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現代文 高校生

高3論理国語「擬似群衆の時代」についての質問です。 「私たちが生きる都市とは、この空間との絶え間のないイメージ交換によって成立している。」という文が理解出来ません。 学校の授業では「どこにも場所を持たないが、あらゆる空間に存在する現在の群衆を凌駕する疑似的な群衆とコミュニ... 続きを読む

その 23 その一つは、擬似群衆の増大と呼ぶことができるだろう。 インターネット上に形成され ている、さまざまなコミュニティを想像するとわかりやすいかもしれない。 つぶやきのよ うな短い言葉を投稿し合うことで発生する群衆もあれば、オンラインゲームのようにアク ションの共有によって形成されている群衆もある。あるいは登録している数が数百万とい 仮想の都市。 すでに各国の企業が出資しているばかりでなく、その仮想都市上にギャラ リーや美術館をオープンするアーティストも出てきている。 こうした実空間では互いに隔離されているのに、情報空間では互いに影響を与えられ 群衆の時代 30 桜 *** * 210 具体的な関係をもっている擬似的な群衆が、 実在の群衆を凌駕してしまうという現実が ある。これはお茶の間でテレビの前に座っている間に形成されている、視聴者という名の 群衆とは明らかに異なる性格のものだ。それは物理的な建築を必要としない、新しい都市 であり、どこにも場所をもたないが、あらゆるところに存在しているとも言える空間であ る。私たちが生きる都市は、この空間との絶え間のないイメージ交換によって成立して いる。 擬似群のいる仮想空間 もう一つは、非決定性の増大と仮に呼ぶことができるだろう。 かつてなかったほどの多 くの情報チャンネルをもった個人は、意思決定を先延ばしにする傾向がある。それは必 5 * 語句 旗印 通の関心をもちメッセー ジのやりとりを行う人々 の集まりの意。 1414 オンラインゲーム on- linegame (英語) インター ネットなどのネットワー クを経由して行うゲーム の一種。 …実物に似せているが、 実物ではないこと。 を与え合う

