国語
中学生

孔子が生きていくうえでの物の見方や考え方について教えてください。

中国

回答

孔子は紀元前551年(または552年)に、今の中国の山東省のあたりにあった魯(ろ)の国に生まれますが、父親は早くに亡くなり、貧しい母子家庭で苦労して育ちます。

母親は巫女であったとされ、当時の身分社会の中で後ろ盾がないまま、成人してからは自らの力で人生を切り開いてゆきます。下級役人から徐々に出世して政界に入りますが、若い頃から高い知性とカリスマ性もあったことから、孔子のもとには門弟がたくさん集まりました。

しかし50代の時に政治で失脚して亡命することになり、13年間諸国を遊説して歩きます。69歳で祖国に戻りますが、政界に返り咲くことはなく、74歳で他界するまで門弟を教え、私塾を開いて弟子を育てました。

孔子には3千人の弟子がいたともされ、高い人間性に加えて強いリーダーシップも備えていました。また外見的にも身長が2メートルに近く、スポーツマンであったとともされていることから体格もよく、理想のリーダー像を地で行くような人だったことが想像できます。

また孔子は結婚し、子供も設けました。しかし孔子よりも子供が先に亡くなったことはわかっていますが、家庭生活について詳しいことはあまり伝わっていないようです。

そのようなことから、孔子の人生は表舞台に立って活躍した生涯というわけではありませんでしたが、苦難の連続が孔子の人間性にさらに深みを与え、孔子の言行録である『論語』が二千五百年の時を超えても色あせない、人生の本質を語ったものであることのゆえんではないでしょうか。

【子曰く、学びて時に之を習う、またよろこばしからずや。朋あり遠方より来る、また楽しからずや。人知らずしていきどおらず、また君子ならずや。】
師がおっしゃった。学問を続け、何度も復習すれば学んだものは自分のものとなって喜ばしいことだ。さらに近くの友だけでなく、遠方からも訪ねて来て語りあうことは人生の楽しみである。また学問が成就して世間に認められなくとも怨んだり咎めたりしない人を立派な人というのだ。

この句は『論語』の最初の一節です。人の道を学問によって学ぶことで人生が充実することこそ最大の歓びであるとする、孔子の人生におけるテーマを語ったものです。

【古きを温めて新しきを知る、以て師と為るべし。】
古くからの教えを学び、そこに新しい解釈を得るのがよい。それができれば人を教える師となることができる。

よく知られた「温故知新」の出典となった言葉です。孔子は学問の大切さを繰り返し弟子に伝えており、ここでは温故と知新という学びのポイントを説いています。

【過ぎたるは猶お及ばざるがごとし。】
ゆきすぎることはやり足りないことと同じようによくないことだ。

こちらも「過ぎたるは及ばざるがごとし」の故事成語で有名な言葉です。孔子の大切にしていた「バランス感覚」である「中庸(ちゅうよう)」を説く言葉です。「中庸」の概念も孔子の思想の核にあるものです。

【まとめ】
今から二千五百年前に生きた「孔子」の思想には、「仁」という思いやりを核として、学問を続けることの大切さや楽しさが根底にありました。古くからその思想は日本にも大きく影響を与え続けています。

また近年は、『論語』をリーダー論として読む人が多くなっています。孔子のような、まっすぐで強いリーダーは不在だということかもしれません。

良ければこちらのサイトもどうぞ

https://biz.trans-suite.jp/7632#i-2

https://matome.naver.jp/odai/2142957655771053301

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