世界史
高校生

フランス革命前のフランスの政治体制は
絶対王政ですよね、けれど特権階級〈第一身分第二身分〉の人たちも、政治的権限はありましたよね??絶対王政とは王が1番という政治体制ですよね??
どいうことですか?????

回答

フランスの身分制議会、「三部会」ですね。
三部会は、絶対王政の時代は開催されていません。

15世紀以降に絶対王政が確立され始めると、三部会の意義が薄れ、1615年あたりから召集されなくなりました。

諸侯の権力が薄れ、国王の権力があらゆることに優先するようになるんですね。

ルイ16世の時代、財政破綻の危機に陥り、特権階級への課税を図りますが抵抗にあい、彼らの要求する三部会の招集を認めました。
これが、1789年のことです。170年ぶりでした。

ちなみに、この時の三部会はすぐに行き詰まり、混乱の中で、第三身分が中心となった「国民議会」に変革を遂げます。
ここから、フランス革命が始まりました。

はなまる

ルイ16世のときは絶対王政
ではないんですね!!🥺🥺
そうなると、王の立場どのようなものになるのでしょうか?元首は王ではないということですか🥺特権階級の人たちと王は政治的には同等だったのでしょうか??🥺🥺
すみません🥺丁寧な説明をしていただいたのに😂😂

はなまる

なるほど!国民議会は話し合う場で政治的権限はもってないんですね!!王は元首と思っても間違いではないですか?🥺
第一身分と第二身分と第三身分も政治的権限では、差はなかったのでしょうか?
質問ばかりすみません😂😂

はる

ルイ16世の時代は、絶対王政です!
この時代に国民議会が発足して、絶対王政が終わります。(フランス革命のはじまり)

すみません。
関係ないことまで書いたから、ややこしくなってしまいましたね💦
説明が下手でごめんなさい。

フランス革命前の、政治的特権に絞って書きます。

フランス革命前は、絶対王政です。

絶対王政は、「国王の権力が絶対」な時代ですから、王が一番です。

王が決めた政治の方針に従って、実際に行政を動かすのは、貴族になります。
貴族は、王政を支える代わりに、課税免除などの特権を与えられます。

つまり、第一・第二身分の人たちは、特権はありますが、政治的権限はありません。
(もちろん、助言などはできたでしょうが)

絶対王政が始まる前は、一定の権限がありましたが、絶対王政が始まってからは、あくまで国王が一番です。

はる

絶対王政の時代では、
貴族や聖職者は、国王の権力に依存して免税特権を認めてもらい、そのかわりに軍人や役人として国に使え、国王の絶対的権力を支えました。

政治的権力は、国王に集中しています。
第一身分=聖職者、第二身分=貴族です。
聖職者の身分が上なのは、神に直接使える身分だからです。
個人的に王に取りいって気に入られたら、発言権が増す=政治的権力を持つことはありますが、基本的に権力は王のものです。
第三身分は、何の権限もありません。

国民議会での政治的権限は、基本的に同等であると思います。
身分ではなく、主張によって党派が分かれています。
数が多い方が主流です。

第一・第二身分は王政を存続される派が多く、第三身分は身分制廃止を求める者が多かったようです。

国民議会が発足してからも、国王は元首のままです。
議会の決議を国王が拒否すれば、決議の発令はできませんでした。
そのため、最終的な権限は(王が牢獄に入れられるまでは)、やはり王にありました。

はなまる

丁寧な説明本当にありがとうございます🥺🥺何度も何度も質問すみません😂😂
世界史の授業でバスティーユ牢獄襲撃を受けて国王が、国政を国民議会に一時委任したとあるのですが、今までは、国民議会は勝手にやっているだけで政治的権限はなかったけど、国王が元首であることには変わりないけれど、国民議会にも、政治的権限を与えた
ということでしょうか?

