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戦争中、終戦直後のなごりで食糧管理制度(全ての国内産コメを政府が一定価格以上で全量買い取っていた)の下で、農家はコメさえ作っていれば生活が安定したので、60年代後半にはコメが余って余ってどうしようもない状態になっていました。そこで1970年代にコメの生産を抑制する政策に出たのが減反政策です。米作地になっていた農地には麦や豆、牧草、園芸作物等を作付ける(転作)ことを奨励し、協力農家には転作奨励金が支払われるという導きがあったために小麦などの生産が伸びました。その後の増減については説明が長くなるので割愛します。ダメですか?

@??

なるほど!詳しくありがとうございます🙇‍♀️

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