学という実践 そのものが、異なる時間性の境界を越えてつかのま生きる実践であり、自らがフィールドにおいて生きたはずの別種の時の充足 をふたたび近代的な時間の支配するアカデミーのなかへと回収してしまう逆説的な行為であるからこそ、人類学はつねに幻影 夢の残滓を「詩」として、フィールドノートと民族誌の余白に分泌するほかはない。 そして、テッドロックの想像力のなか に堆積した、そうしたヨジョウとしてのポエジーの氾濫が、ポルトガル語となった芭蕉の詩句による無意識の刺によってうな がされたものであることは、かえって芭蕉の転生としてのビシャソンの力を示している。 ハイカイは、ここでたしかに、異土に 移住して別種の「時」と季節を渡りながら、 ことばと文学がたどる一つの真実の旅の道程を見事に示している。 ブラジルにおいて、俳句をブラジル時のゼンエイ的な運動へと架橋し、芭蕉の評伝的なエッセイを書いた詩人がパウロ・レミ ンスキーである。姓からも察せられるように、彼の祖父母はポーランド系の開拓移民で、さらに彼の母親には黒人の血統も流れ こんでいた。ポーランド系ムラート〈黒い混血児〉のブラジル人。 この特別のケイフの混合に、レミンスキーは大いなる誇りと 刺を感じていたという。(中略) クリチバという日系人も多く住むブラジル南部の街に生まれ育ち、流謫の「日本」と早くから出逢い、若いときに日本語を習 得したレミンスキーが芭蕉と出会うのは、かならずしも驚くべき偶然とは言えなかったかもしれない、とわかる。そしてポーラ ンド系ムラートのブラジル人によって書かれた、 ポルトガル語による唯一の「芭蕉伝」は、やはり「奥の細道」の冒頭における 俳聖の漂泊の心持ちを伝えることからはじまる。あのビシャソンにもあった「奥の細道」の矢立初めの句が、ここでも引用さ れているのだ。 レミンスキーによるこの句のポルトガル語ヴァージョンはつぎのとおりである。 lágrimas no olho do peixe (28) (2024AG-B-3) (2024AG-B-4)

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世界史 高校生

( )で空いている所の答えを教えてほしいです

・儒家 (周代の封建秩序を理想とする) [1. こうし j: 魯の出身 家族的な愛 (孝と悌) を実践し、 [2] (人倫的な愛)を実現する[3.徳治]主義 人間にとって一番大切なのは心だよ。 人を愛することが仁なんだ。 自分がされて嫌なことは人にしたらだめなんだよ。 14. 孟子 ]: [5. 性善 もうし ]説・・・仁義による政治→王道政治 人はもともと善の性質を持っているんだ。 それが外的要因によって本性を失わないように 守り育てるために教育は必要なんだよ。 [11. ]革命: 天命が革まることで姓がる→王朝交替 禅譲 (平和的な王位交替) ←孟子の推し 放伐 (武力による王位交替) [6.荀子 ]:[7. 性悪説…礼を重視→法治主義 ○儒教の経典 人はもともと悪の性質を持っているんだ。 礼義によって本性を正さないと人格は完成しない。 だから教育が必要なんだ。 五経 : 易経 書経・詩経・ [8. 四書: [9. ]・礼記 詩集:詩経・[10. ]孟子・大学・中庸 ] ↓荀子の説を発展 ・法家 (儒家の礼にかわり、法を重視) [12. ] 秦の孝公に仕える 法による信賞必罰 [13.. ]: 荀子の弟子 『韓非子』法思想を大成 [14. ] : 始皇帝に仕える焚書・坑儒 ・墨家 (儒家の思想と対立) [15. 星 1:16 兼 ] (無差別の愛) 交利(相互扶助) [17. 非政] (国家間の戦争禁止) 孔子は家族愛って言うけどそれは差別だよ。 別愛こそ天下の害をもたらすんだ。 みんなのことを愛していたら争いは起こらないんだ。 自衛は別だけどね。 ・道家 (儒家と墨家の思想と対立) 老子: [18. 欠けているから完全になる、 空だから満ちる。 これが自然の法則なんだ。 この法則に従い、 その動きを利用することで人為をなくすことが できるんだよ。

