第9章◆変化
目標時間4分
学生のころにバイト先で極めて厳しく注意されたおかげで、社会に出ても電話に臆することはなかった。そこは社長
と社員ひとりの小さな広告代理店で、お得意様と出入り業者さんとでは、受け答えを違えないと社長のご機嫌が悪くなっ
た。同じように丁寧な調子で話しているのはまずいといわれ、敬語を微妙に使い分けなくてはならないのが、当時は難
しくて苦痛だったのを想い出す。
もっとも「社長さんいらっしゃいますか」と訊かれたら「出かけております」と答えるくらいは教わらなくても最初
からできたので、それはまだ常識の範囲内だった。
敬語の使い方に限らず、常識というものが揺らぎだしたのはいつ頃からなのだろうか。
たとえば固有名詞をあげても、通じる相手の範囲が昔に比べると格段に狭まっている。有名人も世代や業種によって
限定されて、誰もが知っている人はごく稀だし、その多くがすぐに忘れられてしまう。かくして「常識力」というおか
しな言葉が定着し、テレビではクイズ番組が大流行りで、非常識ぶりを噛ったり、逆に些末な知識を競いながら、常識
わら
れ つ
の境界線がどんどんと壊されてゆく。
一方で学校や、病院や、警察にまで「モンスター」と呼ばれる人たちが押し寄せて、それらの行為は常識はずれとい
う生ぬるい表現では追いつかない、深刻な心の病を感じさせたりもするのだった。
そもそも「常識」は明治期に誕生した訳語で、原語のコモンセンスを直訳すれば「共有感覚」ともなる。これまでの
人間にとって共有する最大の環境は自分たちが住む土地だから、国民の常識というものも成り立つた。しかし凄まじい
テクノロジーの進歩によって、今や同じ国に住んでいても、取り巻く環境は短いスパンで激変してしまう。だからこそ
常識というものも同世代や身近な関係者の間でしか通用しなくなったのだろう
(松井今朝子「「常識』のはなし」)
問 傍線部「常識というものが揺らぎだした」とあるが、その引き金となったのは、どのようなことだと筆者は考えて
いるか。最適な一三字の語句を問題文から抜き出しなさい(句読点等も字数に含む)。