English
SMA
Terselesaikan

If we view each person we meet in the course of our daily lives as a potential teacher, someone we can learn something from, we will naturally form new, rewarding friendships
もし私たちが、日々の生活を送る中で出会う人一人一人を、自分の教師になり得る 人、つまり何かを学び取れる人だと考えれば、新たな、また価値のある友情を自然 と形成できるだろう。
何かを学び取れる潜在的教師と約したのですが解説では不適切といわれたのですが本当ですか?わかる方教えてください🙇またなぜそうなるのかを🙇

Answers

✨ Jawaban Terbaik ✨

意味を何となく掴むだけなら、「何かを学び取れる潜在的教師」でいいです。
質問者さんが大学受験を考えていて、国立大学の入試でこの英文が出題されて下線部訳の箇所だとして、隣の受験生と1点を争っていたら、質問者さんの答案「何かを学び取れる潜在的教師」と隣の受験生の答案「自分の教師になり得る人、つまり何かを学び取れる人」を比べたら、どちらが同格の関係を意識した答案でしょうか??
(a potential teacher), (someone we can learn something from)
「同格」は授業で習う内容です。
同格を理解していることを答案に反映できる受験生か、反映できない受験生か、採点者には明らかにその違いが見てとれると思います。
質問者さんは、(a potential teacher), (someone we can learn something from) が
「同格」だと気づいていながら、「何かを学び取れる潜在的教師」と訳したのですか? 採点者に「同格」だと分かってますアピールをする答案を書いたほうが失点しないで済むと思います。(とくに周りが「同格」を分かってない状況下では)

potentialを「将来的に~の可能性がある」と訳せるかはわかりませんが、単語集にある「潜在的な」はほとんどの受験生が使いそうな訳だと思います。

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Answers

potentialの訳し方はまずは画像を参照してください。

単語帳とかで訳を覚えるときに
形容詞で 〜的だ とか
それの名詞で 〜性 っていう表現が多すぎるんです。
だからその訳をそのまま使うと
漢字だらけになって、なおさら意味がわかんなくなることが結構あるんですよ。
中国語を読んでるみたいになってしまう。

日本語としておかしくなければ良いとは思うんです。
今回のご質問くらいの文なら、不適切とか誤りとまでは思わないですね。

訳の日本語を推敲するにときには
その日本語から英語の文を書くことを考えると良いと思います。つまり和文英訳です。
日本語を読んで、「こんなことが言いたいんだろうな」と理解して、それを英文に直しますよね。

自分の訳を読んだときに、
何が言いたいのかスムーズにわかりますか?
「潜在的教師」ってことは、潜在的に教師なんだから
将来教師になるのかな?というような
勘違いはしませんかね。流石にそれはないか。
でも日本語の「〜的」とか「〜性」は安易に使いすぎるので、そういう誤解に繋がりやすいです。
日本語だけをパッと読んだときに誤解が生じそうなら、その訳は避けた方がいいですね。

だから 
「〜的 とか 〜性 ってどういうことなんだろう?
他の日本語に言い換えられないかな」
という発想を持っておくと良いと思います。
そして英語の場合、その「言い換え」は勝手な想像じゃなくてある程度根拠をとりながら行うことができます。
実際にやってみます。

a potential teacher,
someone we can learn something from
の部分は、同格のカンマがあって前後が同じものを表してるとわかると思います。
ってことは、カンマの後ろを訳せれば
カンマの前の"teacher"は
いわゆる「(学校とかの)教師・先生」というよりは
teachにerを付けた
「teachする人、教えてくれる人」
の意味で言ってるとわかります。

teachは他動詞で、使い方によっては目的語を2つ取ります。今回の"teach-er"も
誰に教えるのか・何を教えるのかを考えてみると
カンマの後ろの
someone we can learn something fromの
someoneがteacherのことなんだから
「誰に」はweのこと =「我々に」「自分たちに」ですよね。
「何を」はsomething と言ってて、何か特定のものがあるわけじゃない
だから、学校の先生とかじゃなくて
我々に何か(何かは明確じゃないけど)を教えてくれる人
一緒にいて学びのある人 
のことを teacherと言ってるとわかるわけです。

potentialは
「潜在的」(日本語だと「顕在的」の反対)とすると
潜んでるか・表に出てるか だけの違いのように
思ってしまいがちだけど

実際は、
カタカナ語の「ポテンシャル」が英語の感覚に近くて
「可能性」の意味なのです。
「可能性」も「〜性」がついてますけど、
「そうであり得ること」ということです。
だから
a potential teacherを
「〜的」とか「〜性」を使わずに訳すなら
「私たちに教えを与えてくれることがありえる人」
とすると思います。
まぁ「可能性」くらいは使っても良いよね
「私たちに教えを与えてくれる可能性がある人」

繰り返しになりますが
今回の質問者さんの訳は、通じないこともないと思うので、別に良いかなと思いますよ。
模範解答?が、「潜在的」が不適切というのなら
「教師」もかなり不適切だろうと思います。
だって「教師」って日本語は「何かしらの学校の先生(という職業)」にしか使わないでしょう?
だから適切/不適切 の判断基準がブレててよくわからないと感じます。

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他の回答者の方の意見も参考にすると良いと思ますが、「何かを学び取れる潜在的教師」で、私は全く問題ないと思います。
【和訳】
私達が日常生活の中で出会う一人一人の人を、何かを学べる潜在的な教師として見れば、私達は自然に新しい、やりがいのある友情を築くことになるでしょう。

参考にしてください。

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