はなまる

フランス革命後の政治的権限は
国王は元首である、
が国民議会〈第一身分、第二身分、第三身分〉も政治的権限はある、
→絶対王政ではない
ということでしょうか??🥺🥺

はる

返信はこちらにまとめますね。

バスティーユ牢獄の襲撃から、国民議会の権限が大きくなっています。それを、一部委任と書いているのではないでしょうか。
この時期、制度としては絶対王政のままです。
国民議会が、さまざまな決議を出していますが、国王は拒否もたくさんしています。

絶対王政は、立憲君主制に移行したことによって終わります。
絶対王政の終わりまでを、出来るだけ簡単に書きます。

1789年
5月 三部会が決裂

6月 第三身分が国民議会を発足

ルイ16世(以下、国王)は、議場を閉鎖するが、第三身分は従わず、集会を決行(遊戯場の誓い)

7月 国王は、しぶしぶ国民議会を認めるが、第三身分の動きを封じるため、軍隊を集める

宮廷内の強硬派が、民衆からの期待を集めていた財務総監・ネッケル(特権身分に課税しようとしていた人)を罷免する

✳︎国王は武力鎮圧に否定的でしたが、宮廷内は強硬派で占められ、国王の意向が通らなくなっています

軍隊の召集とネッケル罷免に怒った、国民議会を支持するパリ市民が、各地で暴動を起こす

7月14日 バスティーユ牢獄襲撃事件
✳︎これが、フランス革命のはじまりです

驚いた政府は、方針を転換。
・宮廷内の強硬派は国外に亡命
・ネッケルを復職させる

✳︎ここから、フランスの各都市が自治制に向かい、国民議会が実権を持つようになります。
ただし、制度としては絶対王政のままで、元首は国王のまま、最終的な権限は国王が持ちます。
国王は、武力行使で革命を抑えるべき」という保守派と国民議会の間で、板挟みです。

8月4日 封建的特権の廃止、8月26日 フランス人権宣言を国民議会が決議するが、国王は拒否

凶作による食糧の値段高騰に怒ったパリの女性が、10月、ヴェルサイユ行進を行なって国王を拘束し、パリへ連行する

国王、封建的特権の廃止と人権宣言を受け入れる。
国王一家は、事実上パリ市民の監視下におかれる。

✳︎国王は、国民議会によって様々な権限を奪われていきますが、拒否権は保持したままです。

1791年
6月 国王一家が国外逃亡を図ろうとして、失敗(ヴァレンヌ事件)

8月 革命の波及を恐れるオーストリアとプロイセンがピルニッツ宣言を発表し、ルイ16世の地位を保証しないと戦争をしかけると脅したので、ルイ16世は国王にとどまる。

9月 1791年憲法の制定
ここで絶対王政がおわり、立憲君主制へ変わります。
ルイ16世は、フランス最後の絶対君主で、フランス最初の立憲君主です。

ちなみにこれは、フランス革命の初期です。

ヴァレンヌ事件によってルイ16世が国民の支持を失ったことから、立憲君主制は長続きせず、翌年には王政が廃止され共和制へ。そこから分裂して、恐怖政治を挟んで、総裁政府の成立。さらに混乱期を経て、ナポレオンが総裁政府を倒して統領政府を樹立する。
...までが、フランス革命です。

フランス革命後は、ナポレオンによる帝政になります。しかし、また王政が復活したり、また共和制となったり、と混乱は長く続きます。
このへんは....もう、覚えるしかないかと💦

はる

教科書によっては、ルイ16世の処刑までをフランス革命というかも知れません。

どちらにせよ、絶対王政→立憲君主制→共和制の宣言→ルイ16世処刑、という流れです。
共和制は、君主を持たない政治形態ですから、共和制の宣言以降は、フランスの元首は国王ではありません。

