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【至急】中学2年生文法 連体詞、副詞の問題です。 合っているかどうか答え合わせをして頂きたいです。お願いします🙇‍♀️

連体詞・副詞(P46~5) 東 習問 連体詞 次の各文の連体詞に線をつけなさい そこに小さなすみれが咲いた。 (2) (1) (10) (9) (8) (7) (4) ②その家には三人の女が住んでいた。 彼はあらゆる困難にうちかって、現在の地位を築いた。 あくる日は、とてもよい天気となった。 10 わが国には、昔からの習慣がたくさん残っている。 50 あの山のむこうに幸せがある。 彼の評判はたいしたものだ。 先生は、いわゆる歩く辞書と呼ばれている。 ⑨去る十月十一日のことでした。 かくご いかなる困難も乗り越える覚悟です。 2 連体詞の修飾 次の線部の連体詞が修飾している語に、 線をつけなさい。 き どの本を借りようか、まよっています。 とある村で起こった事件。 いろんな国の人々が、ここに集まっています。 だれにも言わないでね、このことは。 ⑤来る運動会に備えて、練習をつむ。 昨日は、とんだ災難にあいましたね。 M 明日のうちに、彼と例の仕事を済ませておこう。 あらゆる可能性を考えておくとよい。 ( (6) (5) (4) (3) (2) (1) (2)(1) (10) (9) (8) (7) (6) (5) イ ア 連体詞の識別 次の線部のうち、連体詞はどちらか。 ア ここにある絵は、すべて彼の作品だ。 その事件は、ある静かな朝に起こった。 かれについてのおかしなうわさを聞いた。 かれはとてもおおらかな性格の持ち主だ。 もっと大きい字を書くようにしなさい。 君には、もっと大きな夢を持ってほしい。 イ イア ア 登校の途中で、とんだ災難にあった。 イ 順調にとんだ飛行機は、無事目的地に着いた。 ア去る四月一日に入学式が行われた。 イ 悲しみのうちに故郷を去る。 あの、少しお聞きしたいのですが。 あの話はもうしないでください。 副詞 次の各文の副詞に線をつけなさい。 雷がゴロゴロ鳴り出した。 あんなことはめったにない。 あの人は、たくさん本を持っている。 昼から気温がどんどん上がる。 もっと高いところまで登りたい。 ぼくは決して承知しないぞ。 彼女の姿をぜんぜん見ない。 ⑧ 彼はゆっくりと食事をしている。 もし日本が鎖国をしていなかったら、と考える。 よほどしっかりやらないと、失敗するよ。 主に用言を 修飾する。 ア (7) () 練習問題⑦ 52

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理科 中学生

至急です!!!! 答えをお願いします🤲

24-3 3 次の問いに答えなさい。 (1) 次のうち、ねばりけが強いマグマがつくる火山の形やその火山の噴火のようについて説明し ア盛り上がった形の火山になり、その火山の噴火は激しく爆発的であることが多い。 ものとして最も適当なものはどれですか。1つ選び、記号で答えなさい。 イ盛り上がった形の火山になり、その火山の噴火は比較的おだやかであることが多い。 ウ 傾斜がゆるやかな形の火山になり、 その火山の噴火は激しく爆発的であることが多い。 エ傾斜がゆるやかな形の火山になり、その火山の噴火は比較的おだやかであることが多い。 A (2) 図1は, 2種類の火成岩A, B を観察し, スケッチし 図1番 たもので,火成岩A,Bは、安山岩, 花こう岩のいずれ かです。次の文は、火成岩 A, B のどちらが安山岩であ るかの判断について説明したものです。文中のにあ てはまるものをそれぞれ選び, 記号で答えなさい。 安山岩は、火成岩のうち,マグマが①ア 地表や地表付近で急に 冷えて固まってできた,② ア 火山岩 B イ 地下深くでゆっくり イ 深成岩である。 よって、 図1の火成石 A,Bのつ イ火成岩Bであると判断できる。 くりから、安山岩は ③ア 火成岩 A (3)ある地層から、図2のようなビカリアの化石が見つかりました。 こ れについて次の各問いに答えなさい。 ①図の化石からこの地層が堆積した年代を推定することができま す。このような地層が堆積した年代を推定することができる化石を 何化石といいますか。 名称を答えなさい。 図2 ② 次のうち、図の生物が最も栄えていた地質年代に、同じように栄えていた生物はどれですか。 1つ選び, 記号で答えなさい。 アフズリナ イアンモナイト ウサンヨウチュウ エナウマンゾウ (4) 次のうち,堆積岩である, れき岩, 砂岩, 泥岩の, 共通した特徴と区別の仕方について説明した ものとして最も適当なものはどれですか。 1つ選び、記号で答えなさい。 ア いずれも粒の形は丸みを帯びていて,それぞれの粒の色をもとに区別する。 イ いずれも粒の形は丸みを帯びていて,それぞれの粒の大きさをもとに区別する。 ウ いずれも粒の形は角ばっていて, それぞれの粒の色をもとに区別する。 エ いずれも粒の形は角ばっていて, それぞれの粒の大きさをもとに区別する。

