Japanese history
高中
高2日本史の問題です。
問題が1~8までありますが全て教えてもらえるとありがたいです。
書かなければ行けない行数が8行で、参考書などを見ても知識が浅く、全て埋められないため詳しく教えてくださるとありがたいです。
お願いします。
【1】13点分
1. 藤原光明子は聖武天皇の皇后に立てられたが、律令の規定では光明子が皇后になることは難しかったと考え
られる。 その理由について、2行程度で説明しなさい。 ( 3点)
2. 桓武天皇はなぜ平城京から都を移したのか。 その理由を2行程度で説明しなさい。 (2点)
3. 摂政と関白について、その違いがわかるように、3行程度で説明しなさい。 (3点)
4.10世紀ごろから流行した浄土教の教えについて、 流行した背景についても触れながら3行程度で説明しなさ
い。 (3点)
5. 白河天皇は、子の堀川天皇に位を譲ると院政を開始した。 院政が開始された直接的な理由を1行程度で説明し
なさい。(2点)
【2】
6.9世紀初頭に論じられた 「徳政論争」(徳政相論)の論点と結論を、議論を闘わせた人物の名前も挙げながら、 6
行程度で説明しなさい。 (10点)
7. 藤原氏北家が台頭する過程でとった手段について、次のA~Dの事実に沿って10行程度で説明しなさい。
(12点)
A:平城太上天皇の変に際し、 藤原冬嗣が任命された蔵人頭について、南北朝時代の公卿である北畠親房は、
「力量のない者には希望しても無理な仕事である」と述べている。
B: 藤原冬嗣は、 一族子弟の教育のために勧学院を設立した。 藤原氏の氏長者 (一族のトップ)が管理にあたり、
学生に様々な経済的支援を与えた。
C : 藤原冬嗣は娘の順子 (じゅんし) を仁明天皇に嫁がせ、誕生した子は文徳天皇となった。 冬嗣の子の藤原良房
は娘の明子(あきらけいこ)を文徳天皇に嫁がせ、誕生した子は清和天皇となった。 良房は清和天皇の母方の祖
父として、摂政に就任した。
D: 藤原良房は、承和の変で伴健岑・橘逸勢を退け、さらに応天門の変では伴善男らを没落させた。
8. 国風文化が花開いた時期に、 優れた女流文学が誕生
した理由を考えて、 7行程度で説明しなさい。 その際、
摂関家の権限についても触れなさい。 ( 10点)
<ヒント>
藤原氏の娘に仕えた紫式部の父藤原為時、 清少納言の
父清原元介はともに国司階級の下級貴族である。
◆摂関家などの上級貴族は官吏の人事権をにぎっていた。
★採点基準
2点~3点
・必要なキーワードが入っている
10点~12点
・字数が十分である (解答欄の8割以上) +1点
・必要なキーワードが入っている、
ヒントについて触れている +1~9点
・内容が正しい+2点
解答
尚無回答
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