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江戸時代は朱子学が御用学問です。朱子学には大義名分論という考え方があり、この考えは簡単に言えば、
【王は王として正しい政治を行い、下々の者は自分の立場をしっかりとわきまえて慎ましく生活すれば世の中は正しく治まる】
こんな考えです。身分制社会を肯定する内容です。なので、江戸時代は下々の身分の人が、上の立場の人間に逆らう事は大変に許されない事です。
しかし農民にも、この代官は年貢を着服しているとか、農村で乱暴狼藉を働くヤバい奴だとか訴えたい事は当然出てくるものです。なので17世紀中頃ぐらいまでは義民と呼ばれる代表者が、自分の身の安全は顧みずに訴えを出して村民を救う事例があったと言われています(農民達の願望で作られた架空の存在とも言われる)
ただこれでは勇気のある人間が犠牲にならないといけないので、17世紀後半からは農民達が団結して一揆を起こす形態へと変化していきます。その際にリーダーが分かるように書くと結局代表者が犠牲になってしまうことが変わらないので、誰がリーダーか分からなくするために、どの順番で書いたか分からないような円形の署名(唐傘連判)をしたということです。
その前の慣習が分からないと確かに疑問に思いますよね、こちらも勉強になりました
当然一揆を起こす際は村の中のリーダー格の名主層が中心ということになります。
リーダーを守る為というよりは、赤信号みんなで渡れば怖くない戦法です
最後までご丁寧にありがとうございます 🙏⸝⸝ ꙳
丁寧な回答ありがとうございます ᐡ ̳ᴗ ̫ ᴗ ̳ᐡ♡
ところでなんですが , このからかさ連判状は誰の立場で作成するものなのですか .. ?
一揆のメンバー達が作ったもので , リーダーを守るため的なニュアンスで解釈してもよろしいでしょうか ➰😶 .+