一言でいうとするならば、フランスとロシアが手を結ばない理由がなくなったから。になるでしょうか。
1880年代のドイツとロシアの関係は、ビスマルクの努力のたまものです。彼が作り上げた「ビスマルク体制」の目的は①フランスの孤立 ②ヨーロッパの勢力均衡 です。ビスマルクが最も恐れていたのがフランスとロシアの接近でした(ドイツが地理的に挟まれてしまうため)。露仏の接近を防ぐために、三帝同盟(1873 独墺露)を組み、三帝同盟が崩壊したのちもロシアと再保障条約(1887)を結ぶことによってなんとかフランスの孤立を維持しようとします。
しかし、1888年に即位したヴィルヘルム2世がビスマルクを罷免した1890年にすべての歯車が狂い始めます。
ヴィルヘルム2世は「世界政策」を掲げ、英仏の帝国主義に対抗して海外領土の獲得に積極的に乗り出します。これはビスマルクの勢力均衡策とは相反するものでした(だからビスマルクも罷免されました)。それまでのドイツの対外政策である勢力均衡策から一転したこの世界政策は、アフリカでフランスと衝突したり(モロッコ事件)、3B政策でイギリスと衝突したりと列強からすれば目障りでしかありません。バルカン半島をめぐっても、3B政策のために進出したいドイツと、パン=スラヴ主義を支援するロシアで対立が深まっていました。そして1890年、ヴィルヘルム2世がロシアとの再保障条約の更新を拒否したことで、露仏が急速に接近します。
そこで成立したのが露仏同盟(1894)です。のちに三国協商の一角を形成する露仏同盟の成立によって、フランスは国際的孤立からの脱却、ロシアはフランス資本の獲得と相互に利益を得ることができました。ビスマルク体制の要ともいえる再保障条約が消滅したことで、露仏の接近というビスマルクが最も避けたかった事態が現実となってしまったのです。
回答
疑問は解決しましたか?
この質問を見ている人は
こちらの質問も見ています😉
おすすめノート
詳説世界史『近代ヨーロッパの成立』
4251
20
詳説世界史『ヨーロッパ主権国家体制の展開』
2327
6
意外とすっきり中国史
2308
6
詳説世界史『欧米における近代国家の発展』
2111
5
詳説世界史『帝国主義とアジア民族運動』
2093
11
詳説世界史『アジア諸地域の動揺』
1951
10
世界史B(高2範囲)
839
3
世界史 まとめ 全162ページ
623
4
【世界史講義】五代・宋・元 ~中国史~
548
1
世界史B/第14章二つの世界大戦
495
0