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世界史 高校生

( )の部分が分かりません、、 至急教えて欲しいです🙇

5 古代ギリシア (2) 教科書 p.66 ☆ポリスの成立と発展 (1) ポリスとは何か? 城壁内部と周辺の農村を合わせた都市国家 前8C貴族のもと(アクロポリス (城山)) を中心に人々が集住 (シノイキスモス)して形成 麓には市民の活動(市場・集会など)を行う(アゴラ) (広場)が設けられた 周囲は城壁で囲まれ、 城壁の外側のクレーロス (市民の私有地)では作物を栽培 住民は(市民)(自由人)と(奴隷) ポリスは大小1000 以上あり、各ポリスは独立国家で、 ポリス間の対立抗争が多い ↓ 戦いながらもギリシア人としての同胞意識を共有 (仲間意識が強い)=自分たち... レネス ) || 異民族・バルバロイ) ex. オリンポスの12神やデルフォイのアポロン神の神託を信じる ・(オリンピア)の祭典を開く(前776年に始められる) (アテネ)(イオニア人の集住で成立) スパルタ(ドーリア人が先住民を征服して成立) I *スパルタ教育とは? なぜ? 厳しい子育て → 男子は7歳で合宿所に入り、集団生活・ 軍事訓練 ☆民主政へのあゆみ (1) アテネの政治はどのように変わったのか? (貴族)政→民主政 * なぜか? ※ポリスの政治の実権=「( 前7C~人口増加 土地不足などにより( )を担う者が政治も担う」 武器は自分で調達 )を建設して貿易を行う )王国から貨幣の製造も伝わり、ギリシアの商工業が発達 → 平民の富裕化 ※ギリシア人植民市 (シラクサ)マルセイユ(ネアポリス) ナポリ ・ビザンティウム ) - イスタンブルなど

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社会 小学生

このページの答え教えてください🙇‍♀️

00 社会 6 1 次の文を読み、 あとの問いに答えましょう。 やよい 日本のあゆみ ① 米がつくられるようになった時代 (弥生時代)、米を保存するためのくふうがされた建物が建てられる ようになりました。 (1) この建物を、次のア~エから選び、記号で答えましょう。 たてあな ア 竪穴住居 いせき しょいんづくり たかゆか 書院造ウ 高床倉庫 かいづか 貝塚 (2) 佐賀県のある遺跡では、(1)の建物のあとがたくさんみつかりました。 この遺跡の名前を答えましょう。 次の文を読み、あとの問いに答えましょう。 2 こふん ちょうせん 古墳がつくられ始めたころ、 中国や朝鮮半島から日本にわたってきて住みつく人たちがたくさんいま ました。こうした人たちを(①) とよんでいます。 各地の(2)たちは ( ① )のすぐれた知識や技術 を取り入れて、 古墳づくりにも役立てました。 (1) 文中の( )にあてはまることばを答えましょう。 ①② (2) 次のア~エから、(①)の人々が伝えた文化を2つ選び、 記号で答えましょう。 イキリスト教ウかなエ漢字高 ア仏教 [ ] [ ] 3 次の史料を読み、 あとの問いに答えましょう。 私のもつ富と権力を使って大仏をつくるのはやさしいが、それではみんなの心がこもった仏像はできな い。 みんなで仏教を信こうし、材料をもちより、力を合わせて大仏をつくれ。 役人は、大仏づくりのため 「農民をいじめるようなことをしてはならない。 かまぼこやかんづめとは (1)これは、743年に、ある天皇が出した大仏づくりの命令です。この命令を出した天皇はだれですか。 (2)この大仏がまつられている、 奈良にある寺を何といいますか。 明している曲を (3)各地をめぐって民衆を力づけていた僧で、大仏づくりに協力した人物はだれですか。 ] ] 4 次の問いに答えましょう。 へいあん きぞく おう 5 (1) (1) 次の文は、 平安時代のある貴族について説明したものです。 この人物はだれですか。 じ そふ この人物の3人のむすめは、つぎつぎに天皇のきさきになりました。 そして、そのむすめが生んだ 子は、順番に天皇となりました。そのため、この人物は天皇の祖父として、長い間、政治を動かしました。 せいしょうなごん ひつ (2)平安時代に清少納言が書いたずい筆を何といいますか。 (2) ]

