数学は専門でないので厳密さを欠くかもしれませんがご容赦を。
通常の意味では、複素数の世界でもフィボナッチ数列の値は全て実数で、その無限和は発散します。
ところで、関数の定義域を拡張する解析接続という手法を用いると、無限和で表せる関数を定義域の外まで「拡張」することができます。
・ある無限和で表せる関数f(x)があり、領域D内で定義されている。Dの外ではfに値はない(定義されない)。
・ある閉じた式で表せる関数g(x)があり、領域D内ではfとgの値は一致するとする。
・このとき、Dの外のxについてf(x)は定義されない無限和だけれど、形式的にf(x)の無限和の形とg(x)の値をイコールで結んで書くことがある。ここでのイコールは「ある意味、こういうふうにも解釈できる」というような、なんだか怪しげな話なんですが、関数に正則という属性がある場合、こうやって拡張していった関数は複素数全域で一意に決まってしまうという性質があります。sinxやe^xといった初等関数を複素数にまで拡張するのにこの方法が使われています。
さて、関数1/1-x-x^2はx=0のまわりで級数展開すると次のように書けます:
1/1-x-x^2=1+x+2x^2+3x^3+5x^4+8x^5+
ここで右辺の係数はフィボナッチ数列になっています。右辺の無限和はaが0の近傍でないと定義されませんが、左辺は1-x-x^2=0となる点以外で定義されて、左辺は右辺を拡張したものとみなせます。ここで考えると、形式的に-1= 1+1+2+3+5+8+13+…。となります。右辺はフィボナッチ数列の無限和になっています。
この解釈ですが、個人的には「無限和」の意味が変わったと考えるのが良いのかなと感じてます。通常の無限和は、有限のn項までの和のnを限りなく大きくしていった時の極限として定義されます。この意味ではフィボナッチ数列の無限和はどうがんばっても-1にはなり得ません。しかし、この定義も、「うんと大きいけれど、有限のn」から「無限」へのジャンプがあるんですよね。このジャンプを数列の収束という規則でもって乗り越えているのが通常の定義ですが、解析接続による形式和においては、無限和と有限和はやっぱり相容れない別もので、収束範囲で両者が一致していただけだった、とも解釈できるんじゃないかなと思います。
ありがとうございます!!
だいぶ理解出来ました