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フランス革命の質問です回答してくださった方フォローベストアンサーします。
オーストリアに対する宣戦布告を王が提案しそれが議会で可決されオーストリアに宣戦布告をしたとい流れの中でルイ16世のお嫁さんマリーアントワネットはオーストリア出身の方なはずです。情報をオーストリア側に横流しするからといってもかならず勝つとは言いきれなかったのに嫁の出身国(味方側?)であるオーストリアに宣戦布告したのか分かりませんオーストリアではないといけない理由があったのですか?
革命を潰すためなら他にも国はあったはずなのになぜオーストリア?という質問です

คำตอบ

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長くなりますが、説明します。

「オーストリアに対する宣戦布告を王が提案しそれが議会で可決されオーストリアに宣戦布告をしたとい流れ」
>これは1792年4月の対オーストリア宣戦のことでしょうか?もしそうであるなら、宣戦布告を提案したのは国王ルイ16世ではなくジロンド派内閣です。
1791年にオーストリアとプロイセンからピルニッツ宣言が発されます。これは、“革命をやめろ、さもなくば黙っちゃいねぇぞ”というフランスへの警告でした。しかし立法議会は革命の理念を広げるためにオーストリア宣戦を可決し、開戦に踏み切ります。
そのときまだ形式的には国王であったルイ16世はどうしていたかというと、なんと宣戦布告を承認しています。なぜなら、ルイもマリーも戦争になればオーストリアが勝つだろうと期待していたためです。

「ルイ16世のお嫁さんマリーアントワネットはオーストリア出身の方なはずです。情報をオーストリア側に横流しするからといってもかならず勝つとは言いきれなかったのに」
>その通り、彼女はオーストリア出身です。ここで一度確認ですが、国王ルイ16世は反革命派です(国王という自分の立場が危うくなるので)。
ルイ16世(とマリー)がオーストリアと通じていたため、フランス軍の動きはオーストリアに筒抜け。さらに、軍を指揮する将校もほとんどが貴族でモチベーションが低いこともあり、当初フランスは連戦連敗でした。
この状況なら、ルイもマリーもオーストリアが勝つと予想するでしょう。

「嫁の出身国(味方側?)であるオーストリアに宣戦布告したのか分かりませんオーストリアではないといけない理由があったのですか?」
>実は1791年のピルニッツ宣言のあと、フランスには他国からの革命干渉の脅威が迫っていました。そんな中、1792年3月にフランス政府は「亡命した貴族をフランスに送還せよ」という最後通牒(=国家間での紛争の平和的処理のための交渉を打ち切って自国の最終的な要求を相手国に提出・その無条件受諾を要求し、それが受け入れられない場合は自由行動をとることを述べた外交文書)をオーストリアに提出しています。オーストリアはそれに応えませんでした。その結果が、「対オーストリア宣戦」でした。
これが「オーストリアに宣戦」した理由ですが、高校世界史の範囲を超えるので覚えなくて大丈夫です。

フランス革命 ルイ16世 マリ=アントワネット オーストリア宣戦 ジロンド派内閣 ピルニッツ宣言
なつめ

詳しく質問に答えて下さりありがとうございました!

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