もともと日本には、田植え月の五月に「五月忌み」という日本古来の行事をしていました。
五月忌みとは、男は家の外へ出払い、女だけが家の中に閉じこもって、田植えの前に穢れを払い身を清める儀式を行うこと。
五月の初めの午の日は、若い女性たち(早乙女)が家や小屋・神社などにこもって田植えの前に穢れを祓い、魔除けの意味をもつ菖蒲の葉や蓬を軒にさして、厄災を寄せ付けないようにしていたのです。
宮中で行われる貴族の行事であった端午の節句が、武士の間で広まり、男の子のお祝いの日になったキーワードは菖蒲です。
「菖蒲」が、武道を重んじるという意味の「尚武」同じ読みであること
菖蒲の葉の形が剣に似ていること
「尚武」が「勝負」に通じていること
といった理由から、端午は男の子と結びつくようになり、端午の節句が男の子の誕生のお祝い、健やかな成長と出世を願う行事になったと言われています。
これが、端午の節句です。簡単に言えば、武士たちの間で男の子の誕生のお祝い、やかな成長と出世を願う行事になったということです。
ひな祭りの起源は中国までさかのぼれるとされています。昔、漢の時代の徐肇(じょちょう)という男おり、3人の女児をもうけたにも関わらず、3人とも3日以内に死んでしまいました。その嘆き悲しむ様子を見た同じ村の人たちが酒を持ち、3人の女児の亡骸を清めて水葬したことに由来しているとされています。それが平安時代になると、「上巳の祓い」といって、3月3日に陰陽師を呼びお祓いをさせ、自分の身に降りかかる災難を自分の生年月日を書いた紙の人形(ひとがた)に移らせて川に流しました。この厄払い様子は今でも下鴨神社で行われる「流しびな」の行事に再現されています。
この紙のひな人形が発展し、現在の豪華なひな人形になったとされています。また、ひな壇を設けるようになったのは、江戸中期からだそうで、それまでは畳に直にじゅうたんを敷き、人形や調度を飾っていたとか。
ということで、違いというのは大雑把に言ってしまえば由来が全く違うということです。
長くなってしまいましたが、お役に立てれば嬉しいです。