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歴史 大学生・専門学校生・社会人

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問題 1. 以下の文章の空欄 A~Tにあてはまる適語を、語群の中にある(あ) (ん)から選んで記号で答えよ。 税制が備えるべき望ましい条件を示したものである租税原則は、古くは16世紀の経済学の父として有名な(A)の4原 則が有名である。 (A)は、政府の役割は市場で供給できない (B)、行政、(C)などの必要最小限でよいと考え た。この考え方は(D)と呼ばれている。 (A)は課税の根拠として (E)によった。一方、(F) 世紀のドイ ツ歴史学派に所属した (G)は課税の根拠として(H)によった。 ( A ) 以降、租税原則はさまざまな形で発展し、 現在の租税原則として ( 1 ) (J) (K) の3つに集約されている。 1つ目の(Ⅰ)の考え方としては、 「経済的 にみて等しい状態にある人々は等しく取り扱われる」という(L) と、 「税負担能力の大きなものがより大きな租税負担を すべきである」という(M)がある。2つ目の(J)の考え方は、経済における (N)にゆがみをもたらさないよ うな課税が望ましいというものである。 この(N)へのゆがみのことを ( 0 ) とよぶ。 例えば、消費税による(N) へのゆがみを小さくしようとするならば、 価格弾力性が (P)財に重課、 価格弾力性が ( Q ) 財に軽課すべきであると いう考え方がある。これは(R)と呼ばれている。3つ目の(K) は、 税制がわかりやすいものであるべきであり、こ れによって(S) と(T)の費用が少なくなるというものである。 語群 (あ)計測性 (い)ワグナー (う)所得分配 (え)行列的公平 (お) 18 (か)国防 (き) 高い (く) 食糧供給 (け)弾力性命題 (こ)配達 (さ)夜警国家 (し)水平的公平 (す)低い (せ)アントニオ (そ)公正的公平(た)資源配分 (5) 天下泰平(つ)ス ミス (て)強制説 (と)徴税 (な)簡素(に)暗黙説 (ぬ)ロールズ (ね)義務説(の)実証説 (は)効率性(ひ)普遍性 (ふ)ラムゼー・ルール (へ)超過負担 (ほ)国民年金 (ま)利益説 (み)16 (む)分権性(め)流通 (も)公共的公平(や)確実 (ゆ)民主国家 (よ)垂直的公平 (5)19(り)17 (る) 納税 (れ) 司法 (ろ) 歪曲分配 (わ)資金循環(を)強靭国家 (ん)公平性 問題 2-1. 下の文章における空欄(①)から(2)を語群から選んで埋めよ。番号は違えども同じ語句が入ることが

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世界史 高校生

ここの読み解きが分かりません!わかる方解説よろしくお願い致します。

マウリヤ朝 マウリヤ朝の 最大領域 前3世紀中頃) コレクサンドロ の遠征路 ヤ山脈 ータリプトラ ガンジス川 ニコンガル湾 ララ ピャーナ朝 -ーナ朝の 域 (2世紀) 三通路 山脈 タリプトラ ← ② アショーカ王石柱 碑頭部 ブッダの象徴で もある獅子の下には、ダ ルマ (法) を表す法輪が刻 まれている。 インドの国 旗に使用されている法輪 は、これに由来する。 発 見地のサールナートは、 せっぽう ブッダの初説法の場所。 サールナート考古博物館、高さ 213.5cm する後悔なのである。 読み解き アショーカ王にとって、 ダルマとはどのような 概念だったのだろう。 がいほうちょく りょ いくばい 文献 アショーカ王の碑文 (摩崖法勅) [アショーカ王の]即位8年に、カリンガ国が征服された。 こ のカリンガでの戦争において、 15万人がそこから (捕虜とし て) 移送され、 10万人がそこで殺され、またその幾倍かが死 んだ。それ以後、今やカリンガ国は領有されているのであ るから、…[アショーカ王は] ダルマの遵奉、ダルマへの 愛慕、および(人民への) ダルマの教導 (に専念している)。こ |れは・・・・ [アショーカ王が] カリンガ国を征服したことに対 (歴史学研究会編『世界史史料2」岩波書店) 前3000 2 北イン 南イン 南イコ ●ドラ ●北イ 化を ●東西 →東南 31 ガンダーラ様

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世界史 高校生

ここの読み解きが分かりません!解説お願いします!

