Contemporary writings
高中
この問題を教えて欲しいです
問題文をよく読むこと。
*句読点、「」は一字として数えます。
【1】
ないでしょうか。
次の文章を読み、後の問いに答えなさい
時間は、物のように世界の中に直接観察できるわけではありません。 それにもかかわらず 「時間はある」と言いたくなるとすれば、それはどのよ
うに「ある」のでしょうか。
私たちは、「時間がある」 とか 「時間がない」 という言い方を、日常の中でも用いています。その日常的用法をヒントにしてみましょう。
時間が「ある」とか「ない」とかいう言い方は、何を意味しているでしょうか。
「時間がない」とは、時間がどんどん過ぎ去ってゆき、いろいろな出来事に次々追われているときに出てくる言葉です。だから、時間は「まっ
たく存在しない」わけではありません。時間は確かに流れており、しかもめまぐるしいほどの勢いで流れ去っています。 それにもかかわらず、そこ
で出てくる言葉が、 「時間がない」 という言葉なのです。
ト
逆に、「時間がある」というのはどういう場合でしょうか。 それは、忙しく物事に追い立てられている状態とは反対に、何かをゆっくりと、じっ
くりとやれる時間が目の前にあると感じるときでしょう。つまりそれは、「何を、どのくらいの時間をかけてやるのかを、自分でコントロールでき
るとき」であると言えます。この場合、「時間」とはある程度の長さを持った、「余裕」や「X猶予」を意味しています。これ は
「まだ時間はたっぷりとある。」 バスや飛行機など、 乗り物の出発時刻まで、まだ十分に時間はある場合、私たちはそんなふうに言います。その逆
は、「もう時間がない。」と焦っている場合です。「もう時間がない。」と言う場合、自分の意志ではどうにもならない何かに迫られて、否応なく追
い立てられている感じがします。
その違いは、自分が、自分のコントロールのもとで、何かを自由に展開できるような広がりが感じられているかどうか、という点にあるのでは
「時間がある」「時間がない」というのは、自分の生の広がりを自分の意志でコントロールできるかどうかということ、③自分が「生きる」という
ことの主体的なあり方に関係していることがわかります。
そこで「時間」は、ある種の「広がり」として意識されています。 「広がり」とは、何かができる「余裕」、言いかえれば何らかの活動が展開でき
る「スペース」と言ってもよいでしょう。 しかし、 「スペース」とは英語で「空間」のことです。そうなると、ここでは「時間」がある種の「空間」
として意識されているということになります。にし
もう一つ、日常における「時間」との関わり方を考えてみましょう。
「時を忘れる」という言い方があります。 「時が過ぎるのを忘れて、会話に熱中した。」とか、「あまりに面白い小説だったので、時を忘れて読み耽
った。」といった場合です。 つまり私たちは、何かに没頭しているとき、時間が過ぎるのを忘れてしまう、という経験をしばしばするようです。
そのような場合、私たちは「我を忘れる」とも言います。時間を忘れて何かに没頭しているとき、私たちは「私自身」をも忘れてしまいます。
やはり、「時間」と「私」とは深い関わりを持っているようです。事
先ほど、「時間がある」というのは、自分がコントロールできるような広がりが意識されていることだと言いました。この意味での時間、つまり
「空間化された時間」 と、「ある広がりの中で起こりうる様々な出来事を支配しコントロールしうる私」とは、深い関わりを持っています。
「空間化された時間」の中で、私たちはあくせくと立ち働いています。現代において、私たちはますますカレンダー的な時間とそれによって
きざまれたスケジュールに支配されるようになっています。 これは時間がますます空間化された仕方でとらえられるようになっているという
ことです。時間がますます空間化された仕方でとらえられるということは、自己の支配がますます拡大し、世界を 「私が支配しコントロールするも
の」として思い描くようになることを意味しています。 時間に追われる現代社会は、自己のコントロールが無限に拡大する世界であると言えそ
うです。
しかし、時間とは空間化された時間に尽きるのでしょうか。⑥「空間化された時間」とは異なる時間もあるのではないでしょうか。次に、そのよ
