『漢書』地理志
楽浪郡の海の彼方に倭人(日本人)がいて、分裂して百数カ国になっている。(倭人は)定期的に来て朝貢する。
『後漢書』東夷伝
建武中年二年に、倭の奴国が朝貢した。(奴国の)使者は自分のことを大夫と呼んだ。倭国は南の世界の果てにある。光武帝(後漢の建国者劉秀)は(国王の)印綬をお与えになった。
安帝が統治していた永初元年に、倭国の王の帥升達が奴隷を160人献上して、(安帝に)お会いしたいと要望した。
桓帝と霊帝の時代には、倭国はとても乱れて、入り混じって互いに攻め合い、何年もの間、君主がいなかった。