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サン・ステファノ条約とベルリン条約は別のものです。サン・ステファノ条約は、1878年3月に露土戦争の講和条約として結ばれており、セルビア、モンテネグロ、ルーマニアなどのスラブ系民族国家のオスマン帝国からの独立や、ブルガリアをロシアの保護国とすること、ロシアのボスポラス、ダーダネルス両海峡通過を承認することが取り決められました。しかし、バルカン半島におけるロシアの拡大、また、ロシア艦隊がボスポラス、ダーダネルス両海峡を通過することに、世界各地に植民地をもつイギリスやフランスから強い反対がありました。そこで、ドイツのビスマルクは、列強間の勢力均衡を図り、1878年7月にベルリンで国際会議を開きました。そこでは、セルビアなどのスラブ人国家の独立の承認、ブルガリアの範囲を縮小、ボスニア・ヘルツェゴビナをオーストリアが併合することなどが定められました。これをベルリン条約と言います。結果的にロシアは勢力圏が縮小されたばかりか、ボスポラス、ダーダネルス両海峡を通過できなくなったのです。この会議により、ドイツの国際的発言権が高まりました。一方、オーストリアに併合されたボスニア・ヘルツェゴビナはスラブ人が大多数であり、ゲルマン主体のオーストリアの支配に対する市民の反対運動起きました。それは1914年にサラエヴォ事件という結果を招き、第一次世界大戦を引き起こしました。

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