世界史
高校生

漢書の地理志

全文現代語訳お願いしたいです🙇‍♀️🙇‍♀️

○小国家の分立と大陸 a 紀元前1世紀ごろの日本の様子 中国の歴史書『(1 (2 活 漢書 )郡へ定期的に使いを送る )』に明記 『漢書』地理志 さいじ けんけん 夫れ (a 乗浪 )海中に倭人有り。分かれて百余国と為る。歳時を以て来り献見すと云ふ。 * 「歳時を以て」…定期的に さいじ * 「海中」…海のかなた (南方)
O「漢書』地理志 わか 夫れ楽浪の海中に倭人あり、分れて百余国と為る。歳 けんけんの 時を以って来り献見すと云ふ。 O「後漢書』東夷伝 建武中元二(五七)年、倭の奴国、奉貢朝賀(朝貢)す。使 人自ら大夫と称す。倭国の極南界なり。光武、賜ふに印 けん む ちゅうげん ほうこうちょうが ちょうこう たい ふ きょくなんかい こうぶ たま あんてい えいしょ 綬を以ってす。安帝の永初元(一〇七)年、倭国の王の帥。 せいこう どれい せいけん 等、生口(奴隷)百六十人を献じ、請見を願ふ。桓·霊の間、 倭国大いに乱れ、更々相攻伐し、歴年主なし。 こもごもあいこうばつ あるじ 0古代の日本人に対する中国側のよび名 @楽浪郡の役所へ定期 的に朝貢した @ひも(綬)がついた印 @後漢の桓帝と霊帝の時 代(一四七~一八九)

回答

『漢書』地理志
 楽浪郡の海の彼方に倭人(日本人)がいて、分裂して百数カ国になっている。(倭人は)定期的に来て朝貢する。

『後漢書』東夷伝
 建武中年二年に、倭の奴国が朝貢した。(奴国の)使者は自分のことを大夫と呼んだ。倭国は南の世界の果てにある。光武帝(後漢の建国者劉秀)は(国王の)印綬をお与えになった。
 安帝が統治していた永初元年に、倭国の王の帥升達が奴隷を160人献上して、(安帝に)お会いしたいと要望した。
 桓帝と霊帝の時代には、倭国はとても乱れて、入り混じって互いに攻め合い、何年もの間、君主がいなかった。

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