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現代社会 高校生

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H 女工桃山時代 | 室町時代 次の問いに当てはまる語句を語群から選んで答えなさい。 かまくら めっぽう だいご ①鎌倉幕府の滅亡後、後醍醐天皇が行った天皇中心の新たな政治を何というか。 ②領内の地頭や新興の武士を家来にした守護を何というか。 にちみん ③ 日明貿易で用いられた証明書を何とよぶか。 あしかがたかうじ むろまち ④足利尊氏が開いた室町幕府で, 将軍の補佐役を何というか。 ⑤ 有力な農民を中心に, 村ごとにつくられた農村の自治的な組織を何というか。 きんゆう ⑥団結を強めた農民が, 金融業を営む商人などをおそって, 借金の帳消しなどを求 めるようになった動きを何というか。 ほそかわ やまな ⑦将軍のあとつぎ問題をめぐって細川氏と山名氏が対立し, 1467年に起こった戦 乱を何というか。 かんあみ ぜあみ ⑧観阿弥,世阿弥親子が大成した芸能を何というか。 せっしゅう すみ ⑨ 雪舟らがえがいた, 墨で自然などを表現する絵画を何というか。 ④ (5) ⑦ 歌舞伎 狂言 浮世絵 国司 大化の改新 南北朝の動乱 座 語群 応仁の乱 執権 勘合 院政 朱印状 壬申の乱 水墨画 徳政令 土一揆 守護大名 建武の新政 管領 能 地頭 | 安土桃山時代 次の問いに当てはまる語句を語群から選んで答えなさい。 ⑩ 室町幕府をほろぼした人物はだれか。 いち ① 城下の商工業を発展させるために, ⑩の人物が行った, 営業の自由を認め, 市で めんじょ の税を免除した政策を何というか。 とよとみひでよし きばん 12 豊臣秀吉が経済的基盤を安定させるために, 全国の田畑の面積や土地のよしあし を調べるなどした事業を何というか。 ⑩豊臣秀吉が, 農民や寺社から武器を取り上げた政策を何というか。 さかい ⑩ 豊臣秀吉に仕えた堺の商人で, わび茶を完成させた人物はだれか。 あづちももやま えいきょう ふうぞく 15 安土桃山時代に,ヨーロッパの文化から影響を受けて成立した芸術や風俗などを 何とよぶか。 とくがわいえやす いしだみつなり ⑩ 1600 年, 徳川家康が石田三成らを破った戦いを何というか。 10 13 14 (15) 語群 刀狩 一休 桶狭間の戦い 関ヶ原の戦い 天平文化 楽市楽座 太閤検地 豊臣秀吉 明智光秀 株仲間 千利休 南蛮文化 長篠の戦い 織田信長 (16)

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社会 小学生

このページの答え教えてください🙇‍♀️

社会 7 日本のあゆみ ② 1 ましょう。 おうにん ① 応仁の乱がおこり、 京都は焼け野原となった。 かまくら むろまち 次の各文を、鎌倉時代にあてはまるものはA、室町時代にあてはまるものはBと分けて、記号で答え ごけにん ごおん ほうこう ② 将軍と御家人の御恩と奉公の結びつきが強かった。 げん ③元の軍隊が2度にわたって日本へせめてきた。 せっしゅう すいぼくが ④ 雪舟が自然を題材とした水墨画を数多くえがいた。 2 次の問いに答えましょう。 種子島で、ポルトガル人が日本に伝えたものは何ですか。 ( ) ( 〕 (2)次のア~ウのうち、織田信長に関係のあるものを選び、記号で答えましょう。 ア ものさしますなどで土地を測量し、でき高や農民についてくわしく調査した。 農民から刀や鉄砲を取り上げた。 ちじょう こんきょち ウ安土城をきずき、天下統一のための根拠地にした。 10としたと さこく 3 江戸時代の鎖国にかんする右の年表を見て、 次の問いに答えましょう。 (1) (①)にあてはまる地名を、次のア~ウから選び、記号で答えましょう。 ア 長崎イ博多 AHOR(S) 1612年 キリスト教が禁止される国 ひらど ウ 江戸 ( ) (2)(②)にあてはまる、 キリスト教に対するきびしいと 1616年 中国船以外の外国船の来航を平戸・ ( ① )に限る |1637年 (②)がおこる いき りしまりに反対した人々の一揆を何といいますか。 1641 (3) (③)にあてはまる人工の島を何といいますか。 1639年 ポルトガル船の来航を禁止する オランダ商館を平戸から(③)に移す 本日] 4 条約改正のあゆみについて、 次の問いに答えましょう。 (1) 日本にとって不平等な条約の内容の1つで、 外国人が日本で罪をおかしても、日本は処罰できないこ とを何といいますか。 (2)1911年に不平等条約の改正が達成されたときの日本の外務大臣を、次のア~ウから選び、記号で答え ましょう。 いわくらともみ ア 岩倉具視 ふくざわゆきち こむらじゅたろう 福沢諭吉ウ 小村寿太郎 15 昭和時代に、日本軍と中国軍が中国各地で全面的に戦った戦争について、 次の問いに答えましょう。 (1)この戦争を何といいますか。 きっぷ 〕 (2)この戦争がはじまると、 国民の生活に必要な食料や衣料などは切符制や制になりました。 ( )にあてはまることばを答えましょう。 〔 ] 23

