World history
高中
已解決

世界史の中国について質問です。

アロー戦争後の天津条約と北京条約での
①外国公使の北京駐在

義和団事件後の北京議定書での
②外国軍隊の北京駐留

について、この2つはどう意味が違うのでしょうか?
公使と軍隊は違うものですか?

解答

✨ 最佳解答 ✨

アロー戦争は、アヘン戦争で中国を5港開港させても思ったほどの利益が上がらなかったため、もっと利益をあげるために行われました。

そのため、貿易上の利益を上げるという意味で外国公使が置かれます。中国の内部に外交面で口出ししてくるイギリス人がいるってことです。これなら、イギリスに有利な貿易ができますね。

中国はこれにより、総理各国事務衙門を設置します。外交を担当する役所です。

続いて、北京議定書です。
これは義和団事件(北清事変)で中国が敗れた後、列強と結ばされた取り決めです。

義和団事件は、中国の義和団という集団が「扶清滅洋」を掲げ、列強に宣戦布告しますが、8カ国共同出兵により中国がボロ負けする事件です。

ただ、また同じようなことが起きると困るため、軍隊を駐留させ、再発防止を行いました。

こんな感じになります🙏
分かりにくいところがあれば言ってください🙏

🍑

すごく分かりやすいです!ありがとうございます!!

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