世界史
高校生
解決済み

答えは5になるのですがなぜ5になるのかわかる方教えてください。

(No.9) 第一次世界大戦前の各国の勢力抗争に関する次の文中の空欄ア~ウに当てはまる国名として、正しい ものはどれか。 00世紀初め、イギリス·フランスはすでにアジア·アフリカを植民地や勢力範囲として分割し、その支配権を確 米の一果お国 ャしていた。これに対して、急速に工業化を進めたドイツは、まずトルコへ勢力を伸ばそうとする( アO政策を実 出し、黒海:地中海への( イ)政策を進めていたロシアと対立した。バルカン半島では、ドイツおよびオーストリ とィとロシアが対立することとなり、ヨーロッパの火薬庫と呼ばれた。すでに地中海· スエズ運河インド洋に大き た勢力をもち(ウ )政策を展開していた、イギリスは、ドイツなどの動きに対抗するために、アフリカの植民地政 策で対立関係にあったフランスと衝突した( エ)事件の後にフランスの譲歩により、1904 年英仏協商を結び、 1907年にはロシアとも英露協商を結んだ。こうして各国は戦争に備え、軍備の拡張に全力を挙げ、対立はさらに深 まった。 ア イ ウ エト 1. 3B 3C 南下 ファショダ 2, 3B 南下 3C サラエボ 3. 3C 南下 3B ファショダ ーボボ トル 4. 3B 3C 南下 サラエボ 53B 南下 3C ファショダ

回答

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ドイツはヴィルヘルム2世の3B政策(ベルリン、ビザンティウム、バグダード)の世界政策。
イギリスは3C政策(エジプトのカイロ〜南アフリカ大陸の南端であるケープタウン)。そしてアフリカ大陸を縦断途中にアフリカ大陸を横断していたフランスとぶつかり、フランスが譲歩したのがファショダ事件。ロシアは南下政策を依然とっていました。

Dr.sin

イギリスとフランスがアフリカ分割。
ドイツ、ロシア、加えてオーストリアがヨーロッパでの闘争であることをおさえて、文脈から、まずドイツは3Bなので3が違う。次にロシアは南下政策なので、1と4が違う。最後にイギリスとフランスがアフリカ大陸でばったり会ったのはファショダ事件なので、2が違う。消去法でも5とできます。

カイト

ありがとうございます。

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