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国語 中学生

この問題の答えを教えて欲しいです。

じゃん (香川・改) (50点=105点×2 120点 他は100点×2) 思考で、「当たらずとも遠からず」の判断になる場合もよくある。(1) の判断はまったく偶然のレベルである。 これら三つの形の「直観」は、 まったく違う種類の思考というよりは、判断の拠り所となる背景の 知識のありかたが違う思考と考えたほうがよい。豊富で精緻な知識 を持っていれば直観の精度は上がり、 「ひらめき」になる。 知識が ないところで直観に頼れば、 「あてずっぽう」 になってしまう。 (今井むつみの文章より) *①~⑨は段落番号を表す。 1 「科学的思考ができるようになる」とあるが、科学的思考とは、 どのようなもののことであり、どうすることを目的としたものだと 筆者はいっているのか。 それを説明した次の文のA・Bに入る 言葉を、第3段落の中からそれぞれ十五字以内で抜き出しなさい。 ・科学的思考とは、Aのことであり、Bことを目的とした もの。 ②「「体で覚える」ことによって初めて体得できるのである」とある が、これは、どのようなものをどうすることによって、批判的思考 を体得できるといっているのか。 「知識」 「経験」という言葉を使っ て、三十字以内で書きなさい。 ただし、文末は「…こと。」 の形で 書くこと。 3 「この「矛盾」」 とあるが、筆者は、どのような点を「矛盾」といっ ているのか。 次の文の 「批判的思考」 「直観力」 に入る言葉を、 という言葉を使って、六十五字以内で書きなさい。 ・学びの達人になるためには、□点。 44 「判断の拠り所となる背景の知識のありかたが違う思考」とあ るが、知識のありかたと直観の精度はどのように関係しているか。 四十五字以内で書きなさい。 国語 文章中の言葉を使って! 記述問題 テーマ別問題 説明的文章の記述問題 次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。 ① 科学を学習する目的は、発見された「事実」を覚えることでは 3 ない。今日覚えた事実や理論が、 一〇年後には棄却されているか もしれない。 2 科学はデータをもとに論理を組み立て、理論を構築するプロセ スである。 では、「科学を実践する」ために、子どもは何を学ば なければならないのだろうか? 学校で理科の時間などで実験 をし、データをとり、分析する、という学習はしているだろう。 しかし、それらは「科学を行う」ための要素に過ぎない。科学的 思考ができるようになるために必要なのは、むしろ、理論の検討 のしかた、仮説の立て方、仮説の検討のための実験のデザインの しかた、データの解釈の仕方、 結論の導き出し方、 などの論理を 組み立てるスキル(技能や技術)なのである。 3 もちろん、ここでいう「科学」は自然科学に限らない。 心理学 はもちろんのこと経済学、法学のような社会科学も同じだ。 さら に敷衍 (おし広げること)すれば、どのようなことであれ、単な る好き嫌いではなく、理にかなった意思決定をするために、論理 構築スキルに則った思考が必要である。 ④ いま、いたる所で 「批判的思考」ということばを聞く。 しかし、 批判的思考の定義に関して、ほとんどの人はあやふやな考えしか 持っていないようだ。 ⑤ 批判的思考とはつまり、科学的思考と基本的に同じで、ある仮 説、理論、 あるいは言説を、 証拠にもとづいて論理的に積み重ね て構築していく思考のしかたのことを言う。単に「感情にとらわ れず客観的にものごとを考える」とか「多角的に物事を検討する」 ということではないのだ。 ⑥ このような科学的思考、 批判的思考のバックボーン(思想・信 条等を支えるもの)になっている仮説検証のプロセスと理論構築 のプロセスはもちろん、本で読んだだけ、あるいは誰かに説明さ れただけでは理解できない。 知識を構築していく実際の道筋がわ からないと、様々な仮説を適当に立てるだけで終わってしまう。 自分で仮説を考え、実験をデザインし、データを取って分析し、 吟味し、論を構築し、それを評価する。 「批判的思考」はこのよ うなプロセスを何度も繰り返し経験すること、つまり、「体で覚 える」ことによって初めて体得できるのである。 とくちょう 批判的思考は学びの達人になるためにとても大事で、最近は教 育界のキーワードになっている。他方、熟達者の特徴は鋭い直観 力にあることも、誰もが認めるところである。 批判的思考を重要 視するということは直観的思考をどれだけ排除できるか、と考え られるのに、この「矛盾」はどのように考えればよいのだろうか。 ⑧ じつは「直観」ということばは、いくつかの意味合いを持つ。 三つの形を考えてみよう。 (1) ある状況で何がしかの判断をするとき、知識がないときは、 コイントスのように適当にするしかない。 (2) 子どもが単語の意味を考えるとき、「形ルール」 (形から判断 しようとすること)のようなスキーマ (外界を認識するときに 使われる知識の枠組み)に沿って、その場ですぐに初めて聞い た単語の意味を考え、その単語が使える範囲を決めてしまう。 (3) 将棋の達人は、次の一手についてあれこれ可能性を考えなく ても最善の一手が頭に浮かぶ。 いっぱん ⑨ (1)から(3) はすべて一般的には「直観的思考」と考えら れる。 しかし、その判断の精度や質はそれぞれ異なる。(3) は 非常に精度が高い判断。(2) はいわゆる「スキーマ」に頼った

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古文 高校生

芥川龍之介 羅生門 局所の指す言葉の意味は 「盗人を選ぶか、飢え死にするかということ」 だと伝わるんですけど、 本文でどこを指しているのか分かりません。 教えてください🙏

