ノートテキスト
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No. Date 社会運動の勃興と普撰運動 1.社会運動勃も卵の背景 ①ロシア革命(1917)byレーニン、米馬動(1918)など 民衆運動の高揚 ②大戦中の経済発展による労働者の増加 ③物価高による民衆の困窮 70万人参加 米騒動…富山県で米価高騰と 対する漁村の主婦たちの蜂起 を機に全国にわたり料下は 安売りを要求した暴動の一部に 軍隊も出勤するほど。 2.労働運動:労働争議の件数が急増 ぶんで 1912年 友愛会の結成:鈴木治らにより設立 労働争議…労働時間。賃金 などをめぐって労働者と経営者の → 目的は労働者の地位向上と福祉の増進間に起こる争い 労働者と資本家の融和をはかる あまり過激ではない 労資協調主義を唱える 1916年 工場法施行 1912年(大正元年 いくひと2人大正元年 工場法…最低年齢12才 1917年 ロシア革命 労働時間12時間・女性・年少者 の深夜業禁止など。不備な点多い 1918年 米騒動:これ以後社会運動が活発化 3500 |小作争議 件数 件 小作争議 参加人員 3000 千人 150 2500 2000 100 00 議 1500 労働争議 参加人員 1000 50 1919年 大日本労働総同盟友会と改称 →全国組織に発展 → 1920年 第一回メーデー(5/2 東京上野) - 労働者の祝日、大日本労働総同盟 友愛会が中心 1921年 日本労働総同盟と改称 ・資本家と間の階級闘争主義に方向を転換 機関紙「労働」を発行 各争議件数 労働争議件数 500 労働組合数 20 0 1917年18 19 20 21 22 23 24 25 26 28 29 30 31 三菱・川崎造船所争議:神戸で発生した 階級闘争主義・資本家に 戦前最大の労働争議対してストなどの直接行動 参加人員
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1925年 日本労働組合評議会 No. Date 日本労働総同盟を除外された左派に より結成の 左翼のより左側 1926年 労働争議調停法 3. 農民運動:寄生地主制の発達のもとで小作料減免を寄生地主制 求める小作争議が頻発 ... 自らは農業経営 せず小作農に貸しつけて高額な 日本初 小作料に依存する制度。 1922年 日本農民組合の結成:小作人組合の全国組織 ->> 賀川豊彦、杉山元治郎らが結成。 賀川豊彦…キリスト教社会主義者 自伝「死線を越え?」 1924年 小作調停法 4.社会運動 1916年 東京帝国大学教授吉野作造の民本主義 1918年 - 民本主義・・・天皇制を認めたうえで 総合雑誌「中央公論」に「寛政の本義を政治は世論にしたがい民衆の みち 説いて共有終の美を消すのを論ず」を 発表の 黎明会の結成:吉野作造がデモクラシー思想の 拡大をめざし設立 吉野作造の影響を受けた学生たちが かつまる 東大新人会(赤松克麿)などの思想団体を 結成し労働運動や農民運動との関係を 深める 利益をはからなければならない と主張し、政党内閣制・普通 選挙実施を達成目標とした。
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9. 国家改造運動の発生 スーパー右翼 1919年 猶存社の結成:北一輝軍・大川周明らの 国粋主義団体 たいこう ※1 ユヒール軍 日本改造法案大綱」 国家社会主義的に改造
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No. Date 7. 部落解放運動 1922年 全国水平社の結成:西光万吉らによる被差別 「 水平社宣言」 部落の解放運動 政府の融和運動に頼らず自主的な 差別撤廃をめざす 人の世に熱あれ、人間に光あれ。 8.管運動 第一期(1892~1918) ⇒ブルジョア有志の運動 1899年 第一期 ・1890年代に入り、 普通選挙期成同盟会(のち普通選挙同盟会) だち 京で中村太八郎・河野広中・大井憲太郎 産業革命の進行、資本主義の発展に つれて社会問題が発生すると、その 片山・幸徳秋水らが中心となり結成 解決策を普通選挙法にみいだして 運動する人々が集れた。 1911年 普通選挙法案、衆議院を通過するが 貴族院で否決される 第二期(1919~20)⇒原敬内閣の普選運動弾圧 1919年 選挙資格条件の直接国税納入額が 10円から3円に下がる 1 1920年 男性普通選挙権獲得を求める運動が高揚 原敬内閣は消極的 第三期(1922~25) ⇒官僚や政党の妥協 1 加藤友三郎内閣のころから普通選挙権の検討を始め 第2次山本権兵衛内閣も導入の方針を固めていたが... 1923年 関東大震災、虎の門事件による総辞職で 立ち消えになる 1924年 第二次 1925年 運動:清浦奎吾内閣総辞職 普断行を唱える①加藤高明内閣成立 普通選挙法の制定:実施は28年
