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44 説明的文章 ⑥
覚がないから、便所のスリッパのまま畳の部屋にはいりこんで主
基本問題 >>>>>
わてさせたりするのである。
〈熊本>
次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。
日本人は住まい方において、内と外とを厳しく区別するという行動
様式を示す。最もはっきりしたその現われは、家の中にはいる時には
3このような家の内と外、部屋の内と外の区別は、物理的とい
もむしろ心理的なものである。つまりそれは、意識の問題であり、
観の問題である。
あら
[②という習慣である。今日のように鉄筋コンクリートのマンション
そうごん
に椅子とテーブルの生活という洋式を採用しているところでも、まずほ
とんどの日本人はこの風習を守り続けているであろう。もちろん、西欧
社会でも、家に帰れば内履きにはきかえるということはよくあるが、そ
れは私的な環境でくつろぐためであって、例えばお客を迎える時はきち
んと靴をはくし、客も靴のまま家の中にはいって少しも怪しまない。だ
が日本ではお客にたいしても靴を脱ぐことを当然のこととして要求する
ので、慣れない外国人は当惑するということになる。 空間構造はつなが
っているように見えながら、行動様式では内と外は明確に区別されてい
るのである。
どの社会にも、聖なる空間を大切にする習慣があって、その
立派な教会堂や荘厳な神社が建てられる。だが西欧の教会建築は
って内外の区別がはっきりしており、壁の内部は聖なる場所で、
は俗世間ということがかたちの上でも明確だが、日本の神社で聖
間を示すものは、物理的には境界として何の役にも立たない鳥
る。つまり一歩鳥居をくぐれば神の空間であるというのは、もっぱ
れわれの意識の問題なのである。
とびし
あいまい
似たような例として、お寺や日本式料亭の庭の飛石の上に、
十文字に縄をかけた小さな石が置かれていることがある。これは
と呼ばれるもので、ここから先は立入禁止というしるしである。
れも、その気になれば簡単にまたいていけるもので、物理的には
碍にもならない。関守石の存在によって空間が区別されるのは、
れの意識のなかにおいてである。
がい
2 このことは、間仕切りの曖昧な家の中においても同じである。お客
にたいして、靴の代わりに室内用のスリッパを提供するというのは、今
ではごく普通に行われている。だがそのスリッパも、板の間や廊下なら F
よいが、畳の座敷に上がる時は再び脱がされる。というよりも、普通の
日本人なら、スリッパのまま畳の部屋にはいることには、大きな抵抗感
があるであろう。あるいは、たいていの家では、便所にはまた別の専用
のスリッパがあって、そこでまたはきかえるということになる。日本人
にとっては、それはごく当たり前のことだが、西洋人にはそのような感
このように、眼に見えないかたちで内外の区別が成立する
は、鳥居や関守石の意味についての共通の理解を前提とする。 そ
の理解を持った集団、ないしは共同体が日本人にとっては「身内
リ「仲間」であって、その外にいる者は「よそ者」ということに
日本の家がしばしば「うち」と呼ばれるように、家族は「身内」の
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