はる

政治の実権だけを中心にまとめてみました

絶対王政
国王に権力が集中
第一・第二身分は免税などの特権

三部会の召集からの混乱
国民議会が発足して決議を出すが、国王は拒否
国王に圧倒的権力

バスティーユ牢獄襲撃事件
国民議会の権限が増す
国王の権力の方が強いが、権限を少しずつ奪われる

ヴァレンヌ事件
国王は軟禁される
国民議会が実権を担う

1971年憲法
絶対王政廃止
立憲君主制に移行

制限選挙による立法議会が政権を担う
国王は軟禁中。たまに拒否権発動。
国王は他国とこっそり共謀し、革命の転覆を目指す。

8月10日事件
国王は幽閉され、王権を停止される
立法議会が解散し、普通選挙による国民公会が成立

共和制の宣言
王政が廃止される
ルイ16世処刑

はなまる

たくさんの質問にとても丁寧に説明していただいて本当にありがとうございます🥺
とても、細いことまで説明してもらい、本当助かりました🥺🥺
とても、わかりやすくすごく助かりました😂😂最後までわからないことに熱心に付き合ってもらい本当にありがとございます🥰

はなまる

はるさんに質問があるのですがいいでしょうか??🥺🥺

はる

こちらこそ、説明が下手でごめんなさい💦
どうしても長くなってしまって。

質問、なんでしょう。
私に分かることであれば。

はなまる

質問です!!すみません🥺
ありがとうございます🥺
はるさんの説明すごくわかりやすくて、とても助かります🥺🥺

フランス革命

アンシャン・レジームのなかのブルジョワジーという、くくりがあると思うのですが、
上層市民のことをブルジョワジーといいますよね、上層市民の人たちはフイヤン派
中層市民のこともブルジョワジーといいますよね、中層市民の人たちはジロンド派
下層市民のこともブルジョワジーといいますよね、下層市民の人たちは、ジャコバン派

色々調べて、ブルジョワジーという言葉には二つの意味があるとかいてありました!
一つは裕福な市民→ブルジョワジー〈上層市民〉
二つめは フランス革命に参加していた人たち〈中層市民、下層市民〉

世界史の資料には上層市民、中層市民、下層市民をまとめてブルジョワジーと書いてありました、これは二つの意味を分けずにどちらもブルジョワジーとしたということでしょうか??

そして、世界史の授業で主にブルジョワジーがジロンド派と習ったのですが、二つめの意味のブルジョワジーとして使っているのでしょうか???

それと!ジロンド派のブルジョワ優先とはどういうことでしょうか?
この質問で言う、一つ目でも、二つ目でもないでしょうか??

はなまる

ジロンド派=中層市民もわりとお金に余裕があ あったのでしょうか??

はる

「ブルジョワジー」の定義は、時代によって違います。特に、フランス革命の頃、その意味を大きく変えました。

相変わらず長くなりましたが、頑張って読んでいただけると...😭

16〜18世期のフランスでは、アンシャン・レジームによって三つの階級に分かれていました。
(第一身分:聖職者、第二身分:貴族、第三身分:平民)

ルイ15世の時代に、農村工業が発達すると、その構造に変化が現れます。
上流市民=貴族・聖職者
中流市民=商工業者・市民
下流市民=労働者・農民

この中流市民をブルジョワジー、下流市民をサン・キュロットと呼びます。

ブルジョワジーの中には、巨万の富を蓄え、金で貴族の身分を買う者・貴族に準じる待遇を受ける者も現れました。
中流・下流市民は、身分としては「第三身分」ですが、「貧しい貴族」と「裕福な市民」の境目は、曖昧なものとなっていきました。

フイヤン派・ジロンド派・ジャコバン派というのは、いわゆる派閥のようなものの名前であって、身分の区分ではありません。

そもそも、この派閥の対立の舞台となった立法議会では、ブルジョワジーの中でも特別裕福な者にしか、参政権が与えられていませんでした。
立法議会に参加する資格がある時点で、彼らは裕福なブルジョワジー=上級ブルジョワジーです。

