国会開設と憲法制定に向けた動きをまとめよう。
I 国会開設を約束した政府は、 立憲制国家を目指して、あらたな政治体制の確立と
【1】制定に着手した。
a ヨーロッパ留学をした伊藤博文は、②ため、プロイセン憲法をモデルに草案を作成した。
b 1885年、太政官制にかわり、 中心となる天皇を補佐するため、内閣総理大臣や国務大臣を
おき、 初代内閣総理大臣を 【③】 とする 【④】 制度がはじまった。
c 1888年、 憲法制定に向けて、天皇の相談機関として 【⑤】 院をおき、 初代議長を 【⑥】とした。
2月11日
きんてい
Ⅱ 1889年、⑥という欽定憲法の形式で 【7】 憲法を発布して、立憲君主制国家となった。
とうすい
d 主権者は【⑧】で、陸海軍の統帥権や戦争の開戦や講和の決定など、強力な権限をもつ
いっぽうで、政治的責任は問われない特別な存在だった。
e 国民を 【⑨】とよび、言論や出版、集会、 信教は、 厳しい制限のもとで認めた。
f 1890年、「忠君愛国」や親への 「孝」を基本とした教育勅語を発布して、国民の道徳や
価値観に統一感をもたらした。
2 帝国議会の開催についてまとめよう。
Ⅱ 帝国議会は【⑩】院(皇族・華族・天皇に任命された議員) と衆議院で構成され、国民は
選挙により 【1】 院のみ選べた。
g 「直接国税 【1】円以上を納める 【13】 歳以上の男子」に選挙権が与えられ、1890年に行われた
日本初の衆議院選挙は、有権者が全体の約1.13%だった。
民党
h自由民権運動から誕生した政党の立候補者が多く当選して、政府に対抗をした。
ⅣV 選挙権がなかった女性は、政治活動も禁止され、政治の世界から締め出された。
もと
◇記入 & 情報量
【①】 語句 1 記述
1
江戸時代から続く男尊女卑の考えが民法などで法律化され、 女性は「家制度」の下におかれた。