✨ 最佳解答 ✨
当時、ローマカトリック教会は異民族であるゲルマン人に布教を行うため、偶像を用いました。言語も違う民族に布教を行うのは、偶像がある方が布教しやすいです。
また、ギリシア正教会はその時、イスラーム勢力に圧迫されてました。イスラームは偶像崇拝を禁止しています。そのため、キリスト教が偶像崇拝していることを非難し、キリスト教を攻撃する大義名分にしていました。そのため、攻撃を受けたギリシア正教は偶像崇拝を禁止します。しかし、布教のために偶像崇拝をしていたローマカトリック教会はこれを拒否して、両者の溝が深まりました。
このとき、ギリシア正教会ではイコンも否定されて、 イコン擁護派も迫害されました。
最初はこの流れの通り、ギリシア教会は厳重に偶像崇拝を禁止しました。しかし、イコン擁護派の熱量も凄く、またモーセが定めた十戒にある偶像崇拝の禁止には、像を刻んではならないと記されていることが分かったので、絵画であるイコンは許されました。
なるほどです!!!!
とてもよくわかりました😭😭
ありがとうございます、、!🙇🏻♀️
なるほど、、当時は否定されていたんですね
そこからどうしてイコンが再び現れたのか
ということもお聞きしてもよろしいですか、、?🙇🏻♀️
理解力なくて申し訳ないです、、💦