History
國中

なにが第二次世界大戦を勃発させたか。
詳しく教えて欲しいです

解答

①WWⅡの原因を単純に言うと、
資本主義の限界です。
つまり、
需要(消費)<供給(生産)
そのバランスの改良のために、戦争に至って、色んな物を破壊したのです。
スクラップ&ビルドです。
このことは、先のWWⅠも根本的には同じ

②だから、歴史の授業やテストで求められるような答えでは、
主義や政治や外交の違いによる何か理由を求めがちですけどね。
そんなのは、本来、戦争をするための後付けなんですよね。
みんな、食えるだけ経済が安定していたら、取り合いにはならない。
椅子取りゲームで、少ないイスを、各国で取り合いしているだけ。
戦争を含め外交や政治は、自国を守る(自国経済を維持するため)だからね。

③そして、今の世界経済も、
生産>消費になりつつあって、
もうじき、アメリカ経済(世界経済)がひっくれると言われている。
そうなったら、(言い方はどうなるかはわからないけど)世界恐慌であり、
第三次世界大戦(WWⅢ)だよね。

③戦争の大義はそれなりに各国で言い合うだろうけど、
結局は、自己中で、ワガママなんだよね。
そもそも、資本主義は、個人の欲望を刺激して、無限に成長していくというビジネスモデルだからね。
地球の資源や、人口(消費者)は、有限だけど、生産計画は、常に増やさないと成り立たないという
問題を抱えている。
だから、資本主義=大きなネズミ講=悪魔の挽き臼(ひきうす)とも言われる。

資本主義 第二次世界大戦
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かなり長くなります。その代わり詳しく説明します。結論から言うと第二次世界大戦には第一次世界大戦と世界恐慌が密接に関わっています。ヨーロッパという地域は、たくさんの民族によって構成されています。私たちはイギリス人もフランス人もロシア人も単に白人だと思っていますが、民族的にはこの3カ国は違う民族が暮らしています。例えば、イギリス(の中で特に主導権をもつイングランドを指す場合)はゲルマン民族、フランスはラテン民族を主としてケルト民族とゲルマン民族が混ざり、ロシアは大多数がスラブ民族です。このように、ヨーロッパには様々な民族が暮らしています。そして、人の数だけ考え方があると言うように民族の数だけアイデンティティがあります。異なる考え方は時に合わさってより良いものを生み出しますが、時に対立して論争に発展することがあります。これが悪い方に表面化したのが第一次世界大戦です。当時オーストリア・ハンガリー二重帝国というヨーロッパのバルカン半島の大国がありました。バルカン半島はヨーロッパの中でも特に様々な民族が混ざっているところです。この国の支配者層(オーストリア人)はゲルマン民族(ゲルマン民族とは、主に北西ヨーロッパに住む民族)で、自分たちゲルマン民族が一番偉いというパン・ゲルマン主義という考え方をもっていました。そしてこの国には、元アジア人のハンガリー人や、スラブ民族なども住んでいました。しかし、オーストリア人は彼らを弾圧しました。当然ハンガリー人やスラブ人は怒ります。そして、ついに1914年にセルビア人(スラブ民族)の少年がオーストリアの皇太子夫妻(ゲルマン民族)を暗殺する事件が起こります。これがサラエボ事件です。これをきっかけにオーストリアと同じゲルマン民族のドイツ帝国がセルビアに宣戦布告。セルビアと同じスラブ民族のロシア帝国が介入し、第一次世界大戦が始まりました。第一次世界大戦は、オーストリア・ハンガリー二重帝国とドイツ帝国、それにロシア嫌いのオスマン帝国を合わせた同盟国と、ロシア帝国にドイツ嫌いのイギリスとフランスを合わせた連合国の戦いです。最終的に連合国が勝利します。ちなみにこの時どさくさに紛れてフランスはイタリアから奪った領土を返さなかったため、イタリアはフランスにブチギレます。勝ったイギリスとフランスは負けたワイマール共和国(ドイツ帝国で革命が起こり、国名変更)に全責任を押し付け、『賠償金払えや!』と脅します。ワイマール共和国は、負けてぼろぼろなのに、さらに追い討ちをかけられた形になります。そんなワイマール共和国に声をかけたのがアメリカです。アメリカは、第一次世界大戦で弱ったヨーロッパ諸国と対照的に力をつけてきました。アメリカはワイマール共和国に『俺がお金貸すから、そうしたら俺が貸した金でイギリスとフランスに賠償金返せ。その金でイギリスとフランスは俺に金を返せば良い(実はイギリスとフランスは第一次世界大戦の影響でアメリカにお金を借りていました。)。』と提案しました。これにはワイマール共和国やイギリスとフランスも納得して、平和になったぞ!と大喜びしますが、それは長くは続きません。1929年10月に世界恐慌が起こります。アメリカの株が原因不明の大暴落に陥ります。これは当事者のアメリカはもちろん、イギリスやフランス、ワイマール共和国など、アメリカからお金もらっていた国も大混乱です。また、アメリカは世界中と貿易していましたから、世界中も大混乱です。実は、これをうまく切り抜けられた国と切り抜けられなかった国で明暗がくっきり分かれます。まず、混乱を切り抜けられた国から紹介します。一つ目はソビエト連邦。日露戦争、第一次世界大戦と戦争が重なっていたロシア帝国では、労働者は一日10何時間も戦争関連の商品を作っていました。重労働です。しかも、1日一食食べられるか食べられないかくらいのお金しかもらえません。対照的に、貴族など上流階級は、仕事せずに贅沢な生活をしていました。ロシア帝国の一般市民は当然怒り、革命が起こります。こうして出来た国がソビエト連邦です。ソ連は世界で初めて社会主義(国が国民に平等に富を分配すること)を採用しました。社会主義は国が全ての決定権を持っています。社会主義には資本主義と違い、好況や不況がありません。なぜなら、国が事前に何するか決定するから(五カ年計画)です。つまり、世界恐慌の影響を全く受けなかったのです。次に、イギリスとフランスです。この2カ国は世界中に植民地をもっており、植民地内だけで貿易をして(スターリング・ブロック)、それでなんとかその場しのぎをしようとしました。結果、これは成功します。経済が徐々に回復しました。最後にアメリカです。ローズヴェルトが大統領になると、ニューディール政策(新規巻き直し政策)を行い、失業者を公共事業に採用しました。アメリカは資源大国ですので、自国内で頑張ることができました。失業率も改善し、経済も段々回復しました。しかし、残念ながら、混乱を切り抜けられない国もありました。それは、資本主義で、植民地もなく、資源もない国です。ナチス・ドイツ(ワイマール共和国でナチスが政権をとり、名称変更)では、戦争をして、領土拡大をすればなんとかなるのではないかという考えになります。イタリア王国は、植民地を取れば乗り切れるのでは、と考えます。大日本帝国は、資源がないので、他国に攻めて資源を手に入れようと考えます。この三国によって第二次世界大戦が幕を開けるのです。

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第一次大戦後、ヴェルサイユ条約によってドイツ領の一部がポーランドに割譲されました。
とはいえ、元々ドイツ人が住んでいた地域なので、ナチス・ドイツはこの地域の奪還を目指していました。
1939年にヒトラーがこの地域(ダンツィヒという都市、およびポーランド回廊と呼ばれる地域)の返還を求めましたがポーランドに拒否されたため、この地域でドイツ人が迫害されているなどの理由をつけてポーランドに侵攻しました。
これが第二次世界大戦の始まりと言われています。

それを受けてイギリス・フランスがドイツに宣戦布告したことで戦火が広がっていくわけです。

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