✨ 最佳解答 ✨
不平等条約を改正を求めに行った岩倉使節団が、アメリカで「頭にピストルを載せた野蛮人とは交渉できないとか」、ヨーロッパで「豚のしっぽ」とか馬鹿にされたのが相当恥ずかしかったらしく、岩倉具視らは日本に連絡して断髪令を出させたそうです。
それが明治4年8月9日のことだが、その三か月前に木戸孝允が新聞の影響力を利用して、散切り頭が文明開化に欠かせないものと印象付けるために新聞に載せた俗謡だということです。
しかし日本では散切り頭とは非人のする髪型で、印象が悪い以上に嫌われていたためなかなか進まなかったそう。
結局ほとんどの人間の断髪が済んだのは明治22年。
これ前の歌い文句があるみたいで、全文は以下の通りです。
「半髪頭(ちょんまげ)をたたいてみれば、因循姑息な音がする。総髪頭(長髪)をたたいてみれば、王政復古の音がする。ざんぎり頭をたたいてみれば、文明開化の音がする」
(ちょんまげ頭は古いしきたりに固執している人。総髪頭の人はちょんまげよりましだけどまだ古い。散切り頭の人が流れに乗っている人)てな感じですか。
散切り頭は文明開化の象徴、最後の部分だけ見ればそれを歌ったように思えるけど、実際は政府の断髪推奨キャンペーンの一環のようなものですね。
Y!知恵袋より。
コピペですみませんm(_ _)m
ありがとうございます(´・ω・`)(´-ω-`)) ペコリ