World history
高中
已解決

サルデーニャ王国は
プロイセン=オーストリア戦争のとき→ヴェネツィア
プロイセン=フランス戦争のとき→ローマ教皇領
を占領してイタリア王国を成立させたのですが、
どちらの戦争もサルデーニャは関係がないのに、どのように領土を取り戻したのでしょうか?
教えていただきたいです🙇‍♂️

解答

✨ 最佳解答 ✨

確かに、サルデーニャ王国にとってそのどちらの戦争も直接的な関係はないです。しかし、イタリアを統一するにあたって目の前に立ちはだかるのは強国オーストリアです。サルデーニャ王国が単独で戦っても勝てないんです。実際にイタリア統一戦争を行う前にサルデーニャ王国はオーストリアと戦争をしましたが、惨敗してしまいました。
ですのでサルデーニャ王国としては、誰かに協力してもらうしか方法はなかったのでしょう。そこで擦り寄ったのが当時の時流に乗っていたプロイセンなわけです。サルデーニャ王国はプロイセンが戦う戦争でプロイセン側に付き、戦争を協力することで、その戦争で勝ったプロイセン側に立って戦勝国として領土変換の要求を敗戦国オーストリアに突きつけることが出来たんです。これが普墺戦争です。
そして普仏戦争に関しては、単にその期間にイタリアで強勢になりつつあったサルデーニャ王国が無理やり独自でローマを併合してしまっただけで、戦争自体はそこに関わっていません。ちなみに、それによってローマ教皇が激怒し自らこの状態を「教皇のバビロン捕囚」と呼んでいましたね。後にラテラノ条約で和解をし、教皇領は一応独立した形となります。そしてそれが現在に至る世界最小の国バチカン市国となるわけです。

くう

なるほど…そんな背景があったのですね。
分かりやすい解説ありがとうございます🙇‍♂️
理解が深まりました!!

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