資料から読み解く 諸子百家の思想 文献 「孟子」浩子章句上 ( 前4世紀頃) 隠の心[他者の苦難を放置できない同情心]、 しゅう 人、皆えれ有り。 羞悪の心 [悪を恥じる心]、 人、 きょうけい 皆され有り。 恭敬の心 [尊敬の念]、 人、 皆之 ぜひ れ有り。 是非の心[善悪を見分ける心]、人、 皆之れ有り。 側隠の心は仁なり。 羞悪の心は 義なり。 恭敬の心は礼なり、 是非の心は智な り。仁・義・礼・智は、外由り我をする [磨 き上げられる] に非ざるなり。 我、これを固有 するなり。 ろうし 文献3 『老子』 下篇 (前4~前3世紀) 学を為せば、日に益す (日々知が増す)。 道を 為せば日に損す(知欲は日々損せられる)。 之 れを損して又たこれを損し(損に損を重ね) て為すこと無き(無為)に至る。 為すこと無く して、為さずということ無し。 故に天下を取 るには、常に事無きを以てす(無為をもってす る)。 其の事有るに及びては(人為をもって有 意であると) 以て天下を取るに足りず。 *文献の出典はいずれも歴史学研 究会編 「世界史史料3』 岩波書店 文献② 「荀子」 性悪篇(前3世紀) いつわり しつ 人の性は悪なり。 その善なる者は偽[後天 的につくられたもの] なり。 今、 人の性、 生 まれて利を好むこと有り。 是れに順う。 に争奪生じて辞譲 [互いに譲る] 亡ぶ。 生ま れて疾悪[憎む心] 有り。 是れに順う。故に 残賊 [傷つけ合う] 生じて忠信ぶ。・・・・・故 に必ず将に師法の化 [教師によって教化さ れ]、礼義の道有りて、然る後に辞譲に出で、 文理に合して [道徳や秩序にかない] 治に 帰せんとす [世の中は平和に治まる] 。 かんび にへい 文献 4 『韓非子』二柄(前3世紀) 明主の導りて其の臣の制する所の者は二柄 のみ [賢明な君主が臣下を制御する拠り所は 二つの権力だけである]。 二柄とは、刑・徳 なり。 何をか刑・ 徳と言う。 甘く、 「殺戮を きつりく ほうび これ刑と謂い、 慶賞 [褒美を与えること] を これ徳と謂う」、と。 人臣為る者は、罰を ちゅうばつ れて慶賞を利 [喜ぶ] とす。 故に人主[君 [主]、 自らその刑徳を用いば、 則ち群臣其の 威を畏れて其の利に帰す。 読み解き 1各文献は、それぞれの思想家のどのような概念に関係するものだろう。 2 諸子百家が登場した時代背景は何だろう。 儒を的 0

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世界史 高校生

高校1年 歴史総合「国民国家のナショナリズム」という アメリカ独立宣言やフランス革命後のヨーロッパ社会のところです。 右の問の答えがわかる方いたら教えてください!!