うな時間が経験される可能性を探ってみたいと思います。
す。
すでに述べたように、「空間化された時間」は、自己のコントロールしうる空間でもあります。そうだとすると、「空間化された時間」から外に出
るとき、それは自己のコントロールしうる空間から外に出ることを意味するのではないでしょうか。
例えば、時間を忘れて小説に没頭しているとき、私は、私がすべてを支配するという生き方のモードを脱け出しています。むしろ私は、小説の中
に展開される世界に、自己の支配を委ねています。 その小説が操るがままに、その世界に私自身を委ねているのです。もちろん、私が私であるとい
う意識がまったく失われるわけではないですが、私の生のモードは、「自己と自己の行為を私自身がコントロールし、そこで展開される一切を自己
が支配する」というモードではありません。私は、心地よく小説の世界に身を委ねているのです。同じことが、様々な趣味への没頭にあてはまり
ます。
またそのようなとき、時間が完全に止まっているように感じられる、というわけでもありません。例えば、会話に没頭して時間を忘れる体験を例
にとりましょう。会話に熱中しているとき、会話はどんどん進み、話題は尽きることがありません。会話が進み、その内容が豊かに展開していると
き、当然この「進んでいること」「展開していること」の意識を私たちは持っています。 このような意味での「時間」は、忘れられていません。 一
切は止まっているどころか、極めて生き生きと動いています。この「生き生きと動いていること」も、ある種の「時間」の性格を持っているのでは
ないでしょうか。
⑥このとき、直線的なカレンダーの時間はすっかり忘れられています。 しかし他方で、私たちは眼の前で現に展開される極めて生き生きとした活
動に参加し、その豊かな動きを経験しているのです。
では、生きた時間とはどのような時間でしょうか。 少し考えてみましょう。
生き生きと動いている時間は、カレンダー的な時間の中にはありません。 カレンダー的な時間においては、過去も、現在も、未来も、同じ平面に
並んでいます。これはまさに、空間化された時間です。
カレンダーだけを見ていても、どこが現在なのかは見えてきません。どれも同じような数字が並んでいるだけです。 どの日も現在でありうるし、
過去でも未来でもありえます。
これに対し、生きて動いている時間においては、過去は現在ではないということははっきりしていますし、現在は過去ではないということ
もはっきりしています。また、現在は未来ではない、未来は現在ではないということも明白です。過去はもちろん未来ではないし、未来も過
去ではありません。このように、生きて動いている時間においては、過去・現在・未来はまったく異質なのであり、同じ平面上に平等に並べ
マルリッ。
六
問
H
ることはできないのです。
このように、生きて働いている時間においては、「………でない」、「でない」という「否定」が重要です。そのような「否定」が時間の核心に
あるがゆえに、時間は見ることもつかむこともできないのではないでしょうか。
時間は「ある」のか、 「ない」のか、という問いが答えにくいのは、この「否定」が時間の核心にあるせいではないでしょうか。
時間らしい時間は、生きて動いている時間であり、それこそ現実的であり、「リアルに存在している」ように思われます。 しかし、その「生きて
動いている」ということは、ある種の「否定」によってこそ成り立っているのではないでしょうか。現在は次々に消え去って、過去になっていきま
す。現在は、現在として生まれ出たと思ったら、もう現在では「なく」なり、現在としては「否定」されて、過去になってしまいます。 そのとき、
過去は決して現在では「ない」 という否定によって成り立っています。 未来もまた、「まだない」という否定によって成り立っています。「まだない」
未来は、次々に現在になっていきますが、現在になったときには、それはもう未来では「ない」のです。このように、動いてやまない時間は、至る
"AnkLya [
ところ「ない」という否定に貫かれています。
自れ。 ソー
間二 二重傍線部X 「猶予」、「否応なく(否応なし)」、2「没頭」について、語句の意味として適当なものを、後の選択肢から選びそれぞれ記