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歴史 中学生

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地理院 -0 ・地 | 日本の時代区分 次の表中の ①~⑤に当てはまる語句を答えなさい。 ①)時代 弥生時代 古墳時代 飛鳥時代 奈良時代 (②) 時代 鎌倉時代 ■世界の古代文明 ⑥右の地図中のaの川の名前を答えなさい。 ⑦右の地図中のAの文明でつくられた, 国 王のための墓を何というか。 ⑧ メソポタミア文明のおこった地域を、 右の 地図中のA~Dの記号で答えなさい。 (⑤) 時代 時代区分についてはさまざまな分け方、 考え方がある。 ここでの日本の時代区分は、 おもに政治の中心地による分け方にもとづく。 (③) 時代 安土桃山時代 (④) 時代 明治時代 昭和時代 平成時代 A 語群 縄文時代・弥生時代」 次の問いに当てはまる語句を語群から選んで答えなさい。 じょうもん ⑨地面を掘ってつくられた, 縄文時代の住居を何というか。 ⑩ 紀元前4世紀ごろ、大陸から伝わり、 当時の生活のようすを大きく変えた農業技 術は何か。 ①3世紀ごろ, 倭の女王卑弥呼が治めていた国を何というか。 語群 百済 稲作 麦作 よこ穴住居 邪馬台国 たて穴住居 だいせんこふん 1⑩3 大仙古墳に代表される, 独特の形をした古墳を何というか。 代・飛鳥時代 長江 古墳時代 ・ 飛鳥時代 次の問いに当てはまる語句を語群から選んで答えなさい。 ならぼんち 13世紀後半, 奈良盆地を中心とする地域に生まれた大きな勢力を何というか。 じゅがく ⑩ 日本列島に一族で移り住み、漢字や儒学, 仏教など, 大陸の技術や文化を伝え た人々を何というか。 すい おおきみ ⑩5 推古天皇のおい, 大王 (天皇) を中心とする政治のしくみをつくろうとした人物 はだれか。 なかのおおえのおうじ なかとみのかまたり そカ ⑩ 中大兄皇子や中臣鎌足が蘇我氏をたおして進めた改革を何というか。 てんじ ⑦ 天智天皇の死後, 皇位をめぐって起こった戦いを何というか。 聖武天皇 前方後円墳 円墳 渡来人 豪族 大和政権 聖徳太子 大化の改新 摂関政治 応仁の乱 壬申の乱 ① (2) ⑤5⑤ 7 10 11 12 (13) 15 16 17

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地理院 -0 ・地 | 日本の時代区分 次の表中の ①~⑤に当てはまる語句を答えなさい。 ①)時代 弥生時代 古墳時代 飛鳥時代 奈良時代 (②) 時代 鎌倉時代 ■世界の古代文明 ⑥右の地図中のaの川の名前を答えなさい。 ⑦右の地図中のAの文明でつくられた, 国 王のための墓を何というか。 ⑧ メソポタミア文明のおこった地域を、 右の 地図中のA~Dの記号で答えなさい。 (⑤) 時代 時代区分についてはさまざまな分け方、 考え方がある。 ここでの日本の時代区分は、 おもに政治の中心地による分け方にもとづく。 (③) 時代 安土桃山時代 (④) 時代 明治時代 昭和時代 平成時代 A 語群 縄文時代・弥生時代」 次の問いに当てはまる語句を語群から選んで答えなさい。 じょうもん ⑨地面を掘ってつくられた, 縄文時代の住居を何というか。 ⑩ 紀元前4世紀ごろ、大陸から伝わり、 当時の生活のようすを大きく変えた農業技 術は何か。 ①3世紀ごろ, 倭の女王卑弥呼が治めていた国を何というか。 語群 百済 稲作 麦作 よこ穴住居 邪馬台国 たて穴住居 だいせんこふん 1⑩3 大仙古墳に代表される, 独特の形をした古墳を何というか。 代・飛鳥時代 長江 古墳時代 ・ 飛鳥時代 次の問いに当てはまる語句を語群から選んで答えなさい。 ならぼんち 13世紀後半, 奈良盆地を中心とする地域に生まれた大きな勢力を何というか。 じゅがく ⑩ 日本列島に一族で移り住み、漢字や儒学, 仏教など, 大陸の技術や文化を伝え た人々を何というか。 すい おおきみ ⑩5 推古天皇のおい, 大王 (天皇) を中心とする政治のしくみをつくろうとした人物 はだれか。 なかのおおえのおうじ なかとみのかまたり そカ ⑩ 中大兄皇子や中臣鎌足が蘇我氏をたおして進めた改革を何というか。 てんじ ⑦ 天智天皇の死後, 皇位をめぐって起こった戦いを何というか。 聖武天皇 前方後円墳 円墳 渡来人 豪族 大和政権 聖徳太子 大化の改新 摂関政治 応仁の乱 壬申の乱 ① (2) ⑤5⑤ 7 10 11 12 (13) 15 16 17

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