Senior High
古文

【古典】「木曽の最期」(平家物語)前半

22

938

0

むぎ

むぎ

Senior High所有年級

オンライン授業で説明されたものをまとめました!

毎日毎日オンライン授業で目がシパシパ( ;꒳​; )
腰はバキバキ()

ノートテキスト

ページ1:

te
「木曽の最後」
(「平家物語」)
Q 平家物語とは
軍記物語
栄華と
鎌倉時代に成立した。
『平家物語』。
没落、武士階級の台頭などを描いた。
◎軍記物語とは
戦乱を主な題材と
代の歴史を取り扱った物語類。主に平安末か
書か
倉・室町
「保元物語」「平治物語」
など。和文に漢語・仏教語・武士言葉などがら
家物語」「太平記」
和漢
とは
和文のもつ情緒
と漢
取り入山
当時の口語や武士詞(ことば)を交
0
読み
親
しまい
琵琶法師の(琵琶と演を
平曲

ページ2:

『平家物語』
冒頭部分
祇園精舎の
の声
諸行無常 の響きあ
娑羅双樹
の花の色
盛者必衰の理とあらばす。
無常観
おごれる人
久しからず、
。
ただ香の夜の夢のごとし。
猛き
にぼろご
ひとへに風の前の室
諸行無常
この世に存在するすべ
を保っ
約7変わり
永久不変な
盛者必衰
栄えて絶頂にいる者も必ず衰”
〈現代語訳>
祇園精舎の
という道理を知らせる
きがある。
沙羅双樹の花の色には
もの。
道理を
はっきりと示
世に栄え得
まるで(ほかない)香
のよ
勢い盛んな者も金
●で風に吹き
ようであ

ページ3:

Date
「木曽の最明」本文までのあらすぐ
勢力を増す中、以仁王から討伐
を受けた源氏は
義仲
清盛追
白河法皇にんを認められ上洛を果
に乗り出す。その中の一人が原義
横暴な振る舞いを重ねたことで、後白河法皇と対立す
味方は今井四即来 二人は戦いで絞り
義仲追討命令が出さ源頼朝が弟の乾頼、義経を御へ向
活皇から
わせ
大津(今の滋賀県)の打出の浜で合流した。義付軍は追い詰めら
最後の合戦
源義仲
後白河法皇
鎌倉
空と源頼朝
源氏家系図
「義仲追討!
源義仲
源義経
今井四郎兼平
VS
範頼軍
義
義朝
B
範頼
頼朝
義範頼義
「木曽の最期」最後の合戦!
源義経
ちまっ
源義仲
(今井四郎兼平
YS
範頼軍

ページ4:

本文の
-X
→音便
今井四郎・不曽殿、主従
「日ごろは何
鎧が、今日は重
今井四郎、申しける
何によってか、一領の御着育長を
し召し候ふべき。
「御身もいまだ疲れさせ給はず。御
それは御方に御勢が傾けねば、臆病でこそさは思し召し候
兼平一人傾ふとも、余の武有千駒と思し召せ。失七つ八つ候へば、
しばらく叩き失っかまつらん。あみに見
ふ、粟津の松原
あの松の中で御自害候
とて打って行くほど また新手の武石五十騎ばかり出で
木曽殿(源義仲)
「鎧が重く感じ
今井四郎(今井四郎兼平)
「お身体はまだお疲ú
「馬も弱っていません」
「味方の軍勢がいないから癒
「残った七八本の矢で防
いろ
自害してく
No.
Date

ページ5:

No.
Date
本大
「君にあの松原へ入らせ給へ。兼平にこの
と申しければ、木曽殿のた
まひろ
敵防き
「義仲郁にていかにもなるべかりつるが、これまで逃れ
なんぢと所で死なんと思ふためな
所々でたまん
ひと所でこを討ち死にともせめ、
とで、馬の自を並べて駆けんとし給
今井 四郎(今井四郎兼平)
「君(=木曽殿)にあの松原へ。私は敵を防ぎます。
よりも
11
敵を防いでい
曽殿に松
自害してもらい
木曽殿(源義仲)
「都でどうにでもなる("最期を迎える)つもりだったが
が前("兼平)と同じところで死のうと思,
ここまで逃
「同じところで死のう」
兼平と
二人とももう死ぬことは覚
てるとは思っていない
【ポイント】
木曽殿の最期として
のと
どちらがよいのかを考える。
自害する」の

ページ6:

本文
今井四郎、馬より飛び降り、主の馬の口に取
「弓矢取りは、年ごろ日ごろいかなる高
最期の時不覚しつれば、長き病にて傾
御身に疲れさせ給ひて候ふ。続く熱に喉にず
ひふかひなき人の即等に組み落とされさせ、
給ひなば、『さばかり日本国に聞こえさせ
そがしが郎等の訶ち奉
ただあの松原へ入らせ給へ
「さらばとて、栗璋の松原
今井四郎(今井四郎兼平)
「武士に死ぬときに無
「お身体にお疲
「名もなき者に
「松原く
なぜ自害を
武士は死に際バ
頭かの家来(
も
申
木曽
7給ふ。
残念だ
ださい」(3回目)
行く自害して
11
君)に討ち取られることは大将として
隔てられ、
曽殿とば、
なので、もうなる前に深く自害するのが最期としてふさわしいと思っているから。

留言

尚未有留言

News