マーベリ対マディソン事件はアメリカで初めて裁判所の違憲審査権を認めた判例です。
当時、治安判事としてウィリアムマーベリーは任命されることが決まっていました。ジョンアダムズからトーマスジェファソンに政権交代後にマーベリーは国務長官マディソンに辞令の発布を請求したのですが、それを拒絶されたことで最高裁判所に対して辞令の交付を命ずるように請求したのです。
しかし当時の合衆国憲法第2条では辞令の交付義務の判定は最高裁判所に第一審の管轄を認めておらず、憲法に反する裁判所法に基づいて出訴したマーベリーの訴えを却下しました。
当時アメリカ憲法下では、憲法に反する法律につきどのような判断を下すべきかが明文上なく、学説上争いがありましたが、この判決により憲法に反する法律につき裁判所は違憲審査権を行使することができるとされたのです。
この判決は現在の日本でも憲法81条が違憲審査権を認めているという点で色濃く影響を与えており、日本の憲法学においても無視できない判決です。
ただ、マーベリーはジョンアダムズ政権下の連邦党の人間です。共和党のジェファソン政権下で、連邦党の人間が辞令によって治安判事になることを阻止するために辞令が発布されることが拒絶されたところ、裁判所が辞令発布の命令をしたところで共和党政権下では実効性に乏しく苦肉の策として判断を回避したとも言われています。