げにん らしょうもん ある日の暮方の事である。 一人の下人が、 羅生門の下で雨やみを待っていた。 にぬりは まるばしら きりぎりす 広い門の下には、この男のほかに誰もいない。 ただ、 所々丹塗の剥げた、 大きな円柱に、 蟋蜂が一匹とまって いちめがさ もみえぼし すざくおおじ いる。 羅生門が、 朱雀大路にある以上は、この男のほかにも、 雨やみをする市女笠や採烏帽子が、 もう二三人はあ りそうなものである。 それが、 この男のほかには誰もいない。 つじかぜ わざわい らくちゅう はく たきぎ しろ こりす ぬすびと 何故かと云うと、 この二三年、京都には、地震とか辻風とか火事とか機饉とか云う災がつづいて起った。 そこ で洛中のさびれ方は一通りではない。 旧記によると、 仏像や仏具を打砕いて、その母がついたり、金銀の箔がつ いたりした木を、 路ばたにつみ重ねて、 薪の料に売っていたと云う事である。 洛中がその始末であるから、 羅生門 の修理などは、 元より誰も捨てて顧る者がなかった。 するとその荒れ果てたのをよい事にして、狐狸が棲む。 盗人 が棲む。 とうとうしまいには、引取り手のない死人を、この門へ持って来て、 棄てて行くと云う習慣さえ出来た。 そこで、日の目が見えなくなると、 誰でも気味を悪るがって、 この門の近所へは足ぶみをしない事になってしまっ たのである。 からす ごま その代りまた鴉がどこからか、 たくさん集って来た。 昼間見ると、 その鴉が何羽となく輪を描いて、 高い鴟尾の まわりを啼きながら、 飛びまわっている。ことに門の上の空が、 夕焼けであかくなる時には、それが胡麻をまいた ようにはっきり見えた。 鴉は、勿論、門の上にある死人の肉を、 啄みに来るのである。 もっとも今日は、 刻限 ついば こくげん ふん あお が遅いせいか、一羽も見えない。 ただ、 所々、 崩れかかった、そうしてその崩れ目に長い草のはえた石段の上に、 鴉の糞が、 点々と白くこびりついているのが見える。 下人は七段ある石段の一番上の段に、 洗いざらした紺の襖の 尻を据えて、 右の頬に出来た、 大きな面皰を気にしながら、ぼんやり、 雨のふるのを眺めていた。 にきび すいび 作者はさっき、「下人が雨やみを待っていた」 と書いた。 しかし、下人は雨がやんでも、格別どうしようと云う 当てはない。 ふだんなら、 勿論、 主人の家へ帰る可き筈である。 所がその主人からは、四五日前に暇を出された。 前にも書いたように、 当時京都の町は一通りならず衰微していた。 今この下人が、永年、使われていた主人から、 暇を出されたのも、 実はこの衰微の小さな余波にほかならない。 だから「下人が雨やみを待っていた」 と云うより も「雨にふりこめられた下人が、行き所がなくて、途方にくれていた」 と云う方が、 適当である。 その上、 今日の 空模様も少からず、この平安朝の下人の Sentimentalisme に影響した。 申の刻下りからふり出した雨は、いまだ に上るけしきがない。 そこで、下人は、何をおいても差当り明日の暮しをどうにかしようとして――云わばどうに もならない事を、どうにかしようとして、 とりとめもない考えをたどりながら、 さっきから朱雀大路にふる雨の音 を、聞くともなく聞いていたのである。 さる こくさが 85 g 雨は、 羅生門をつつんで、 遠くから、 ざあっと云う音をあつめて来る。 夕闇は次第に空を低くして、 見上げる と、門の屋根が、 斜につき出した夢の先に、重たくうす暗い雲を支えている。 いらか いとま ついじ うえじに ていかい ほうちゃく どうにもならない事を、どうにかするためには、 手段を選んでいる遑はない。 選んでいれば、 築土の下か、道ば たの土の上で、 死をするばかりである。 