引用です。
彼は若い時に、熱心な門徒(浄土真宗)であった父の下で妙法蓮華経(法華経)に触れ、深い感銘を受ける。その後、一時はキリスト教会に出入りしたりもするが、最終的には父親の反対をよそに、法華経をより重視する日蓮宗系の、それも田中智学の国柱会という、当時の日本の対外侵略政策を思想的に支えた国粋主義的な宗教の熱心な信者となった。しかし、彼の作品から読み取れる宗教観は、全く国粋主義的ではない。それでもなお、全体主義(トータリズム)的な感じはぬぐえない。例えば、彼の『農民芸術概論綱要』に、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という有名なフレーズがある。これが、「世界がぜんたい幸福にならなければ」となっていたら、全体主義そのもので個人は否定されてしまうわけであるが、少なくとも賢治にとって個人は、全体(彼にとっては皇国日本ではなく4次元銀河宇宙)を構成する細胞に過ぎないという意識が濃厚である。これは、『銀河鉄道の夜』を読んでも感じられることで、キリスト教の自己犠牲にも似ているが、仏教的な輪廻転生の世界も感じさせる。
引用終了
つまりは、父のいた宗教で法華経に触れ、心をうたれた。なので法華経をより重視する宗教へ入ったためです。
おそらく農業関係者なのは農業系の学校を、卒業したからと言うのもあるのでは無いでしょうか?