未解決 回答数: 1
現代文 高校生

この暇と退屈の倫理学の問題が考えれば考えるほど分からなくなってしまったので、解説、解答してくだされば嬉しいです!お手数おかけしますがよろしくお願い致します🙇

R (H M 青 Jeg いるのである。 は社会主義革命の到来後の社会 以外の何に向かうのか。 に向かうのだろう。 余裕を得 しよう。そのときに私たちけ の講演 「民衆の芸術」で、 の盗人のように突然やってく。 モリスは、もしかしたら 起こそうかと考えている。 おもしろいのは、社会 だろうか。 者、ウィリアム・モリ 理学の試みは、 いかに生きるべ 殿の中で退屈し 国や社会が豊かになれば、そこに生きる人たちには余裕が生まれる。その余裕には少なくとも 一つ目はもちろん金銭的な余裕だ。人は生きていくのに必要な分を超えた量の金銭を手に入れ る。稼いだ金銭を全て生存のために使いきることはなくなるだろう。 二つの意味がある。 もう一つは時間的な余裕である。社会が富んでいくと、人は生きていくための労働に全ての時 間を割く必要がなくなる。 そして、何もしなくてもよい時間、すなわち暇を得る。 では、続いてこんなふうに考えてみよう。富んだ国の人たちはその余裕を何に使ってきたのだ ろうか。そして何に使っているのだろうか。 「富むまでは願いつつもかなわなかった自分の好きなことをしている。」という答えが返って きそうである。確かにそうだ。金銭的・時間的な余裕がない生活というのは、あらゆる活動が生 存のために行われる、そういった生活のことだろう。生存に役立つ以外のことはほとんどできな い。ならば、余裕のある生活が送れるようになった人たちは、その余裕を使って、それまでは願 いつつもかなわなかった何か好きなことをしていると、そのように考えるのは当然だ。 ならば今度はこんなふうに問うてみよう。その「好きなこと」とは何か。 やりたくてもできな かったこととはいったい何だったのか。今それなりに余裕のある国・社会に生きている人たちは、 その余裕を使って何をしているのだろうか。 「豊かな社会」、すなわち、余裕のある社会においては、確かにその余裕は余裕を獲得した 人々の「好きなこと」のために使われている。しかし、その「好きなこと」とは、願いつつもか なわなかったことではない。 問題はこうなる。「そもそも私たちは、余裕を得たあかつきにかなえたい何かなど持ってい! たのか。 少し視野を広げてみよう。 二十世紀の資本主義の特徴の一つは、"文化産業とよばれる領域の巨大化にある。 二十世紀の資 本主義は新しい経済活動の領域として文化を発見した。 もちろん文化や芸術はそれまでも経済と切り離せないものだった。芸術家だって霞を食って生 きているわけではないのだから、貴族から依頼を受けて肖像画を描いたり、曲を作ったりしてい た。芸術が経済から特別に独立していたということはない。 けれども二十世紀には、広く文化という領域が大衆に向かって開かれるとともに、大衆向けの 作品を操作的に作りだして大量に消費させ、利益を得るという手法が確立された。そうした手法 に基づいて利益を上げる産業を文化産業とよぶ。 「好きなこと」はもはや願いつつもかなわなかったことではない。それどころか、そんな願い なこと」を与えてもらっているのだから。 があったかどうかも疑わしい。 願いをかなえる余裕を手にした人々が、今度は文化産業に「好き 分の好きなことが何なのか分からない。 資本主義の全面展開によって、少なくとも先進国の人々は裕福になった。そして暇を得た。だ が、暇を得た人々は、その暇をどう使ってよいのか分からない。何が楽しいのか分からない。自 そこに資本主義がつけ込む。文化産業が、既成の楽しみ、産業に都合のよい楽しみを人々に提

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