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律令国家では、「朝廷」で天皇や貴族が政治を行い、鎌倉「幕府」では武士が中心となり政治を行う。これが一番の違いです。
・朝廷
古代の日本では、飛鳥文化の頃から聖徳太子、中大兄皇子(後の天智天皇)や中臣鎌足(後の藤原鎌足)を中心に、天皇中心の政治を行う仕組みができました。
そして唐の律令を真似て、701年に「大宝律令」が制定されたのです。
この政治は、奈良時代、平安時代まで続きました。
・幕府
平安時代の後期になると、もともと貴族の護衛をしていた武士たちが力を伸ばしていき、やがて、武士が政治の実権を握ります。そこから、武士を中心とした政治がうまれました。
幕府による政治は、鎌倉時代から江戸時代まで、鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府と続きました。
・朝廷と幕府の関係
天皇を中心とする政治のしくみができてからは,朝廷による政治が続いていました。
鎌倉幕府ができてからは政治の実権は幕府に移り,幕府による政治は江戸幕府が倒れるまで続きました。
ただ,幕府の政治が続いている間も,天皇を中心とする朝廷の勢力がなくなったわけではありません。
鎌倉時代には,後鳥羽上皇が政権を朝廷に取り戻そうとして1221年に「承久の乱」を起こしましたが失敗しました。鎌倉幕府が倒れると、後醍醐天皇が「建武の新政」を行って天皇中心の政治にしようとしましたが、これも武士から反感を買い2年ほどで失敗してしまいます。
その後も天皇を中心とする朝廷は続いていきましたが、政治の実権は幕府が握っていました。
事実確認をしていないので、あくまでも参考程度にどうぞ。
詳しくありがとうございます🙏🏻🙏🏻🙏🏻助かりました!