A 国民の創出 いじ 私がドイツ国民の生存を維持する唯一の手段として提 ぱっぽんでき 議するのは、これまでの教育制度の抜本的改革です。 ...….. われわれは新しい教育によってドイツ人をひとつ の全体へと形成し、その全体がそのすべての個々の部 分において同一の問題によって動かされ、 生かされて いるようにしたいと望みます。 ••••••このようにしてわ れわれのもとに、いわゆる大衆教育ではなく、真のド イツ国民教育が生じることになるのです。 (フィヒテ 〈石原達二訳〉「ドイツ国民に告ぐ』) さいせいふく イタリアはその領土を大部分、 再征服した。 しゅび ちつじょ 外国勢力との闘いは首尾よくいったが、 それ が最大の困難ではなかった。 ・・・・・・イタリアは ほかの人民のようには国民になることができ ず、うまく秩序づけられたり統治されたりせ ず、外国勢力のみならず内部のセクト主義者 に対しても強力ではなく、 自由ではなくきち んとした道理をもつことができない。 (歴史学研究会編 『世界史史料 6 』) 7 ダゼリオ 『わが回想」 (1867年) 6 フィヒテ 『ドイツ国民に告ぐ』 (1807~08年) ベルリン大学初代総長となる哲学者フィヒテが、 フランス軍 サルデーニャ王国の首相も務め、 イタリア統一運 動に関わった政治家ダゼリオの回想録。 占領下でおこなった連続講演の一部。 16の講演がおこなわれ た当時、 「ドイツ国」は存 在しなかったが、 「ドイツ 「国民」が強調されている。 7が記された当時、 イタリ ア王国はすでに存在してい るが、「国民になることが できず」 とある。 67が想 定していた 「国民」は、そ れぞれどのような存在なの だろうか。

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歴史 中学生

~コイン100~ 予習でよく分からないので教えて欲しいです! この問の答えを文章にまとめてほしいです! ①第一次世界大戦後の世界ではどのような動きが見られたのか。 ② なぜ、日本で民主主義的風潮が高まり、どのようにして発展したのか。 ③ 大正時代の日本はどの... 続きを読む

学習活動を通じての結論 ■歴史的分野の学びの「見方・考え方」 → 並べる A. 時系列 B. 諸事象の推移 C. 諸事象の比較 D. 事象相互のつながり 課題 I 第1時 第2時 No4 Nol No2 200 BE No3 po 1 = 2 口時期 →捉える(見てつかむ) □展開 → 比べる □類似 → つなげる □背景 2-4 |□年代 変化 口差異 □原因 続 □特色 □結果 □影響 第3時 教p206 大正デモクラシーと政党内閣の成立 (教p208~210含む) 「なぜ、日本で民主主義的風潮が高まり、どのようにして発展したのか」 【視点: 展開、 背景】 第4時 教p210 新しい文化と生活 「大正時代の日本はどのような文化が生まれたのか」 【視点: 特色】 上がり、 歴史学習のレポートの評価ポイント 課題のまとめや課題2の結論をまとめるときに左の歴史的分野のA~Dの 「見方・考え方」 を踏まえて、プリントの重要語句を使ってまとめること。 学びに向かう学習課題 (プリントのめあて) についてまとめる 教p198 第一次世界大戦 (教p200~201、204含む) 「第一次世界大戦はどのようにして起こり、日本はどのように戦争に関わったのか」 【視点: 背景、影響】 【主】 単元を通じて追究する問いを解決するために、学習内容を振り返っている 20世紀の初めヨーロッパで、ドイツ・オ・ストリア・イタリアの「三国同盟」と、イギリス・フランス・ロシアの 「三国協商が対立していた。そんな中、オーストリアの皇太子が殺害されるサラエボ事件が起き、これをきっかけとして 第1次世界大戦が起きた。日本は、日英同盟と中国の利権、国際的地位向上のため参戦し、直接ではなく間接的に戦争に関った。通 教p202 国際協調の高まり (教p204~205含む) 「第一次世界大戦後の世界ではどのような動きがみられたのか」 【視点: 特色、影響】 学習活動を通じての予想の検証

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歴史 中学生

予習でよく分からないので教えて欲しいです! この問の答えを文章にまとめてほしいです! ①第一次世界大戦後の世界ではどのような動きが見られたのか。 ② なぜ、日本で民主主義的風潮が高まり、どのようにして発展したのか。 ③ 大正時代の日本はどのような文化が生まれたのか。 ... 続きを読む