太傍線部a〜dについて、 ひらがなを漢字に、漢字をひらがなの読みに直しなさい。 【知】
間
号で答えなさい。 【知】
ア良いも悪いも関係ないこと
いということ。
うこと。
集中して他事を考えないこと
強引な態度のこと
ウ日時などを先延ばしすること
余分なものが多いこと
くにカ
間三傍線部①「時間は「まったく存在しない」わけではありません」とは、どういうことか。最も適するものを選んで記号で答えなさい。 【思】く
強制的にとりあげること
「時間がない」ということは、単に多忙な中で時間を忘れて生活していることに起因しているだけで、客観的に時間が存在しないわけではな
イ「時間がない」という言葉は、日々様々な出来事に追われている余裕のなさを表しているだけで、実際に時間が存在しないという意味ではな
いということ。
ウ「時間がない」という言葉は、いろいろな物事に追われて忙しい自分を追い込むために使っているだけであり、実際にはまだ時間があるとい
そもそも時間というものは主観的に実感できない性質を持つので、「時間がないと感じることは当然のことだが、実際には時間は流れて
いるということ。
本当に忙しく物事に追い立てられているときは、時間を気にする余裕もないはずなので、「時間がない」と思っているうちはまだ多少の
予があるということ。
問四 傍線部の「その違い」とは、どのような違いか。最も適するものを選んで記号で答えなさい。【】前に
ア時間を自分の意志でコントロールできていることと、時間を自分の意志でコントロールできていないこととの違い。 71
イ時間に余裕があって物事を素早く行える場合の心理状態と、時間に余裕がなく見通しがつかない場合の心理状態の違い。FL
ウ時間に余裕がある場合には時間を意識できることと、十分に時間に余裕がない場合には時間を意識できないことととの違いピンク
「まだ時間はたっぷりとある」という余裕を感じていることと、「もう時間がない」という焦りを感じていることとの違い。
オ意識的に「まだ時間はたっぷりとある」と感じていることと、無意識に「もう時間がない」と感じていることとの違い。
問五傍線部③「自分が「生きる」ということの主体的なあり方」とはどのようなあり方か。本文中の語句を用いて四十字以内で答えなさい。 【思】
間六 傍線部⑥「空間化された時間」と同じ意味を表す言葉を、本文中から十字以内で抜き出しなさい。【思】てん
間七傍線部⑥「空間化された時間とは異なる時間」 とはどのような時間か。 適するものを次からすべて選んで記号で答えなさい。【】
ア 部活の大会に向けて練習計画を立てた。
イ 前期中間テストの日程にむけて、十月からカウントダウンをした。下
ウ音ゲーと呼ばれるゲームをしていたら、予定していた就寝時間を大幅に超えた。
文化祭のアイデアがいろんな人から次々と湧き出て、会議が白熱した。
オ委員会に遅刻せずに行き、あくせく働いて帰ってきた。
カ中間考査の結果を見て驚き、時が止まったように感じた。
傍線部⑥「このとき」とは、どのようなときか。十五字以内で書きなさい。【】
問傍線部⑦「生きた時間とはどのような時間でしょうか」とあるが、筆者はどのような時間だ考えているか。 六十字以内で説明しなさい。【】
問十次の文章は「時間はどのように『ある』のか」という筆者の問題提起についてのまとめである。これを読んで、後の①~③にそれぞれ答えよ。 【思】
時間には「空間化された時間」と「生きて動いている時間」とがあり、前者は、過去・現在・未来が[a]で、人間にとってコントロールできるような広
がりとして感じられるが、後者は、過去・現在・未来はそれぞれ全く[6]で、「現在は過去では ○」「未来は現在では[c]」というように
定」によって成り立っていて、それは人間にとって認定できない状態にあると言える。
空欄abに入る語として最も適当なものを、それぞれ次から選べ
異質 均一 ウ別種 エ均衡 オ均質
2 空欄c(二箇所)に入る平仮名二字の語を答えよ。
カ異彩
い
3傍線部の内容について述べた部分を本文中から四十字以内で抜き出し、最初と最後の五字で答えよ。
器
34024501 aum
604642
解答
尚無回答
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