そうして、この門の上へ持って来て、 犬のように棄てられてしまうばか りである。 選ばないとすれば――下人の考えは、 何度も同じ道を低徊した揚句に、 やっとこの局所へ逢着した。 しかしこの 「すれば」 は、いつまでたっても、 結局 「すれば」 であった。 下人は、手段を選ばないという事を肯定 しながらも、この 「すれば」 のかたをつけるために、 当然、 その後に来る可き 「盗人になるよりほかに仕方がな い」と云う事を、 積極的に肯定するだけの、 勇気が出ずにいたのである。 ぬすびと くさめ たいぎ ひおけ にぬり 「きりぎりす 下人は、大きな瞳をして、 それから、大儀そうに立上った。 夕冷えのする京都は、もう火桶が欲しいほどの寒さ である。 風は門の柱と柱との間を、 夕闇と共に遠慮なく、 吹きぬける。 丹塗の柱にとまっていた蟋蟀も、 もうど こかへ行ってしまった。 やまぶき かざみ あお うれえ おそれ 下人は、頸をちぢめながら、 山吹の汗疹に重ねた、 紺の襖の肩を高くして門のまわりを見まわした。 雨風の患の ない、 人目にかかる惧のない、一晩楽にねられそうな所があれば、そこでともかくも、 夜を明かそうと思ったから である。すると、幸い門の上の楼へ上る、幅の広い、 これも丹を塗った梯子が眼についた。 上なら、 人がいたにし ひじりづかたち さやばし はしご ても、どうせ死人ばかりである。 下人はそこで、腰にさげた聖柄の太刀が鞘走らないように気をつけながら、 わらぞうり 藁草履をはいた足を、 その梯子の一番下の段へふみかけた。 ようす うみ にさび それから、何分かの後である。 羅生門の楼の上へ出る、 幅の広い梯子の中段に、 一人の男が、 猫のように身をち ぢめて、 息を殺しながら、 上の容子を窺っていた。 楼の上からさす火の光が、かすかに、 その男の右の頬をぬらし ている。 短い髪の中に、赤く膿を持った面皰のある頬である。 下人は、 始めから、この上にいる者は、死人ばかり だと高を括っていた。 それが、 梯子を二三段上って見ると、上では誰か火をとぼして、 しかもその火をそこここと 動かしているらしい。 これは、その濁った、 黄いろい光が、隅々に蜘蛛の巣をかけた天井裏に、 揺れながら映った ので、すぐにそれと知れたのである。 この雨の夜に、この羅生門の上で、火をともしているからは、 どうせただの 者ではない。 くも やもり 下人は、守宮のように足音をぬすんで、 やっと急な梯子を、一番上の段まで這うようにして上りつめた。 そうし たいら て体を出来るだけ、 平にしながら、 頸を出来るだけ、 前へ出して、恐る恐る、 楼の内を覗いて見た。 しがい 見ると、楼の内には、 噂に聞いた通り、幾つかの死骸が、 無造作に棄ててあるが、 火の光の及ぶ範囲が、 思った より狭いので、数は幾つともわからない。 ただ、 おぼろげながら、 知れるのは、その中に裸の死骸と、着物を着た 死骸とがあるという事である。 勿論、 中には女も男もまじっているらしい。 そうして、その死骸は皆、それが、か つて、生きていた人間だと云う事実さえ疑われるほど、 土を捏ねて造った人形のように、口を開いたり手を延ばし たりして、ごろごろ床の上にころがっていた。 しかも、肩とか胸とかの高くなっている部分に、 ぼんやりした火の 光をうけて、低くなっている部分の影を一層暗くしながら、永久に唖の如く黙っていた。 あ おし げにん ふらん おお 下人は、それらの死骸の腐爛した臭気に思わず、 鼻を掩った。 しかし、 その手は、 次の瞬間には、もう鼻を掩う 事を忘れていた。 ある強い感情が、 ほとんどことごとくこの男の嗅覚を奪ってしまったからだ。 うずくま ひわだいろ や 下人の眼は、その時、 はじめてその死骸の中に蹲っている人間を見た。 檜皮色の着物を着た、 背の低い、痩せ