学習活動を通じての結論 ■歴史的分野の学びの「見方・考え方」 → 並べる A. 時系列 B. 諸事象の推移 C. 諸事象の比較 D. 事象相互のつながり 課題 I 第1時 第2時 No4 Nol No2 200 BE No3 po 1 = 2 口時期 →捉える(見てつかむ) □展開 → 比べる □類似 → つなげる □背景 2-4 |□年代 変化 口差異 □原因 続 □特色 □結果 □影響 第3時 教p206 大正デモクラシーと政党内閣の成立 (教p208~210含む) 「なぜ、日本で民主主義的風潮が高まり、どのようにして発展したのか」 【視点: 展開、 背景】 第4時 教p210 新しい文化と生活 「大正時代の日本はどのような文化が生まれたのか」 【視点: 特色】 上がり、 歴史学習のレポートの評価ポイント 課題のまとめや課題2の結論をまとめるときに左の歴史的分野のA~Dの 「見方・考え方」 を踏まえて、プリントの重要語句を使ってまとめること。 学びに向かう学習課題 (プリントのめあて) についてまとめる 教p198 第一次世界大戦 (教p200~201、204含む) 「第一次世界大戦はどのようにして起こり、日本はどのように戦争に関わったのか」 【視点: 背景、影響】 【主】 単元を通じて追究する問いを解決するために、学習内容を振り返っている 20世紀の初めヨーロッパで、ドイツ・オ・ストリア・イタリアの「三国同盟」と、イギリス・フランス・ロシアの 「三国協商が対立していた。そんな中、オーストリアの皇太子が殺害されるサラエボ事件が起き、これをきっかけとして 第1次世界大戦が起きた。日本は、日英同盟と中国の利権、国際的地位向上のため参戦し、直接ではなく間接的に戦争に関った。通 教p202 国際協調の高まり (教p204~205含む) 「第一次世界大戦後の世界ではどのような動きがみられたのか」 【視点: 特色、影響】 学習活動を通じての予想の検証

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現代文 高校生

至急です! お願いします!! この問題が分かる方、分かるものだけで大丈夫なので教えてください!

