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歴史 中学生

問4教えてください

2 勇平さんは,わが国で新しい紙幣が発行されることを知り, 紙幣に新しく描かれる 人物と過去に描かれた人物について, カードにまとめた。 カードをみて,各問に答えよ。 <カード〉 ① 文化の発展に貢献した人 21 310 津田梅子 学校教育が普及する中, 女子教育の発展に尽力し、 女子英学塾を設立した。 (A)) しょうふう けっせいりょうほう 破傷風の血清療法の 発見など, 世界的にも 最先端の研究を行った。 経済の発展に貢献した人 国際関係の発展に貢献した人 ほうせき 銀行業や②紡績業など, 様々な業種で,数百の 企業の設立に関わった。 800 しぶさわえいいち 渋沢栄一 問1 下の内は, 勇平さんが下線部 ① について調べ, まとめたものの一部である。 あの()にはあてはまるものを、いの()にはカードの (A) にあてはまる人物を, それぞれ一つ選び, 記号を書け。 がくせい ちょくご 全国に小学校を設立するあ a 学制, 100%に近づいた。 教育の広がりを背景に近代文化が発展しい (c 夏目漱石, など すぐれた科学者が活躍した。 b 教育勅語)が定められ、 日露戦争後には就学率が 北里柴三郎) なつめそうせき 90 2 下線部②について 資料 Ⅰ にみられる 〈資料 Ⅰ > わが国の綿糸の生産量と輸出入量の変化 変化を輸出量と輸入量に着目して書け。 180 eros (Ft) PUSOS また、その変化の理由の一つを 資料 Ⅰ から読み取り, 「軽工業」 の語句を使って 書け。 0 1893 0 生産量 事務局次長として活躍した ③ 国際連盟の平和の理念は ④ 国際連合に受け継がれた。 29 と ぞう 新渡戸稲造 1895 問3 下の□内は, 下線部 ③ について説明したものである。 (イ) にあてはまる語句を -TCHE 書け。またの( )にあてはまる人物を一つ選び, 記号を書け。 26 22: 23 第一次世界大戦後に開かれた講和会議の後 (⑨) 条約が結ばれた。 この講和会議で 日 (あウィルソン, いレーニン) が提案し、 国際連盟の設立が決定された。 29 問4 下線部 ④ について 資料 ⅡI の 〈資料 ⅡI > 国際連合の加盟国数の変化 V~Z は, アジア州, アフリカ州, 4 mun 9 -2 1960年 オセアニア州, 南北アメリカ州 1945年 1422 ヨーロッパ州 (旧ソ連を含む)の いずれかを示している。 アフリカ州に あてはまるものを一つ選び, 記号を 1975年 書け。また, 資料ⅡI のように アフリカ州の国際連合の加盟国数が 変化した主な理由を書け。 40 1899年 - 輸出量 輸入量 (「日本長期統計総覧」から作成) 1897 35 26 -2 80 47 120 -4 160 (国) VW IXY Z (国際連合広報センターホームページ等から作成 )

