歴史
中学生
解決済み

律令国家と比べた鎌倉幕府の政治の仕組みの特徴を教えて頂きたいです。お願いします🙏🏻🙏🏻🙏🏻

回答

✨ ベストアンサー ✨

律令国家では、「朝廷」で天皇や貴族が政治を行い、鎌倉「幕府」では武士が中心となり政治を行う。これが一番の違いです。

・朝廷
古代の日本では、飛鳥文化の頃から聖徳太子、中大兄皇子(後の天智天皇)や中臣鎌足(後の藤原鎌足)を中心に、天皇中心の政治を行う仕組みができました。
そして唐の律令を真似て、701年に「大宝律令」が制定されたのです。
この政治は、奈良時代、平安時代まで続きました。

・幕府
平安時代の後期になると、もともと貴族の護衛をしていた武士たちが力を伸ばしていき、やがて、武士が政治の実権を握ります。そこから、武士を中心とした政治がうまれました。
幕府による政治は、鎌倉時代から江戸時代まで、鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府と続きました。

・朝廷と幕府の関係
天皇を中心とする政治のしくみができてからは,朝廷による政治が続いていました。
鎌倉幕府ができてからは政治の実権は幕府に移り,幕府による政治は江戸幕府が倒れるまで続きました。
ただ,幕府の政治が続いている間も,天皇を中心とする朝廷の勢力がなくなったわけではありません。
鎌倉時代には,後鳥羽上皇が政権を朝廷に取り戻そうとして1221年に「承久の乱」を起こしましたが失敗しました。鎌倉幕府が倒れると、後醍醐天皇が「建武の新政」を行って天皇中心の政治にしようとしましたが、これも武士から反感を買い2年ほどで失敗してしまいます。
その後も天皇を中心とする朝廷は続いていきましたが、政治の実権は幕府が握っていました。

事実確認をしていないので、あくまでも参考程度にどうぞ。

hn

詳しくありがとうございます🙏🏻🙏🏻🙏🏻助かりました!

この回答にコメントする

回答

追記
鎌倉幕府の政治が長く続いた理由は、幕府と武士との封建制度(御恩と奉公)で成り立っていたのも理由の一つです。
武士は幕府のために、命懸けで戦い、幕府は功績を残した武士に土地を与える。そうして幕府と武士の関係は保たれていました。
しかし、当時の中国の王朝、元の1274年:文永の役と1281年:弘安の役の2度の襲来(元寇、または蒙古襲来)で、日本の武士たちは戦い奇跡的に勝利を収めますが、元からの襲来だったため領地を広げられずに、武士たちに与えられる土地がなく、そのまま御恩と奉公の関係は崩れていきました。

この回答にコメントする
疑問は解決しましたか?