ないといけないということで
扱し続
型型Nd 豊 S
次の文章を読んで、後の間に答えなさい。
「勝ち負け」だけの価値基準で生きることは貧しいですね。人間としても薄っぺら。「損得」勘定だ
けですべてを判断する人間は卑しいし、「強いか弱いか」だけで人を測る人間は愚かだと思います。その
いずれの価値基準にも、「正しいか間違ってるか」という第一基準がその根底になければ、そんなものに
は意味はない、と思うからです。さらに、できればそこに「美しいか醜いか」「義か卑怯か」という基準
も加えたい。
というようなことをいうと、すぐに「また例の、負け犬、弱虫の発想か」とか「もっともらしいこと
をいいやがって。うんざりだな」という声が聞こえてきそうです。もうなにをいおうと、どんな考えに
対しても反論は可能ですから。また、なにをいっても、つねに例外というものが生じる。これは避けら
れない。所詮、人間が考え、人間がやっていることですから。
今、だけではなく、今までもずっとでしょうが、わたしたちの社会で大勢を占めている考えは「勝て
E
功したもん勝ち、どんな卑しい人間でもゴネ得したもん勝ち、どんないかさま商品でも売れたもん勝ち。
もう身も一
で、その
という考えです。どんな汚い手を使っても勝ったもん勝ち、どんな愚劣な人間であっても成
B6ないです。「正しいか間違ってるか」も「美しいか醜いか」も、あったもんじゃない。
から落ちこぼれた無能な人間たちがいろんなことをいうけど、それは建前だけの
い
締麗ごと、ただの
|の歯ぎしり、負け犬の一 20
曳かれ者の小唄でしかない、と小馬鹿にされ
てしまう。なんだかんだいっても結局は一カのある勝者や成功者だけが社余的に公認されるのだ、自信
に満ち溢れ、養沢な生活が保証され、人生を語歌できるのだ、とね。だれもはっきりはいわないけど、
もう顔がいってます
結局、人間社会は4
のような考え(生き方)があることを登めることはできない。なぜがというと、「正」の価値や「美」の価
個が大切だという考えと、「人生の目的はとにもかくにも成功である」という考えと、どちらが正しいの
かということに絶対的な答えはないからです。この場合にあるのは、どんな人間をよしとするかの人間
観、どんなことを大切と思うかの価値観、どんな生き方をよしとするかの人生観だけです。あるのは「正」
こ4v
nる
]です。わたしはこのような考え(生き方)はまったく好きじゃないけど、そ
N
しいかどうか」ではなく、ただ「観」のちがいだけなんです。まあ|2
は事実でもありますけどね