World history
มัธยมปลาย

グレゴリウス7世の叙任権闘争は
グレゴリウス7世とドイツ国王ハイリンヒ4世のどちらも、
それぞれ教皇と国王という地位を失ったということですか?

คำตอบ

ちがいます

れたん

では、どういうことでしょうか?
教えていただきたいです

たにた

叙任権闘争とは、聖職者の任命権をめぐる争いです。
王「自分の領地のことは自分で決める」
vs
教皇「教会のトップの教皇が決める」
という具合に。

結局グレゴリーはハリーを破門し、ハリーはグレゴリーを教皇と認めない宣言を出します。
しかし、困ったのはハリーの方で当時ドイツにはハリー反対派の貴族が力をつけていたので、これを機にハリーを倒そうとしたのです。

そこでハリーはグレゴリーが滞在していたカノッサ城を訪れ、雪の中粗末な服で土下座して許しを請います。グレゴリーはハリーを許して破門を解きます。(あまりに一生懸命な姿に心を打たれた説、ハリーの兵隊に城を囲まれたため、許してあげざるおえなかった説。これは覚えなくていいです。)

その後破門を解かれたハリーはドイツに戻ると、反対派の貴族をぶっ倒してまたもや聖職者の任命権が自分にあることを主張します。
当然グレゴリーは再びキレて破門しましたが、反対派を既に倒したハリーは謝罪どころか軍隊を率いてローマを包囲します。命からがら逃げ出したグレゴリーでしたが怒りと悲しみのあまり死亡します。

たにた

ハリーが土下座した事件はカノッサの屈辱と呼ばれ
「教皇が皇帝を屈服させた!」と言われることもありますが、後にグレゴリーがぶっ飛ばされるのを見れば分かるように教皇の勝ちという訳ではなく、叙任権闘争の中の一つの事件にすぎません。
結局、ヴォルムス協約という条約で「叙任権は教皇が持つがドイツ(神聖ローマ帝国)の教会の領地については皇帝に権利がある」という決まりが結ばれるまで叙任権闘争自体は続きました。

長々と書きましたが
「聖職者の任命権をめぐり、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世とグレゴリウス7世が争ったが、教皇に破門された皇帝は謝罪しました(カノッサの屈辱)。当時キリスト教から破門されるってこれくらいヤバかった」
とだけ覚えておけばいいと思いますよ😎

れたん

すごい!一気に深まりました
有難う御座いました😭

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