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理科 中学生

4️⃣を教えて欲しいです🙇‍♀️

4 大地の変動 右の図は,日本付近の震源の分布を表したもので,日本の地下の浅 いところ(P)と, 太平洋側から日本海側にそって深くなるところ(Q) に震源が多く分布していることがわかる。 また、次の I, IIは,地震 が発生するしくみを説明したものである。 これについて、あとの問い に答えなさい。 が震源を日本海 示す。 太平洋 日本列島 0 深 さ 100 〔km〕 200 X I 地下浅くで起こった大地震によって地表に残った断層は,その後もくり返しずれることが多く, 再びずれ る可能性があるものを①といい, ①のずれによって,地震が発生する。 Ⅱ 日本列島がある陸の せんたん ぶ が太平洋側の海の② の移動によって変形し, その変形にたえられなくなる りゅうき と陸の② の先端部が隆起してもどる。 このとき,地震が発生する。 (1) 上の文の① ②にあてはまる語句を書け。 ① [ ] ②[ □ (2) IIのようなしくみで起こる地震の震源は,図のP,Qのどちらに多く分布しているか □(3) 震源が海底にある場合、海底の地形の急激な変化によって何が発生することがあるか。 がんばん みぞ [ □ (4) 図のXは、地球の表面をおおう岩盤の移動によってできた、溝のような地形である。 このような地形を何 というか。 [

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理科 中学生

2️⃣の(2)(5)(6)を教えて欲しいです🙇‍♀️

じしん 2 地震のゆれ ばね 0000000000) やもり もしきてき 図1は地震計のしくみを模式的に表したもので、 図2は、 ある地域で しんげん きょ 起こった地震のゆれを, 震源からの距離が異なる地点A~Cで観測した 結果を表したものである。 これについて, 次の問いに答えなさい。 □(1) 図1の地震計でゆれを記録できるのは,地面がゆれてもどの部分が ほとんどゆれないからか。 次のア~エから選び, 記号で答えよ。 ア 支柱 ばね ウ 記録用紙 エ おもりとペン 図 1 支柱 記録用紙 www [ウ] 図2 □(2) 図1のような地震計で調べることができる, 各地点の地震のゆれの 程度を10段階で表したものを何というか。 A [ ] B □(3) 図2で, 小さなゆれのあとから起こる大きなゆれを何というか。 [ 主要動 ] C □ (4) 図2のA~Cを, 震源からの距離が「小さい→大きい」 の順に並べよ。 [B→A→C] しょきび どうけいぞく じかん □(5) (4) のようになるのは、震源からの距離と初期微動継続時間にどのような関係があるからか。 簡単に書け。 [ ] □(6) 図2の地震では, P波の速さは7km/s, S波の速さは3.5km/sであった。 震源から140km離れた地点では, 初期微動は何秒間続くか。 秒間 1

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1.2枚目は問題文で3枚目が問いです。 答えはウなんですけど、なぜウになるか教えて欲しいです。 急ぎでお願いします!

