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戦後恐慌と昭和恐慌は同時に起こったのか分かりません💦昭和恐慌の中に戦後恐慌や金融恐慌が含まれているのでしょうか?
わかる方いたら教えて下さい!🙏🏻︎

歴史 昭和時代

回答

✨ ベストアンサー ✨

そもそも恐慌とは何かという話からになりますが、
恐慌とは景気の波(良い時と悪い時を繰り返してる)がある中で景気後退の場面で何らかの事が原因で突発的に景気が落ちこみ、その落ちこみ具合は普段の景気悪化時より激しく、そして底を割りしばらく経てば基本的には回復するのが景気ですが、底を割っても暫くの間景気回復の見込みがたたない。こんなものを恐慌というわけです。

じゃあ戦後恐慌とは何で起こったのかという話ですが、至ってシンプルです。戦後恐慌は大戦景気の反動です。
大戦景気はヨーロッパがアジアの市場から撤退して、そこに対しての輸出が増えたことや、世界的な船舶不足による造船業・海運業の好景気、戦場にならなかったことで同じく好景気になったアメリカへの輸出拡大、戦地への軍需物資の輸出などで未曾有の好景気が訪れたわけですが、大戦が終わり、ヨーロッパが再度アジアの市場に帰ってきて、軍需物資の需要も無くなり、生産過剰の状態になった日本はあっという間に貿易赤字になり、それを見た投資家がまずいと悟って、株の投げ売りを始めたことで、戦後恐慌は発生しました。
一旦は鎮静化したものの、その数年後の1923年に関東大震災が襲い、東京横浜地区が大損害を受けます。
大戦景気で成立した京浜工業地帯も壊滅状態になります。当時の国家予算が約150億と言われる時代に、45億近い損失があったと考えればとてつもない被害だったことがわかると思います。そしてこれによって銀行は震災手形という名の不良債権を大量に抱え込むことになります。(震災手形と不良債権については長くなるので後述)

そして1927年大正が終わり昭和が始まってすぐの時、事件が起きます。
当時与党であった憲政会の第一次若槻禮次郎内閣の大蔵大臣の片岡直温が失言をしてしまいます。
それは震災手形の処理法案の審議中に、
「震災手形を早めに処理しないといけない、何故なら今日正午頃東京渡辺銀行が破綻するに至ったからである」
という趣旨の説明をし、実際にはまだ破綻していなかった銀行を、日本の財政政策家のトップである大蔵大臣が帝国議会という公の場で破綻したと説明してしまったが故に、本当は潰れていなかった渡辺銀行は本当に潰れてしまい、更には震災手形を大量に抱え込んでいて経営不安が元から噂されていた中小零細銀行でも次々に取付け騒ぎが発生し、これによって金融恐慌が発生します。
結果的には金融恐慌は鎮静化しますが、この恐慌は尾ひれを引くことになり、結果的には昭和恐慌の遠因にもなったりはします。ただ昭和恐慌と解説した3つの恐慌は同じものではありません。

震災手形と不良債権とは
不良債権は銀行が元々企業から回収するはずだったお金が回収できず、持っていた手形(一定期間後にお金を払うことを約束した証券)から回収出来なくなったものを言います。震災手形は関東大震災によって発生した不良債権という考えで良いでしょう。

平凡ちゃん

詳しく説明していただき助かりました!ありがとうごさいます✨

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