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保元の乱
崇徳上皇と後白河天皇の争いに摂関家(藤原家)の争いが重なったもので上皇側と天皇側がそれぞれ源氏や平家などの武士団を使って戦いました。これにより武士の勢力が増していき武家政権への第一歩を踏み出しました。
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わああああわかりやすすぎる...🥲
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