33 ステップ2 評論 ステップ2 32 13 評論 の 10 Point C 速読 目標時間 3分 |25 の 問一~六 解答目標 15分 *本文 /50 *要約 は /10 ステップ2 わし だきょかず 読解)私たちの感じている「現実」とは 都市の感情 鷲田清一 課題)問題提起と結論をおさえて読み進める 次の文章は、以前からは考えられないほどに発達した現代の都市に対する考察のなかから、そこに生きる私 たちのあり方に言及した部分である。 (要旨をつかむために 理解を深めよう 要約のための確認 あるいはこんなふうに問題を立てることもできる。それは、私たちのふだんの生活経験において、〈いま〉へここ) 【各1点】 (サ一)。 ということがいまだ本当に成り立っているのかということだ。少なくとも、私の〈いま〉へここ〉から放射状に開け (雄2) た遠近法的な風景というものは、都市からうんと離れた僻地や無人地帯にでも行かなければ出会えないように思 〇話題(問題提起) 私たちの生活経験 く的 ち える。いやそこへ行ってさえ、知覚風景は単純な遠近法によって一様に構成されることはない。たとえばこの私 の環境、そこには孔がいっぱいあいている。巨大なテレビスクリーン、そこにとてつもなく大きなCMタレント 5 (州の) の顔が現れる。幼稚園児が家の屋根の横に描く太陽よりももっと大きな顔。室内のVTRの装置からは、CNN 成り立っていない 筆者の注目している点」 知覚の風景(視覚や聴覚) 異なる情報の のニュースが流れ、そのニュースでは数十年前の戦争の記録フィルムが映されていた。留守番電話を解除すると、 何時間か前のドウリョウの声がする、それもロンドンからの連絡だ。視覚の風景も、聴覚の風景も、一様に連なっ コンテクスト ○筆者の主張 たものではないし、そこには幾重もの異なった情報のコンテクストが差し込まれ、錯綜している。特に不協和音 を奏でるというわけでもなく。 のネットワーク 私たちの経験には 1様に続く光景,単線の時間 はない(消失) 都市の神経とでも言うべきメディアのネットワーク、それは、いま·ここにあるはずのないものを、いま ここ に現出させる。私たちは何百キロも離れたところにいる友人とひそひそ話をすることができる。地球の裏側で行 ひなた われているF1のレースを、おそらくは現場にいる観客よりももっと近くから観戦することができる。日向ぼっ の感じ方の変容 こをしながら、あるピアニストの十五年前の入魂のライヴを繰り返し聴くことができる。そして、オフタイム (型す) やまあい(エ) にも、たとえば山間のヒショ地にまで、まるでハッカーのように、携帯電話やFAXなど、見えない神経繊維を 5 通じて情報が入ってくる。いや、振り返って、そもそも私たちが都市に定住しているという事実でさえ、その現 ( まとめてみよう 要約に向けて 在の生活様式を考えればあやしいものに見えてくる。私たちの経験には、一様に続く光景があるわけでもなけれ 主張を四十字以内で書こう。【6点] ば、一続きに流れる単線の時間があるわけでもない。私たちの経験におけるこのような空間·時間的な遠近法の (地の) 錯綜と、現実の操作·製作(提造?)可能性とをとらえて、ダニエル·J·ブーアスティンはかつて、「宇宙時代」 ねつぞう (space age)とは、本当は「空間のない時代」(spaceless age) のことなのだと言った。現実は一度かぎりの出来 0 事ではなくなったし、未知の経験が困難になったし、さらに体験の取り消しも必ずしも不可能でなくなった。要 (型の) するに、私たちの現実性の係数がすっかり変容してきているというわけだ。 (注)1放射状 2遠近法||遠くのもの·近くのものを距離感をもって表現する手法。 4ハッカー||多く、ネットワークを介し他のコンピュータに入り込む人を言う。本来はコンピュータに習熟した人。 5ダニエル·J :6現実性の係数||現実感覚の意。一 -中心から四方に広がる様子。よ 鷲田清一は、現在入試で最も多 く出題されている哲学者。本文に はないが、「あわい(あいだ)」など 和語による感覚的な表現がよく用 いられるので注意しておきたい。 3CNN||アメリカの放送局。 j ブーアスティン||アメリカの歴史学者。一九一四~二O○四 ガイド- 問題提起となっている一文にー線を、それに対する答えが示された部分に…~線を引こう→問五1を攻略 問一(漢字) 傍線部の~③について、カタカナは漢字で、漢 字はその読みをひらがなで書け。 問五傍線部@について、次の問いに答えよ。 1Q課題) 筆者が「あるわけでもない」と述べる、「一様に続く光景」や「一続きに流れる 単線の時間」とは、どのようなときに経験できるものだと考えられるか。解答欄に合 うように、二十五字程度で抜き出して書け。 知覚の風景が、 【各3点] 【7) 問二(語句)波線部A「不協和音」の意味として、最も適切な ものを、次から選べ。 【寸 B 両立していること M 同時に広まること 不調和であること 回 緊張感があること E 批判しあっていること によって構成されているとき。 問三 (内容) 傍線部○とは、どのような状態を述べているか。 最も適切なものを、次から選べ。 B 遠方のものが近くに、過去のことが今に現れる状態。 E雑多な現象が周囲に一斉に生起している状態 D 知覚した風景が、自分を中心に広がっている状態。 I 起伏のある構造物が数多く存在している状態。 E電気機器によって記憶が混乱させられている状態。 内容)「私たちの経験」に対する筆者の考えとして適切なものを、次から二つ選べ。 B 本来一度きりの現実を、繰り返し再現して経験できるようになった。【各4点】 E いま·ここで起きている出来事以外はまったく経験できなくなった。 虚構も現実と同等のリアリティをもって経験できるようになった。 Iネットワークを介することなくしては物事を経験できなくなった。 E距離や時間を超えて、さまざまな出来事を経験できるようになった。 【o) |新問六急読解)本文を読んだAさんは次のような疑問を抱いた。この疑問に対し、本文に即 して答えた後の文の空欄を、二十五字以内で補え。 oいま·ここが成立していないことで、私たちにどのような影響があるのだろうか。 【o) 7に、私たちは違和感をおぼえなくなっている。こうして、私たちの経験に 問四 (内容) 傍線部Q「見えない神経繊維」とは、何を表現し おける現実の感じ方が、知らず知らずのうちに変わってきている。 た比験か。本文から抜き出して書け。 【5g)

