[世界史]フランス革命とナポレオン

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いお

いお

🌷ピンク…身分、人物など
👾紫…地名、建物など
☄️水色…その他条約名、戦争名など

2017/07/01 写真変えました

ノートテキスト

ページ1:

フランス革命とナポレオン
フランス革命の構造
旧制度:革命前のフランスの政治・社会体制
第一身分(聖職者)
土地と免税などの特権をもつ
第二身分(貴族)
第三身分(平民)一人口の9割以上
商工業者の不満、農民の苦しい生活
→啓蒙思想の始まり
シェイエスが「第三身分とは何か」で権利を主張
フランス革命(1789~99)
原因:王権に対する貴族の反抗
結果:有産市民が旧制度を廃棄
KOKUYO IC

ページ2:

[革命の終了]
総裁政府(1795.10)
「穏健共和派中心
5人の総裁からなる
ナポレオン・ボナパルトの統政(1799.11~)
イタリア遠征
エジプト遠征 ロゼッタストーンを発見
→
統領政府(1799.12~)
イギリス
ロシア
オーストリアが第2回対仏大同盟を結成
ナポレオン=ボナパルトが第一統領として独裁(ブリュメール18日のクーデター)
フランス革命の終了
国民意識をもった平等な市民が国家を形成する
「国民国家」の理念が広まる

ページ3:

立憲君主制の成立
フランス→イギリスとの戦争で敗政難に
(フランス)
パリ
ヴェルサイユ
スペイ
対策:ルイ16世がテュルゴーネッケルらを起用し
財政改革を行う
結果:特権身分の抵抗で三部会を招集
三部会
開催地: ヴェルサイユ
第三身分の議員が、自分たちが国民議会
であると主張し、憲法制定まで解散しない
と誓った(テニスコートの誓い)
特権身分に同調者が表れ、国王も承認
国民議会
国王と保守的な貴族が武力で弾圧を試みる
①パリ市民の反発 バスティーユ牢獄を攻撃
②封建的特権の廃止
→領主裁判権や十分の一税が廃止
・人権宣言を採択→ラファイエットが起草
④ヴェルサイユ行進 国王一家をパリに移転させる
→

ページ4:

国民議会もパリへ移転
改革:ギルドの廃止→営業の自由
メートル法を正式採用
ヴァレンヌ逃亡事件:国王は国民の信頼を失う
成果:憲法発布→国民議会は解散
戦争と共和政
立法議会(1791 10~)
立憲君主派(現状維持)vsジロンド派(共和政を主張)
↓
政権をにぎる
·
ピルニッツ宣言を出していたオーストリアに
宣戦
→王党派が多く戦意に欠ける
国民公会(1792.9~)
8月10日事件(義勇軍が攻め王権を停止
↑
フランス国家「ラ=マルセイエーズ」に由来
ジロンド派VS ジャコバン派(急進共和主義)
共和政の樹立を宣言(第一共和政)
イギリス首相ピットが第1回対仏大同盟を結成

ページ5:

ジャコバン派の独裁(1793,6~
ジロンド派を追放
男性普通選挙を定める
封建地代の無償廃止
最高価格令(強力な価格統治)
ロベスピエールによる公安委員会の権力集中
(反対派を処刑(恐怖政治)
革命暦の制定
etc...
ジャコバン独裁の終了(1794.7)
農民・市民の不満→テルミドール9日のクーデター
(ロベスピエール処刑)

ページ6:

皇帝ナポレオン
外交: 教皇と和解
内政: ナポレオン法典発布
イギリスと講和(アミアンの和約)
皇帝に即位しナポレオン1世を称する(第一帝政)
戦争 イギリス ロシア
オーストリアと第3回対仏大同盟を結成
トラファルガーの海戦:ネルソン率いるイギリスに敗北
アウステルリッツの三帝会戦:オーストリア・ロシアを撃破
西南ドイツ諸国とライン同盟を結成→神聖ローマ帝国消滅
プロイセン・ロシアとティルジット条約を結ぶ→ワルシャワ大公国をえる
ドルリンで大陸封鎖令を発布してイギリスとの通商を禁止に
没落:オーストリアのハプスブルク家と結婚
プロイセンでシュタイン、ハンテンベルクの改革がある
大陸封鎖令を無視するロシアに遠征- →失敗
ライプツィヒの戦い、ロシアに敗北→エルバ島に流される
ルイ18世が即位
3
パリに戻り皇帝に復位するもワールテローの戦いで敗北
→セントレナ島に流される。

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