地理
中学生
解決済み

オーストラリアの貿易相手国がイギリス等から、中国や日本中心になったのは、白豪主義がなくなり、中国や日本と距離が近いため盛んに行われるようになったのですか??

グ グ タ 語群 コ 500mm。 オーストラリア 広洋 ロシア/その他 009 01 年平均気温 働温帯湿潤 16.4 4.7 21.3℃ 1033mm 0 年降水量 277mm 002 %5° 62億6643 6.6 00 -10 万t 国中 54.4% 7.3 インド 10.6 -20 12.1月 (理科年表) インドネシア 1年の気温の変化は北半球とは逆になる (Minerals Yearbookほか) B G資料 オーストラリアの貿易相手国の変化 輸出入総額41.8億ドル 西ドイツー 「フランス4.0 イギリス 0961 31.0% アメリカ日本 49| 12.1|9.5 その他 38.5 輸出入総額5037.9億ドル 「タイ3.4 次 その他 42.4 2018 日本 6.95.6 国中 12.1 %9°67 アメリカー Iの (IMF資料ほか) 国韓」 Yと同 図1960年はイギリスのしめる割合が高い。 2018年は,中国や日本などのアジア州の国々の 割合が高くなっている。 れぞれ 北半球と季節が になるため,北 球とは小麦の吸 時期が異なる (2)よく出る -]x12 ]人口 Hオーストラリアの農業分布 140° 内陸部は乾| 120° 燥。沿岸部 に近づくに 10domm つれて降水 量が増える 資料 すuuD) Zにあ (T u000) 1000mm 500mm 書きな -20-1 250mm 3) 記述 250mm未満) から共 250mm (4)記述 (1000mm以上) O 小麦 W00S ww000。 ま

回答

✨ ベストアンサー ✨

うーん。詳しくいうと、アジアとかの貿易がどんどん増えて、それでかつなんか差別だ!みたいなことが言われて、白豪主義がなくなった感じです。
NHKの文をコピペしますね
オーストラリアの移民の始まりは18世紀の終わりにイギリスから来た白人です。気候のよい海沿いに町を作り住み始めました。一方、もともとオーストラリアに住んでいたアボリジニと呼ばれる先住民たちは、内陸の乾燥地帯に追いやられました。19世紀半ば、金鉱が発見されゴールドラッシュが起こり、ヨーロッパやアメリカ、中国からたくさんの人々がやってきました。中でも、安い賃金で働く中国人が増えたことに白人は脅威を覚えます。そこで白人を優先し、有色人種の移民を禁止する白豪主義という政策がとられました。しかし20世紀半ばにアジアの国々の経済成長が進み、アジアとの貿易が増加。また世界からも白豪主義は人種差別であると非難され、1979年に移民制限が撤廃されます。以降、各国から移民を広く受け入れるようになったのです。現在のオーストラリアでは、様々な文化を受け入れ、尊重する「多文化主義」と呼ばれる政策がとられています。

こんな感じです。

Miya🎇

なるほど!!理解できました!!
ありがとうございます🌸✨

地道な地理

高校の教科書には、こう書いてあります。

「1973年、イギリスのEC(現在のEU)への加盟を契機として両国間の貿易量はしだいに減少し、オーストラリアの主要相手国は現在、中国・日本・アメリカ合衆国など、アジア・太平洋圏の国々へと変化してきている。」帝国書院『新詳地理B』322ページ

「第二次世界大戦後の国内における製造業の発展や、鉱産資源・羊毛・食肉・穀物など、一次産品の輸出増加に伴い、多くの労働力を必要とするようになった。こうした情勢の変化を受けて、白豪主義は1970年代前半までに撤廃され」帝国書院『新詳地理B』318ページ

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