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世界史 高校生

このプリントの答えを教えてください!

8 東南アジアの諸文明 動p.62~65 p17~18 1 つぎの文の( )に適語を入れ,波線部ア)~カ) に該当する領域を地図から記号で選べ。ま た,下線部O~⑤についての問いに答えよ。 東南アジア世界は大陸部と諸島部から構成される。大陸部では前2千年紀末に, ベトナムやタイ東 の日 北部を中心に青銅器の製作が始まり, 前4世紀になると, 中国の影響下に①独自の文化が発達した。 後1世紀末には東南アジア最古の国家とされる( 1 )がメコン川下流域に建国され, ②インドやロー マとの交易で繁栄した。 また2世紀末,ベトナム中部に, チャム人がア)チャンパーを建国した。 4世紀末以降,東南アジアでは③「インド化」と呼ばれる諸変化が生じた。6世紀にはメコン川中 流域にクメール人によってイ)カンボジアがおこり, (1 ) を滅ぼした。 この王国は,( 2 )に都を おき,独自の様式をもつの寺院などを造営した。 イラワディ川下流域では, 9世紀までビルマ(ミャンマー)系のウ)ピュこ人の国があった。11世紀 には(3 )朝がおこり, スリランカとの交流により上座部仏教が広まった。 チャオプラヤ川下流域で は,7世紀から11世紀頃にかけて( 4 )人によるエ)ドヴァニラヴァえイニ王国が発展し, 上座部仏 教が盛んだった。また, 13世紀半ばにタイ北部におこったスコータイ朝でも上座部仏教が信仰された。 ts ス ラ ベトナム北部は,前漢時代以来中国に服属していたが,11世紀 初めには(5)氏が大越(ダイベト)国を建国し,( 5 )朝を成立 させ,さらに13世紀には(6)朝がおこった。 文 ペンガル湾 諸島部でも「インド化」 がすすみ, いくつかの王国が成立した。 7世紀半ばには,スマトラ島の( 7)を中心にオ)シュリーヴィ ジャヤ王国が成立した。中部ジャワでは, 仏教国のカ)シャイレ ンドラ朝やヒンドゥー国のマタラム朝がうまれた。シャイレンド ラ朝のもとでは,⑤仏教寺院が建造されたが、その後,ヒンドゥ 6 南シナ海 レベス海 インド洋 ジャワ海 ー教の勢力が強くなっていった。 あこの文化を何というか。 また, ①特有の青銅器は何か。 問の 問の (1 )の貿易港をひとつあげよ。 また, ①買易を裏づける出土品もひとつあげよ。 問「インド化」をとおして受容されたものを二つあげよ。 問の この寺院として正しいものを, 下の~Cからひとつ選び, その名称を答えよ。 問の この仏教寺院として正しいものを, 下の囚~Cからひとつ選び, その名称を答えよ。 こ 11 2 3 4 5 6 7 ア) イ) ウ) エ) オ) カ) の のあ の記号 名称 6記号 名称 |O