彼ら自身の地位ではなく、「どういう人たちから支持を受けたか」で考えると、覚えやすいと思います。

絶対王政の恩恵を受けてきた上流市民は、立憲君主派(フイヤン派)を支持

経済力があり、政治的発言力も増していた中流市民は、穏健的共和制(ジロンド派)を支持

虐げられてきた下流市民は、急進的共和制(ジャコバン派)を支持

...という感じです。

ジロンド派がブルジョワジーというのは、中流市民という意味のブルジョワジーです。
共和制にしていくことには賛成していますが、どちらかというと、ブルジョワジーとしての利益の方を優先しています。
それほど急激な体制変更をしなくても、それほど困らない人たちなんですね。

(ブルジョワジーの中でも、貴族の地位を買えるほど裕福な人たちは、フイヤン派を支持することが多かったようです)

フランス革命は、市民革命=ブルジョワ革命ともいわれますが、立法議会あたりまでの「ブルジョワジー」に、下級市民は入っていません。
しかし、ジャコバン派がサン・キュロットを扇動して起こった8月10日事件のように、革命に下級市民が影響を与えるようになってくると、「革命に参加する市民全体」をブルジョワジーと呼ぶようになっていったようです。

はなまる

上流市民や中流市民や下流市民などの、
市民とは第三身分の市民とはまた別の意味なんですね!!教科書などに書いてあってすごく混乱してしていました!!
第一身分、第二身分 →上流市民
第三身分→中流市民
    →下流市民
であってますか??
私の言っていた、上層市民とは上流市民のことでしょうか??

すみません😂😂😂理解力がなくて😂

はなまる

アンシャン・レジームのなかのブルジョワジーという、くくりがあると思うのですが、
上層市民のことをブルジョワジーといいますよね、上層市民の人たちはフイヤン派
中層市民のこともブルジョワジーといいますよね、中層市民の人たちはジロンド派
下層市民のこともブルジョワジーといいますよね、下層市民の人たちは、ジャコバン派
↑は間違っているということでしょうか??

この、上層市民や中層市民は第三身分の市民を分けたときの言い方だと思っていたのですが、違いますか??🥺🥺

中流市民=上層市民
下流市民=中層市民、下層市民ということでしょうか??

教科書などには、第一身分、第二身分=上流市民は王党派だったと書いてあり、

第三身分の、上層市民がフイヤン派だったと書いてあるのですが

はなまる

フイヤン派を支持していた、中流市民はいましたか??そうなると、教科書とも、つじつまがあうのですが🥺🥺

はなまる

上流市民→王党派
    →フイヤン派

中流市民=上層市民→フイヤン派
    =中層市民→ジロンド派

下流市民=下層市民→ジャコバン派

ということでしょうか🥺🥺😂

はる

ジャコバン・クラブをご存知でしょうか。
この頃たくさんできた、政治について討論する政治クラブです。
さまざまな思想を持つ人が集まり、国の行く末を語りあいました。

そのうちに、思想の違いから、立憲君主派の人たちが分裂します。
彼らは、国民議会を主導したラファイエット派と合流します。
これが、フイヤン派です。

つまり、ラファイエットら自由主義の貴族に、立憲君主派の第三身分が合流したのが、フイヤン派です。

フイヤン派を支持した中流市民とは、彼らのことでしょうか。

残ったジャコバン・クラブは、共和派です。
最初は穏健派が主流でしたが、そのうち急進派が主流となり、穏健派は追い出されました。
これがジロンド派です。

残った山岳派は、ジャコバン派と呼ばれました。

つまり、この3派は、もともと同じグループだったんです。
身分としては、第三身分が多数派でした。

はる

アンシャン・レジーム時
・第一身分:聖職者
・第二身分:貴族
・第三身分:平民

ルイ15世の時代に、農村工業が発達して、構造に変化が現れる。
・上流市民=貴族・聖職者(第一・第二身分)
・中流市民=商工業者・市民(第三身分)=ブルジョワジー
・下流市民=労働者・農民(第三身分)=サン・キュロット

