江戸幕府です。
将軍は1回目は12代目の徳川家慶で2回目は13代家定でした。
あまり知られていませんが、ペリーは2回来航しています。一回目は大統領からの国書(手紙みたいなものです)を渡し、その時は、1年後にまた来ると言って帰っていきました。
約半年後にペリーは再び来航しました。
どうして1年後じゃなかったのか疑問に思うかもしれませんが、ちょうどそのころ家慶が亡くなり、日本が混乱していたので、ペリーはその隙にやってきたというわけです。
2回目の来航で日米和親条約を結び、鎖国が解かれました。
ただしどちらも将軍は病気を患っており決めたのは老中などです。
江戸幕府が勝手に鎖国を解いたことに対して、朝廷から不満が出て、それが明治維新につながったともいわれます。
2回目の来航で日米和親条約をむすんだのですね!
とても分かり易かったです!
有り難うございました!