History
國中
已解決

歴史 江戸幕府 の質問です ฅ˒˒

江戸幕府の3代将軍の徳川家光は病弱で、弟の方が可愛がられていて有力だったのに、なぜ家光の方が将軍になれたのでしょうか?

春日局が家康に話をしたからというのは分かるのですが、具体的に家光が継承できた理由を教えてください 💭

解答

✨ 最佳解答 ✨

今では長男が家を継ぐというのがセオリーなイメージがあると思います。(まぁ今はむしろ時代錯誤なんて意見もあるかもしれないが)
ただこれが確立したのは江戸時代です。それ以前即ち中世武士の誰が家を継ぐかはズバリ母親の地位で決まってました。
例えば奥州藤原氏4代目藤原泰衡は長男ではありません。彼には腹違いの兄に西木戸太郎国衡なる人物がいてこの人物が長男ですが、家督を継いだのは泰衡です。ただこのように誰が家督を継ぐのか明確に決まっていないと、一族内で家督を巡る内紛や殺し合いなどが平気で起こるわけです。これでは平和とは全く言えません。それを戦国の世を生き抜いた家康は嫌というほど分かっていたのでしょう。長男が家督を継ぐという決まりを作れば、どんなに次男が有能だろうがなんだろうが、家督争いで家が滅亡、弱体化する恐れもありません。つまるところ徳川将軍家を盤石なるものにするためです。だから弟に比べ無能と言われていた家光が将軍になれたんです。
その事があるから家光は家康に対し非常に深く恩を感じていて、日光東照宮を豪華にしたなんて話もあったりなかったり

.

納得です.’.’
確かに応仁の乱とかでも継承争いみたいなのがすごかったので、必ず長男が継ぐ みたいにしてしまえば安定しますよね 🍸𖤐˒˒

分かりやすい回答をありがとうございました✨

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