封建的特権の廃止・人権宣言によって、アンシャン・レジームが崩壊。
・君主制を支持する貴族(王党派)は亡命
・聖職者は公務員に
=第一・第二身分がなくなる

身分制は(建前上)なくなる。
(なんとなくの分類はある。ただし、例えば上流市民の下の方と中流市民の上の方の差はないと思います)
・上流市民: 自由主義(革命賛成)の貴族と特に裕福な市民=上流ブルジョワジー
・中流市民=普通のブルジョワジー
・下流市民=貧困層=サン・キュロット

制限選挙で立法議会が成立。
・ものすごく裕福(上流ブルジョワジー)しか参政権がない。
・貴族の特権を、上流ブルジョワジーの特権にするための議会。
・ヴァレンヌ事件で国王の権威が失墜したので、共和派が増える

フイヤン派vsジロンド派

フイヤン派=立法君主派=上流市民の支持が多い
ジロンド派=穏健な共和派=中流市民の支持が多い

ジロンド派内閣が戦争に負けまくって不満爆発。
ジャコバン派がサン・キュロットを扇動して暴動を起こす(8月10日事件)

ジャコバン派=急進的共和派=下級市民(サン・キュロット)が支持

立法議会解散。
普通選挙による国民公会が成立。
共和制に。

...という流れです。

王党派は、第一・第二身分ですが、革命時にほとんどが亡命したため、アンシャン・レジーム崩壊後に上流市民に入れるべきか、難しいところです。

ジロンド派にしろフイヤン派にしろジャコバン派にしろ、もとはジャコバン・クラブという一つのグループですから、彼らの中に上流市民も中流市民も下流市民もいます。

あくまで、考え方の違いです。
支持層が違うだけです。

はる

ちょっと訂正💦
立法議会の議員は上流市民だけではないですね。
裕福な中流市民の議員もいます。
不動産を所有して直接税を払っていれば、参政権がありました。

上流と中流の区別は、ちょっと曖昧ですね💦

はる

ジャコバン派・ジロンド派は、中流市民が多数を占めていたようです。

はる

自分でもよく分かんなくなってきたので、図にまとめてみました。
ちょっと思い違いをしていた部分もあるので、訂正も含めて。

字が汚くて、読みづらくてごめんなさい💦
自分の字が嫌いなので、後で消すと思います💦

はる

追加

はなまる

図まで書いていただいて本当にありがとございます😊😊
とてもわかりやすいです🤍🤍

はなまる

本当に質問ばかり、すいません!!
中流市民のブルジョワ中心のブルジョワとはどういう風に解釈すればわかりやすいですか??🥺🥺

はる

どういった文脈で出てきた言葉なのかが分からないので断言は出来ませんが、「この頃のブルジョワを、中流市民のブルジョワが主導していた」という解釈でいいんじゃないでしょうか。

国民議会は、フイヤン派が主導しました。
フイヤン派は、上級ブルジョワジー中心です。
ですから、「国民議会の時代のブルジョワ」=「上級ブルジョワジー中心」です。

立法議会になってしばらくすると、ジロンド派が主導するようになります。
ジロンド派は、中級ブルジョワジーが中心です。(中流市民のブルジョワと同義語と考えていいと思います)
なので、「立法議会になってからのブルジョワ」=「中級ブルジョワジー中心」です。

国民公会になってから主流となるのは、ジャコバン派です。
彼らは中級と下級ブルジョワジーを中心としていて、サン・キュロットの圧倒的な支持を受けました。

ジャコバン派は、王党派やフイヤン派を弾圧し、その多くはギロチンにかけられたり、亡命したりすることになりました。
つまり、上級ブルジョワジーが国内にほぼいなくなったということです。
「国民公会になってからのブルジョワ」=「革命に反対する市民(ブルジョワ)」です。

フランス革命では、ブルジョワジーの定義がどんどん変わっています。
「○○のブルジョワ中心のブルジョワ」とあったら、この頃のブルジョワは、○○が主流だったんだな〜くらいの解釈でいいと思います。

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