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なぜ写真の答えになるのかがわかりません。

5 10 第三語 社会 六山崎 正和『日本文化と個人主義』 次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。 明治から大正の前半にかけて、日本の知的社会の構造は単純であって、ひと握りのエリートと 大多数の大衆に二分されるだけであった。もちろん、知的な階層性は経済的な階級性とは異なり、 上下の差は漸層的なものであって、かなりの程度に主観的な要素によって作り出される。経済的 な力とは違って、知的な優越性は個人の努力によって達成されやすいし、実際、日本の近代化の 過程で知的なエリート、あるいはエリートだと自認する人間の数は着実に増えて来た。しかし、 この過程を支配していたのはあくまでも二極対立的な価値観であり、一方に エリート、他方に大 衆、いいかえれば「学界」と草の根層を対置する単純な社会の構図であった。 これにたいして、大正後期に始まった知識社会の急激な膨張、いいかえれば、知的な階層性の こ州。 急速な暖味化は、ム皮肉なことに、知識人のあいだにかえって主観的な階層性の意識を増大した。 本来、エリートとは定義上、選ばれた少数者のことであるから、その数が膨張することは一 そのさい膨張したエリート階層のなかに新たな区別の意識が芽ばえ、純粋なエリートとそれに準 ずる人間を階層化しようとするのは、自然な心理の動きであろう。その結果、昭和初年の日本に 現れたのは、エリートとそれに準ずる知的な中間階層、ならびに旧来の大衆層からなる、いわば 1三層構造を持った知的社会であった。 Mどんな場合にも、社会の階層的な区別は、区別によって下積みに置かれた側によってまず鋭く 5 意識される。新たな階層化の出現を意識したのは、いうまでもなく であり、それとともに 急成長を見せた新聞、出版ジャーナリズムであった。一九一七年、ロシアに起った革命は、その なかで活躍した仮体制説な知識人、いわゆるインテリゲンチャの存在を世界に知らしめた。日本 でもこの言葉が輸入され、やがてその短縮型「インテリ」が流行語になるにつれて、これは新し い知的な中間階層がみずからを同定し、呼びならわすための恰好の用語となった。昭和初期の知 識社会は、主として学界に生きる専門研究者と、主としてジャーナリズムに拠るインテリのあい だで、しだいに目に見えるかたちで分裂を深めて行った。新興のインテリの複雑な『自悔の感情 と学界人への反抗心は、昭和二年(一九二七)七月の日付を持つ、「岩波文庫」の発刊の辞にじつ にみごとに要約されている。 の真理は万人によって求められることを自ら欲し、芸術は万人によって愛されることを自ら望む。 、もる S かつては民を愚味ならしめるために学芸が最も狭き堂宇に閉鎖されたことがあった。今や知識と 美とを特権階級の独占より奪い返すことはつねに進取的なる民衆の切実なる要求である。岩波文一 庫はこの要求に応じそれに励まされて生まれた。それは生命ある(フキュウの書を少数者の書斎 と研究室とより解放して街頭にくまなく立たしめ民衆に伍せしめるであろう。 ら流行の社会主義用語をちりばめながら、ここで筆者が直接の敵としているのは、「少数者の書斎8 と研究室」である。はたして、知識と美が特権階級に独占されうるものかどうか疑わしいし、そ れが物質のように奪い返せるかどうかもっと疑わしいが、ともかく、この筆者の眼にある種の知 識人が特権階級のように見えていたことは、確実である。 そして、さらに確実なことは、この将権階級が社会的にどういう地位にあるかは問わず、少な