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No. 護憲三派内閣の成立(教:332) 1.大正末期の内閣 (1)加藤友三郎内閣(1922~23) 1922年 日本共産党結成 シベリア撤兵完了 1923年 石井・ランシング協定石投棄 (2)第二次山市権兵衛内閣(海軍,1923) 1923年 関東大震災 (9/1) ○戒厳令一ヵ月間のモラトリアムを実施 ○戒厳令下で一般民衆の結成した 自警団による朝鮮人虐殺事件 亀戸事件 戒厳令下の東京で13名の労働運動 指導者らが警察・軍隊により殺害 甘粕事件 Date 戒厳令…非常事態に際し 軍隊に治安権限を与える。] モラトリアム 一時停止すること。 *** 銀行が支払いを 報復 戒厳令下の東京で無政府主義者 大杉栄・伊藤野枝が憲兵隊の 甘粕正彦に絞殺される。 無政府主義 虎の門事件 アナーキズム 国家・議会・宗教などの一切の 権力を否定することで、理想的な 社会ができるという考え。 ひろひど 摂政宮裕仁親王(のちの昭和天皇) が無政府主義者 波大助に [狙撃される。] 結果⇒政府は無政府主義・共産主義に対する 警戒を一層強める
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No. Date 5.社会主義運動:大逆事件以来の「冬の時代」から 米騒動以後に活動を再開 1920年 日本社会主義同盟の結成(翌年禁止) ・内部対立が激しい 1920年 森戸事件:東京帝国大学助教授森戸辰男が 「大逆事件・・・明治天皇の暗殺を 計画したという理由で幸徳ら 社会主義者が処罰された事件の 社会に大きなショックを与え しばらくは鳴りをひそめ 「クロポトキンの社会思想の研究」に 「冬の時代」をむかえた。 より休職処分 ひとし 1922年 日本共産党の結成(非合法):堺利彦・山川均ら →コミンテルン(国際共産党)の日本支部として 6.女性解放運動 1911年の結成:平塚雷鳥らによる女流文学者団体「青鞜」 → 雑誌「青」を発刊し、女性解放を主張 元、女性は実に太陽だった。 1920年 新婦入協会:平塚雪や市川房枝が中心 →参政権の要求など女性の地位向上のための 運動を展開 1921年 赤潤会:山川菊栄 伊藤野枝中心の 社会主義的婦人団体 1922年 治安警察法第5条の改正に成功 →女性の政治集会への参加が認められる 1924年 婦人参政権獲得期成同盟会に発展: 女性の選挙権獲得をめざす
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1925年 治安維持法 1925年 背景:①日基本条約による共産主義思想の 彼を防ぐ ②普通選挙法制定により予想される 無産政党の進出をあらかじめ予防する 普通選挙法制定 内容:満25才以上の男子に選挙権 →有権者が一挙に4倍に増加 公布年公布時の 実施年 選挙人 内閣 直接国税 性別年齢 総数 全人口比 (歳以上) (万人) (%) 1889 黒田 1890 15円以上 男性25 45 1.1 1900 山県 1902 10円以上 〃 98 2.2 1919 原 1920 3円以上 〃 306 5.5 1925 加藤(高) 1928 制限なし 1240 20.8 1945 幣原 1946 " 男女20 3688 50.4 3. 政党内間の継続 (1) 第二次加藤高明内閣(憲政会1925~26) 立憲政友会が陸軍・田中義一を迎え、革新倶楽部 を吸収 護憲派の提携が解消、加藤内閣は 憲政会を単独与党とする内閣を組織。 首相の病死のため総辞職 (2)第一次 若槻礼次郎内閣(寛政会1926~27) 1926年 大正天皇が死去し、摂政の裕仁親王が 即位 昭和へ改 金融恐慌 1927年 * 金融恐慌の収拾を試みるが、幣原喜重郎外相 の協調外交に不満をもつ枢密院により挫折 総辞職する。 No. Date
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No. Date (3)清浦奎吾内閣(枢密院、1924)⇒超然内閣 ○枢密院議長であった清浦は 貴族院・官僚勢力を背景に組閣 1924 「第二次護憲運動 2.第二次護憲運動と憲三派内閣の成立 (1)憲政会・立憲政友会・草倶楽部が提携し、 護憲派となり、清浦奎吾内閣打倒を掲げ 憲政擁護運動を展開 →清浦内閣は立憲政友会から分派した政党と 結び議会を解散、総選挙へ (2) 総選挙では護憲三派が圧勝 清浦内閣は 総辞職 *第一次護憲運動に比べ 民衆運動は盛り上がらず 憲政会 :総裁 加藤高明 立憲政友会 :総裁高橋是清 革新倶楽部:代表 犬養毅 連立内閣を組間 首相は第一党の憲政会の加藤高明 (3) 第一次加藤高明内間(護憲三派、1924~25) 1924年 小作調停法 婦人参政権獲得期成同盟会結成 1925年 日り基本条約:ソ連と国交樹立 1925年 治安維持法制定 内容:「国体」の変革と「私有財産制度」の 否認を目的とする結社の組織者と 参加者を処罰(=共産主義・ 無政府主義者の弾圧) 治安維持法 治安維持法(一九二五年) 以下ノ懲役又禁錮ニ処ス。..... トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者八十年 第一条 国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的 改正治安維持法(一九二八年) 者ハ、 十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス。...... 