明治時代になると四民平等により、平民が、かつて武士のみの特権だった名字を名乗ることができたり、徴兵令によって軍隊に加入することができました。これは武士の特権を奪っているので、士族は不満がたまります。また、地租改正に
よって農民の不満も高まります。
これに、新政府を去ることになった板垣退助や西郷隆盛の不満が結び付き、新政府へ対抗するようになりました。
このように、士族の特権をなくしたり、農民に負担をかける新政府は許せないとなり、国会を開設することで自分達の意見を聞いてほしいと思ったからです。
分からないところがあったらまた聞いてください!
回答
新政府では、明治維新で影響力をもった薩摩藩・長州藩の出身者たちが権力を独占していたため(藩閥政治といいます)、他の藩の出身者たちからの不満が高まりました。
そのため、選挙によって選ばれた者で政治が行えるよう、国会の開催を要求しました。
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