歴史
中学生
解決済み
外務大臣3人名前が書いてあって数十年でコロコロ変わっているのが何故か教えてください❕🙇♀️
外務大臣が同じ時期に3人存在するわけではないですか❔
○条約改正までの道のり
1870年代 岩食便距国 が条約改正を目指すが失敗
る3
3くと ん
1880年代 外務大臣の_井上整
条約改正を目指すが失敗
が鹿鳴館で舞踏会を開くなど欧化政策をとり、
1886年
ルマントン器事件が起き、 条約改正の世論が高まる
1890年代 立憲政治の実現、 ロシアの南下政策
外務大臣の陸家光
治外法格
関税目立権 の一部回復
1894年
がイギリスと_日英通商航漁条給タを結ぶ
の撤廃
外務大臣の小村者太郎 がアメリカと日米通商航海条約を結ぶ
関税自主橋を完全に回復
1911年
回答
回答
この時期はよく不平等条約の改正を求めて海外に行っていて代表者的な人は失敗すると辞職するという風習がありました!(日英通商航海条約の時は任期満了とかですかね?)
例えば井上馨の前は寺島宗則が外務卿で、関税自主権の回復交渉をしたのですがアメリカは合意、イギリスドイツが反対し失敗に終わり辞職しました
なるほど!( ˶˙º˙˶ )
流れまで分かりやすくありがとうございます!😊✨
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写真まで分かりやすくありがとうございます!😭✨