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第一次護憲運動・・・1912年
長州閥の桂太郎が組閣したため、これに反対する「尾崎行雄」「犬養毅」らが、憲政擁護会を作り「閥族打破・憲政擁護」をスローガンとして倒閣運動を起こしました。
全国各地では、憲政擁護大会が開かれるようになり、桂内閣に反対する暴動が相次ぎ、最終的に、桂内閣は総辞職することに
なります。これは、明治憲法の下で、国民によって内閣が倒された唯一の例です。
第二次護憲運動・・・1924年
清浦奎吾内閣(きようらけいごないかく)が貴族院を中心に成立すると、憲政会・政友会・革新倶楽部の3派(ぱ)が政党政治を主張して対抗し、加藤高明内閣を実現しました。