世界史
高校生

ベルリン会議でアフリカの土地先占権が認められたのに、イギリスは南アフリカ戦争を起こしましまよね…😶?

ほかの国から批判等されなかったのですか?

回答

今質問拝見しました。長くなりますが…
背景を整理するとイギリスはウラービーの反乱を鎮圧したあと事実上エジプト保護国化とし、イギリスのスーダン進出に対してマフディーを称するムハンマド=アフマドはイスラーム教徒を率いて反英抵抗運動(マフディーの乱)を起こします。鎮圧には苦労したもののやがて鎮圧されスーダンはイギリスとエジプトの共同管理となりました。なお、この反乱の鎮圧には太平天国の乱で常勝軍を率いて活躍したゴードンが指揮をとりましたが、マフディー軍との戦闘中に戦死してしまいます。
その後!
ウィーン会議の結果、イギリス領となったケープ植民地では、オランダ人の子孫のブール人が北に移動してトランスヴァール共和国とオレンジ自由国を建てました。両国でダイヤモンドと金が発見されたためにケープ植民地首相であったセシル・ローズはこれに注目し、北進する政策を採用。これによって植民相ジョゼフ・チェンバレン指導による南アフリカ戦争が勃発しイギリスが両国を併合します。この結果、ケープ・トランスヴァール・オレンジ・ナタールからなるイギリス自治領として南アフリカ連邦が成立しました。
このことはブール人に強い不満の感情を芽生えさせたが不満を和らげるためにアパルトヘイトという政策を出しました。
また、フランスやイタリア、ドイツもアフリカを巡って侵攻していました。だから、批判というよりかはみんなで取り合いみたいな感じになっていたと思います。その話はイタリア=トルコ戦争、アドワの戦いなどにも繋がってくるので自分の資料集、テキストで復習するのがベストです!
また、ここの年号は全て覚えてください。最重要なので。
長々ごめんなさい。

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