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現代文 高校生

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10 第三調 社会 六山崎 正和『日本文化と個人主義』 次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。 明治から大正の前半にかけて、日本の知的社会の構造は単純であって、ひと握りのエリートと 大多数の大衆に二分されるだけであった。もちろん、知的な階層性は経済的な階級性とは異なり、 上下の差は漸層的なものであって、かなりの程度に主観的な要素によって作り出される。経済的 な力とは違って、知的な優越性は個人の努力によって達成されやすいし、実際、日本の近代化の 過程で知的なエリート、あるいはエリートだと自認する人間の数は着実に増えて来た。しかし、 この過程を支配していたのはあくまでも二極対立的な価値観であり、一方にエリート、他方に大 衆、いいかえれば「学界」と草の根層を対置する単純な社会の構図であった。 )これにたいして、大正後期に始まった知識社会の急激な膨張、いいかえれば、知的な階層性の 二州。 急速な暖味化は、“皮肉なことに、知識人のあいだにかえって主観的な階層性の意識を増大した。 本来、エリートとは定義上、選ばれた少数者のことであるから、その数が膨張することは一 そのさい膨張したエリート階層のなかに新たな区別の意識が芽ばえ、純粋なエリートとそれに準 ずる人間を階層化しようとするのは、自然な心理の動きであろう。その結果、昭和初年の日本に 現れたのは、エリートとそれに準ずる知的な中間階層、ならびに旧来の大衆層からなる、いわば 三層構造を持った知的社会であった。 Mどんな場合にも、社会の階層的な区別は、区別によって下積みに置かれた側によってまず鋭く6 意識される。新たな階層化の出現を意識したのは、いうまでもなく一 であり、それとともに 急成長を見せた新聞、出版ジャーナリズムであった。一九一七年、ロシアに起った革命は、その なかで活躍した仮体制誘な知識人、いわゆるインテリゲンチャの存在を世界に知らしめた。日本 でもこの言葉が輸入され、やがてその短縮型「インテリ」が流行語になるにつれて、これは新し い知的な中間階層がみずからを同定し、呼びならわすための恰好の用語となった。昭和初期の知 0 識社会は、主として学界に生きる専門研究者と、主としてジャーナリズムに拠るインテリのあい だで、しだいに目に見えるかたちで分裂を深めて行った。新興のインテリの複雑な王自侍の感情 と学界人への反抗心は、昭和二年(一九二七)七月の日付を持つ、「岩波文庫」の発刊の辞にじつ にみごとに要約されている。 I真理は万人によって求められることを自ら欲し、芸術は万人によって愛されることを自ら望む。 S。 かつては民を愚味ならしめるために学芸が最も狭き堂宇に閉鎖されたことがあった。今や知識と 美とを特権階級の独占より奪い返すことはつねに進取的なる民衆の切実なる要求である。岩波文 庫はこの要求に応じそれに励まされて生まれた。それは生命ある(フキュウの書を少数者の書斎 と研究室とより解放して街頭にくまなく立たしめ民衆に伍せしめるであろう。 5流行の社会主義用語をちりばめながら、ここで筆者が直接の敵としているのは、「少数者の書斎s と研究室」である。はたして、知識と美が特権階級に独占されうるものかどうか疑わしいし、そ れが物質のように奪い返せるかどうかもっと疑わしいが、ともかく、この筆者の眼にある種の知 識人が特権階級のように見えていたことは、確実である。 宅して、さらに確実なことは、この将権階級が社会的にどういう地位にあるかは問わず、少な

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現代文 高校生

問5,6解答根拠が全くわかりません。 教えてください!

