参考までに、
第1次世界大戦は1918年11月に休戦状態に入ります。休戦状態から戦争の終結のために講和条約の締結が必要なので、そのための会議がパリ講和会議で、1919~20年まで開かれました。
パリ講和会議の主役であるアメリカ合衆国がヴェルサイユ条約を批准せず、その結果国際連盟に加盟もせず、戦後の国際政治体制から外れました。さらに、パリ講和会議では話題にならなかった重要問題を解決するために、アメリカのハーディング大統領の呼びかけで1921~22年に行われたのがワシントン会議です。ワシントン会議の焦点は、アメリカの海軍力増大、日本の西太平洋海域への勢力拡大にともなう国際関係の緊張増大でした。結果として、海軍軍縮条約により主力艦のトン数を英5:米5:日3とすること、9カ国条約によりアメリカの対中国政策である「門戸開放政策」を主要国に認めさせること、4カ国条約で、英、米、仏、日は太平洋の軍事的防備の現状維持を認めることになります。
したがって、パリ講和会議は第1次世界大戦後の「ヨーロッパの安全保障」がテーマであり、ワシントン会議は「東アジア・太平洋地域の安全保障」がテーマであったわけです。したがって、第1次世界大戦後の国際的枠組みを「ヴェルサイユ・ワシントン体制」といいます。
知恵袋からでした。