✨ ベストアンサー ✨
イギリスがヨーロッパの勢力均衡を崩す存在だった、つまりはイギリスが強すぎたからです。
1754~1763年の七年戦争でイギリスが勝利し、フランスのヨーロッパでの優位性が崩れました。ヨーロッパ諸国はこれでイギリスが強大な国力を有する国家であると認識しました。また七年戦争中のフレンチ・インディアン戦争でフランスはカナダの一部領土、ミシシッピ川以東アパラチア山脈までのルイジアナ地域をイギリスに割譲しています。つまりはフランスはイギリスにボコボコにされたわけです。
こういった理由から、ヨーロッパ諸国(特にフランス)はイギリスを敵対視するようになります。だからイギリスの力を大きく削ぐアメリカの独立を支援したわけです。ちなみに植民地帝国を築いていたスペインは最初はアメリカの国家承認を拒否しています。もし承認して、スペインの植民地で同じこと(独立運動)が起こったら国大変ですからね。フランスがブルボン家盟約を改訂し、領土交渉などの結果参戦します。
またエカチェリーナ二世が武装中立同盟を結成したのはイギリスの対米海上封鎖(中立国船舶を拿捕する政策)に反対したためです。これには大西洋・ドーバー海峡を通って通商する国々(ロシア・スェーデン・デンマーク・プロイセン・ポルトガル)が参加しました。
仰る通り、国同士の関係性が変わっています。その時はイギリスを敵対視したときと同じで、今度はフランス(正確にはフランス革命)がヨーロッパ諸国の均衡を崩す存在になっています。第一次対仏大同盟はフランス革命を脅威に感じたヨーロッパ諸国がイギリスを中心に結成されたものです。当時、フランス王国を含めヨーロッパ諸国は君主(国王、皇帝、公爵など)ひとりが人民を支配する君主制でした。そんな中、フランスで革命が起き国王ルイ16世が処刑されます。君主制をひっくり返した大事件が起こったわけです。ヨーロッパ諸国は(自分の国でも革命が起こるかもしれないという)危機感を覚え、一先ずは団結してフランス革命を潰そうと考えたわけです
ああ!なるほど!
確かに、フランスだけ共和政ですもんね
ということは、
ヨーロッパ諸国はこの時からずっと、フランス革命が起きている時もウィーン会議の時も、君主制であるべきだ!と思っているし、その思想がタレーランの正統主義に繋がっている
ということですか?
その通りです。ウィーン会議はフランス革命前のヨーロッパに戻す、また勢力均衡の維持が目的でした。なのでフランスでは王政復古が行われました
なるほど!!ここまでが全部繋がってすっと納得できました!
わかりやすい説明ありがとうございました😭🙇♀️🙇♀️
そういうことなんですね!自分の予想が浅すぎました😅
回答してもらったのを読んでいてもう1つ疑問が湧いてきたんですが、
ヨーロッパ諸国はイギリスを敵対視するようになったと書いてありますが、その後、ヨーロッパ諸国はイギリスの呼び掛けで第1回大仏大同盟を結んでいます。
それは、イギリスに反対するのが怖かったから呼び掛けに応じたんですか?それとももう七年戦争から何十年も経っているし、もうその頃とは国同士の関係性も変わっているのでしょうか?