第三講 社会 六山崎正和『日本文化と個人主義』 次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。 明治から大正の前半にかけて、日本の知的社会の構造は単純であって、ひと握りのエリートと 大多数の大衆に二分されるだけであった。もちろん、知的な階層性は経済的な階級性とは異なり、 上下の差は漸層的なものであって、かなりの程度に主観的な要素によって作り出される。経済的 な力とは違って、知的な優越性は個人の努力によって達成されやすいし、実際、日本の近代化の LG 過程で知的なエリート、あるいはエリートだと自認する人間の数は着実に増えて来た。しかし、 この過程を支配していたのはあくまでも二極対立的な価値観であり、一方に エリート、他方に大 衆、いいかえれば「学界」と草の根層を対置する単純な社会の構図であった。 これにたいして、大正後期に始まった知識社会の急激な膨張、いいかえれば、知的な階層性の 急速な暖味化は、“皮肉なことに、知識人のあいだにかえって主観的な階層性の意識を増大した。 本来、エリートとは定義上、選ばれた少数者のことであるから、その数が膨張することは 1_ そのさい膨張したエリート階層のなかに新たな区別の意識が芽ばえ、純粋なエリートとそれに準 ずる人間を階層化しようとするのは、自然な心理の動きであろう。その結果、昭和初年の日本に 現れたのは、エリートとそれに準ずる知的な中間階層、ならびに旧来の大衆層からなる、いわげば 1三層構造を持った知的社会であった。 mどんな場合にも、社会の階層的な区別は、区別によって下積みに置かれた側によってまず鋭く 5 意識される。新たな階層化の出現を意識したのは、いうまでもなく一 であり、それとともに N 急成長を見せた新聞、出版ジャーナリズムであった。一九一七年、ロシアに起った革命は、その一 なかで活躍した食体制誘な知識人、いわゆるインテリゲンチャの存在を世界に知らしめた。日本 でもこの言葉が輸入され、やがてその短縮型「インテリ」が流行語になるにつれて、これは新し るリの い知的な中間階層がみずからを同定し、呼びならわすための恰好の用語となった。昭和初期の知 識社会は、主として学界に生きる専門研究者と、主としてジャーナリズムに拠るインテリのあい だで、しだいに目に見えるかたちで分裂を深めて行った。新興のインテリの複雑な「自侍 と学界人への反抗心は、昭和二年(一九二七)七月の日付を持つ、「岩波文庫」の発刊の辞にじつ にみごとに要約されている。 I真理は万人によって求められることを自ら欲し、芸術は万人によって愛されることを自ら望む。 S かつては民を愚味ならしめるために学芸が最も狭き堂宇に閉鎖されたことがあった。今や知識と 美とを特権階級の独占より奪い返すことはつねに進取的なる民衆の切実なる要求である。岩波文 庫はこの要求に応じそれに励まされて生まれた。それは生命ある。フキュウの書を少数者の書斎 と研究室とより解放して街頭にくまなく立たしめ民衆に伍せしめるであろう。 5 流行の社会主義用語をちりばめながら、ここで筆者が直接の敵としているのは、「少数者の書斎0 と研究室」である。はたして、知識と美が特権階級に独占されうるものかどうか疑わしいし、そ れが物質のように奪い返せるかどうかもっと疑わしいが、ともかく、この筆者の眼にある種の知 職人が特権階級のように見えていたことは、確実である。 Caして、さらに確実なことは、この将権階級が社会的にどういう地位にあるかは問わず、少な

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歴史 中学生

(4)の答えが1なんですが、教科書を見ると3も書いてあったんですよ。でもいつなのかよくわからなくて🤔どれがいつ起きたか教えて貰えませんか?

4 下の国~回は, ある生徒が歴史の授業で興味をもったことについて, まとめたカードである。次 の(1) (6)に答えなさい。 (15点) A 日本の開国 B C 近代文化の形成 占領下の日本 ペリーが来航し,( あ ) 条約が結ばれた。その後, 質 おか 明治時代,フェノロサが岡 お太平洋戦争で敗戦した日 くらてんしん 倉天心とともに日本美術の復 本は,マッカーサーを最高司 易を行う条約も結ばれ, 民衆 の生活が変わると, 不安や不 興に努め,う文学では新しい 令官とする連合国軍最高司令 動きが見られ,自然科学が発 官総司令部(GHQ) の指令に ねっきょう 満からO熱狂するさわぎが各 達した。また, 明治時代後 従っての戦後改革を行った。 地で流行した。 半には学校教育も普及した。 (1)( あ )にあてはまる語を書きなさい。 資料1 (2)資料1は, ① の様子を表している。 このできごと 「として適切なものを, 次の1~4の中から一つ選び, その 番号を書きなさい。 1 打ちこわし 2 ええじゃないか きんゆうきょうこう 3 金融恐慌 4 文明開化 (3)の の中で女性文学者として活躍した人物を, 次の1~4の中から一つ選び, その番号を 書きなさい。 なつ めそうせき ほうじょうまさ 1 夏目激石 2 北条政子 つだうめ こ ひぐちいちよう 3 津田梅子 4 樋口一葉 (4)の について述べた文として適切なものを, 次の1~4の中から一つ選び,その番号を書 きなさい。 1 小学校の就学率は,男女ともに9割をこえた。 2 男女共学となり,義務教育は小学校6年, 中学校3年となった。 3 小学校の名称が国民学校に変わり, 軍国主義的な教育が行われた。 4 小学校では自主性を重視する自由教育の運動が始められた。

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