諸葛亮が「戦争をするのはよくない」という趣旨を述べた明確な記録は三国志の正史や演義には見当たりませんが、彼の用兵や内政思想、また北伐の背景から、戦争を避けたい、または戦争のリスクを重く見る姿勢は読み取れます。
まず、諸葛亮は本来、内政や外交に優れた人物であり、軍事は得意ではなかったとする指摘も存在します。しかし、蜀漢の存続や漢王朝復興という国家目標のため、やむを得ず戦争(北伐)を選択した側面があります。
その背景には、戦争が国力や民心を大きく消耗させ、敗戦時には政権の崩壊や内乱の危険もあるという認識がありました。実際、諸葛亮は劉備の夷陵敗戦による混乱や、外征失敗のリスクを身をもって体験しています。彼は「外征はリスクの大きい政策」と自覚し、慎重な用兵を心がけ、できるだけ軍や政権を崩壊させないように配慮していました。
加えて、諸葛亮の思考には孫子の兵法「戦わずして勝つ」「信賞必罰」などの影響があり、戦争そのものよりも、外交や内政による安定を重視する傾向がありました[5]。戦争は国力や民を消耗させ、政権の存続にも直結するため、「戦争をするのはよくない」という意識があったと考えられます。
まとめると、諸葛亮が「戦争をするのはよくない」と考える理由は、戦争が国力や民心を大きく消耗し、政権の安定や存続を脅かす危険があるためであり、彼自身がそのリスクを熟知していたからです。しかし、蜀漢の存続や国家目標のため、やむを得ず戦争を選択した側面も否定できません。