歴史
中学生

日米和親条約と日米修好通商条約は結んだ人はそれぞれ違うのですか??

回答

この流れを覚えておこう!
1853 年ペリーが浦賀(日本)に来航。そして条約を結ぼうと言って日本が1年待って、と言って1854 年に老中首座の阿部正弥が日米和親条約を結んだ。その2年後にハリスが日本に来航して、自由貿易を結ぼうと言ってきた。日本は、2年待って、と言って1858 年に幕府の許可なしに井伊直弼が日米修好通商条約を結んだ。

日米修好通商条約は、日本にとってとても不平等な条約だった。井伊直弼は、結びたくなかった。だが、アメリカに逆らったら戦争が起きて日本は、絶対に負ける。だから井伊直弼が結んだ。決して悪い行為で結ぼうとしたわけでは、無いのです。そして条約をした井伊直弼を責めるものを安政の大獄で井伊直弼が処罰し、それに怒こったその藩の浪士たちが桜田門外で変で井伊直弼を暗殺しました。

安政の大獄で処罰されたテストでよく出る人
・吉田松蔭

あくまでも僕の覚え方です!!

リュウ🌍

ちなみに、日米和親条約を結ばせたアメリカの人がペリー!日米修好通商条約は、ハリスです!

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