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現代文 高校生

問4と問5の解説お願いします。 答えは④,①です。 わかる問題だけでも構いません。

0コ0コ ロロ同 のようなテーマが彼らにとっては全く「中立」に映らないだろうということです。もし私たちにとっ でその主題が「中立的」に見えるとしたら、それは私たちが「民主主義は当然のこと」という価値観 が普及した地域にいて、他の価値観をさほど想定せずに済んでいるからです。 理系が関わる例でも事情は変わりません。一九七○年代~八○年代の日本では、環境問題を研究テー ーマに選ぶ理系学生は民間企業での就職が大変になるといわれていました。マジョリティが環境問題」 に関心がなかった時代、敢えて環境に関心を持つことは「偏ったこと」とみなされかねなかったので」 す。現代ならこの感覚はむしろ逆でしょう。 「地球環境を気にかけること」も「民主主義を自明視すること」も、それぞれ一つの価値観であり、 政治的信念の一種です。ただ、その価値観がマジョリティにとって一般的になっている時代、地域で一 はそのことが目立たないだけです。 の うん。 もちろん、「テーマの選択が政治性を持つ」ことは仕方ないにしても、それは研究の過程に政治性が一 入り込むこととは違うのではないか、という指摘は可能です。 たとえば、公害問題や、歴史上の虐殺事件といった問題に対し、ある組織や人物にとって不利にな」 る証拠を隠蔽した上で論文を書いたとしたら、それは「政治的」かつ「党派的」なデータの隠蔽です し、研究不正に等しい行いです。 論争になりやすいのは逆のケース、すなわち証拠として用いる材料を広げる場合です。たとえば、 教育を受けた役所の人間が残した文書記録や、定量的に計測可能な証拠といった従来も用いられてい た判断材料だけではなく、知的障害をもつ人の数十年前の記憶や、コンピュータによるシミュレーシ ョンなど、確実さにおいて劣る要素を持ち込む場合、前者は「実証的」だが後者は違うとして、拒否」 されることがあります。そして、そのような不確かなものを研究の材料に使うのは、政治的な意図が あるからだと。キュウダンされたりするのです。 事例ごとに事情は違うので、一般化は困難なのですが、科学史を踏まえて私が思うのは、どちらか といえば、検証する対象を増やす方が、検証の厳密さを求めてそれを避けるよりは実りが多いのでは一 ないかということです。 1101八年現在、日本では過去の優生政策により障害者に対する強制的断種手術が行われたことが 問題視されていますが、これも最初は当事者の証言を真剣に聞き、証拠となる資料を探した歴史家の一 努力がありました。また、地球温暖化問題が前世紀半ば、最初に話題になったときには、それがシミ ユレーションに基づく推論であることが問題視されましたが、現在はそうした手法が科学的推論の一 (ahsg) つとして認知されています。 以上のことを踏まえるならば、むしろ、「複雑な対象を前にして、価値中立を掲げることが持ちうる 政治性」こそが念頭に置かれなければなりません。すなわち、マジョリティの価値観に浸っているた一 めに自らの政治性が自覚できていない状態のことを、「中立」という名で呼び変えていないかどうかを、 改めて問い直す必要があるでしよょう。 それに加えて、人間の理性の限界という問題もあります。実際、本人は真剣に研究をしている場合 でも、無意識のバイアスで、ある証拠を完全に見逃し、自分の論点を支持する証拠ばかり集めるとい うことがありうるからです。一世紀において、女性の知性が男性に劣るとの見解を出したいくつか の研究には、明らかにこのような傾向がみられました。 司寺に言えるのは、「学問は現実の対象に近づくほど不可避の政治性を帯びる」ということを踏まえ vそれでも「学問的方法論に根ざして言葉を紡ぐことの大切さです。物理学のような法則定立的な方一 AuDろ、歴史学のような個性記述的な方法にしろ、定量的な社会学のようにその中間的なものにし Lo、それは世界を認識する異なったやり方として、数世代にわたり様々なテストを生き残り、受け継 がれてきた人類の遺産なのです。

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