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国語 中学生

国語の短歌についての問題です。全て分かりません。解説をお願いします。また、短歌を勉強する上で大切な所などがありましたら教えてください🙇‍♀️

四 次の短歌を読んで、あとの11・②の問いに答えなさい。 A限りなく疲れたる眼にながめけり我がつまさきのなでしこの花 かたやまひろこ 片山広子 B親のかほけさやうやくに見いでたる瞳はいまだ水のごとしも みかじまよしこ 三ヶ島葭子 C睫毛より涙したたる両眼を映画にて見にきその大写し きたはらはくしゅう 北原白秋 はつなつ D梅雨さりぬまづ (注1) はなだ草初夏の瞳をあげてよろこびを云ふ よさのあきこ 与謝野晶子 なんぷう E 夏はきぬ (注2) 相模の海の南風にわが瞳燃ゆわが心燃ゆ (注1) はなだ草=ツユクサのこと。 夏に青い花を咲かせる草花。 (注2) 相模の海=神奈川県西部にある相模湾。 054 よしい いさむ 吉井勇 初句のあとに意味やリズムの上で最も大きな区切りがあり、対句 を用いている短歌をA~Eの中から一つ選び、その符号を書きなさ い。 (②) 生徒たちがA~Eの短歌について話し合っている。これを読んで、 あとの ~③の問いに答えなさい。 0さん 「眼」や「瞳」 を詠み込んだ短歌ばかりだね。 Pさん この中で の歌だけ、実際の「眼」や「瞳」を歌 っておらず、 b の比喩として用いているね。 Cの歌の d」という表現は、どういう意味 だろう? Rさん 明確な意思や感情がまだ読み取れない様子を表してい ると思う。 Sさん なるほど。私は 」の歌の ■」と同じ状態を 表しているのかと思っていたけれど、Rさんの解釈のほ うが良さそうだね。 aに入る短歌をA~Eの中から一つ選び、その符号を書き なさい。また bに入る適当な言葉を一字で考えて書きなさい。 に入る短歌をA~Eの中から一つ選び、その符号を書き なさい。また dに入る最も適当な言葉を、その短歌の中から 五字で抜き出して書きなさい。 に入る短歌をA~Eの中から一つ選び、その符号を書き なさい。またFに入る最も適当な言葉を、その短歌の中から 五字で抜き出して書きなさい。。 a (D センを祀る。

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現代文 高校生

至急お願いしますレポートの問題が分からないので教えてください🙏 わかるところからでもいいので教えてください この単元ですお願いします🙏🙇‍♀️ ・スキマが育む社会の緑と生命の繋がり ・無彩の色 至急お願いしますレポートの問題が分からないので教えてください🙏 わかるところか... 続きを読む

① 『スキマが育む都市の緑と生命のつながり』 7に「都市部に暮らす私たちにとっては、 スキ マの植物こそが、 都市部の緑やそれを取り巻く 生態系の、本質的部分なのだ」 とあるが,どの ような点が都市部の生き物において 「本質的」 と筆者は述べているのか, 答えなさい。 ② スキマが育む都市の緑と生命のつながり』の 「都市部の緑の在り方」 について,筆者はどう 考えているかが、 最後の段落にまとめられてい る。「完全管理型」 「生態系」「都市計画」と いう言葉を使って、 最後の段落を120字以内で 要約しなさい。 ③ 『無彩の色』に「特別な意味を持たず、特別 な感情にも結び付く必要がない場所では、グレ 一のほうがよい」 とあるが,それはなぜか, 答 えなさい。 ④ 『無彩の色』 に 「ネズミ色の服を着た人が、 煤竹色の小さな部屋で、 灰色の茶碗を見つめて いる」 とあるが, 筆者はこの表現でどんなこと を伝えようとしているか。 「明暗の変化」 「最 高の美」 という言葉を使って答えなさい。

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