加入シタル者又ハ結社ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者、結社ニ 又ハ無期若ハ五年以上ノ懲役若ハ禁錮ニ処シ・・・・・・私有財産制 又ハ結社ノ役員其ノ他指導者タル任務ニ従事シタル者ハ死刑 第一条 国体ヲ変革スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者、 ( 『官報』) 十目 年的
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No. Date (3) 田中義一内閣(立憲政友会、1927~29) 野党となった憲政会は政友本党と合同い 立憲民政党を結成。 (4)以後、浜口雄幸内閣(立憲民政党)・第二次若槻 礼次郎内閣(立憲民政党)・犬養毅内閣(立憲 政友会)まで、立憲政友会と立憲民政党の二大政党の 総裁が相互に組閣=憲政の常道(1924~32) 8年間) 4. 大正デモクラシー:大正期の時代風潮・社会運動 ①内容:市民的自由(言論・出版・集会)と政治参加 (政党政治・管理論)要求 推移: 第一護憲運動(1912) 平民宰相原敬内閣(1918) 第二次護憲運動・男性普通選挙制成立 (1925) 憲政の常道へ
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憲政党 1898 憲政党 立憲政友会 1898 (板垣退助) 1900 (伊藤博文) 1924 憲政本党 立憲国民党 革新倶楽部 1898 1910 (大隈重信) 1922 (犬養孝) 大正・昭和初期 立憲同志会 憲政会 立憲民政党 政党の系譜 1913 (桂太郎) 1916 (加藤高明) (若槻礼次郎) 1927
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Senior High
日本史B
社会主義者に関連して、正しいものをひとつ選びなさいという問題です。 ①男性普通選挙権の獲得を求める運動は、1919年から1920年にかけて大衆運動として盛り上がり、それを受けて政府でも普通選挙制の検討がはじまった。 ② 男性普通選挙は、第1次憲政擁護運動の中心となった護憲三派を基盤とする加藤高明内閣によって実現した。 ③ 男性普通選挙の実現に合わせて治安維持法が制定され、治安警察法は廃止された。 ④ 1928年に第1次若槻礼次郎内閣の下で初の男性普通選挙として行われた衆議院議員総選挙では、無産政党から8人が当選した。 よろしくお願いします
Senior High
日本史B
歴史が大好きな方へ こちらの問題、妹のものなのですが、最後のパ○○の部分は何が当てはまるのでしょうか 先生は答えを教えて下さらなかったようです 調べてもそのようなものは出てこず、私も気になりすぎて困ってます💦 ちなみにこれは大正時代の問題で、答えはパンツ・パーマではないそうです 分かる方いらっしゃいましたら教えて頂けると嬉しいです よろしくお願いします🙇♂️
Senior High
日本史B
大正デモクラシーが現代の 民主主義につながらなかった理由を 教えてください🙇♀️
Senior High
日本史B
日本史・近代・大正時代についてです。1917年の石井・ランシング協定は「悪化した日米関係の改善」が目的だったということですが、何故日米関係は悪化したのか教えてください🙏🙏
Senior High
日本史B
1部でもいいので答え教えてください🙇♀️
Senior High
日本史B
入学前の高校の課題です 教科は日本史で、時代区分についての質問です! 問2.3.4が分かりません😭 分かる方お願いします🙇♀️
Senior High
日本史B
円の国際的信用の維持 とはどういう意味ですか?
Senior High
日本史B
なんの日本史の参考書か分かる方いらっしゃいますか?
Senior High
日本史B
日本史 第10章 二つの世界大戦とアジア より ①ワシントン条約が成立する二つの条件 ②生活物資が欠ごう(?)した理由 について教えて頂きたいです🙏 また、この時代の事件と運動で特に重要なものがあれば教えてください!(こっちは書いてもらわなくても全然大丈夫です!!)
Senior High
日本史B
空いてるところ教えて欲しいです!至急です🥲
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