狩猟採集民は、自然の造った動物や植物のおこぼれにあずかって生きている人々である。自然を意のままに制 御するとか、征服しようとかの考えは最初から考慮の外にある。自然は圧倒的に強く、畏怖する以外に仕方のな はな い対象である。人間より圧倒的に強く、畏怖する対象を神と呼ぶならば、自然物にはすべて神が宿っている。従 ってアニミズムは必然的に多神教的になる。 狩猟採集民が、自然の意味づけをアニミズム的なやり方で行ったのは、けだし当然であろう。そこでは自我も また、自然の中の神々とつながっており、死後の自我の平安と永続性は、このような自然観の下で保証された。 もちろん、このような自然観は、個々人がそのつど考えたものではない。言語や自然観は、ある集団に人間が 生まれついた時から、すでに与えられたものとしてある。すなわち、文化と伝統である。強固な文化と伝統の下 では、人はわざわざ、自己とは何かなどと考える必要はない。 文化と伝統に従うのは、心安らかなことであり、人々はこの中で成長し、老い、心安らかに死んでゆく。 ②よ ほどのことがない限り、これを引っくり返すのは難しい。 現代人の自然観は科学技術文明に支配されている。科学技術の中心思想はコントロールである。人々はこの思 想を忠実に生きている。しかし不幸にもこの思想は、死後の自我の平穏も存在も保証しないので、人々は刹那的 に生きざるを得ないのかも知れない。私がいくら「科学は錯覚である」(私は一九九三年に宝島社から同名の本 を出版した)と言っても、さしあたってどうしようもないのである。 何が人々の自然観を変えるのか。様々な要因を述べることができるだろうし、ある場合には無根拠に変わるの かも知れない。しかし、③技術の発明が少なくとも大きなきっかけになることはまちがいなさそうである。 狩猟採集民に起こった最初の重要な技術は、採集物の貯蔵技術である。 貯蔵技術は定住をうながす。大量の貯 蔵物を携帯して移動することは困難だからである。ひとたび定住すれば、食糧ばかりでなく、それ以外の財狩 猟道具、衣服、装飾具)を保持することも容易になるため、持つ者と持たざる者の格差が発生する。 定住は不平 等を産み出すのである。たくさんの貯蔵食糧と財を所有すれば、当然これらを管理する必要が生ずる。 ここに、 コントロールという思考が芽生える。 貯蔵技術の次に人間が発明したのは農耕技術である。農耕は自然との変革管理なしには行えない。 野原や森林 を切り拓いて、田や畑にする。田畑は放っておくと、原野に戻ろうとするから手入れをしなければならない。自 然のコントロールという思想は、ここに確かなものとなる。しかし、自然は簡単にコントロールできるものでは ない。洪水、ひでり、大地震。 これらは現在でも手に負えない。コントロールしたいが、コントロールできない 自然。農耕民は、自然をコントロールしたいという願望と、コントロール不能な自然とのギャップにはさまれ、 ④非定住狩猟採集民とは少し違った自然観をもつようになる。 定住・農耕は自然の上に立つ神の出現と関係があるように思う。関係があるというのは、もちろん、因果関係 があるという意味ではない。 ⑤定住・農耕は、自然の上に立つ神という考えを受け入れやすい精神状態を作った のではないかということである。 アニミズム的な考えでは、自然はそれ自体が神々であった。一方、自然の上に立つ神は、自然を創造し、自然 を制御する。 ⑥このような神は、自然に対する人々のコントロール願望の反映なのではないだろうか。自分たち が制御できない自然を神に託して、神を崇拝することで、自然を間接的にコントロールしたい。 アニミズムにはおそらく真理という観念はない。多数の神々すなわち自然は、自分勝手に好きなことをして、 人間を楽しませたり、困らせたり、殺したりする。人間もまた神々のネットワークの一部であり、死ねば神々と 同化する。 それに対し自然の上に立つ神では、神の行いと考えが自然現象を決定するわけだから、すなわち、これが真理

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定期考査の直しで、答えはイなんですけど、なぜいいになるかわかりますか? 急いでます。本当にお願いします

狩猟採集民は、自然の造った動物や植物のおこぼれにあずかって生きている人々である。自然を意のままに制 はな 御するとか、征服しようとかの考えは最初から考慮の外にある。自然は圧倒的に強く、畏怖する以外に仕方のな い対象である。人間より圧倒的に強く、畏怖する対象を神と呼ぶならば、自然物にはすべて神が宿っている。従 ってアニミズムは必然的に多神教的になる。 狩猟採集民が、自然の意味づけをアニミズム的なやり方で行ったのは、けだし当然であろう。 そこでは自我も また、自然の中の神々とつながっており、死後の自我の平安と永続性は、このような自然観の下で保証された。 もちろん、このような自然観は、個々人がそのつど考えたものではない。言語や自然観は、ある集団に人間が 生まれついた時から、すでに与えられたものとしてある。すなわち、文化と伝統である。強固な文化と伝統の下 では、人はわざわざ、自己とは何かなどと考える必要はない。 文化と伝統に従うのは、心安らかなことであり、人々はこの中で成長し、老い、心安らかに死んでゆく。 ②よ ほどのことがない限り、これを引っくり返すのは難しい。 現代人の自然観は科学技術文明に支配されている。科学技術の中心思想はコントロールである。人々はこの思 想を忠実に生きている。しかし不幸にもこの思想は、死後の自我の平穏も存在も保証しないので、人々は刹那的 に生きざるを得ないのかも知れない。私がいくら「科学は錯覚である」(私は一九九三年に宝島社から同名の本 を出版した)と言っても、さしあたってどうしようもないのである。 何が人々の自然観を変えるのか。 様々な要因を述べることができるだろうし、ある場合には無根拠に変わるの かも知れない。しかし、③技術の発明が少なくとも大きなきっかけになることはまちがいなさそうである。 狩猟採集民に起こった最初の重要な技術は、採集物の貯蔵技術である。貯蔵技術は定住をうながす。 大量の貯 蔵物を携帯して移動することは困難だからである。ひとたび定住すれば、食糧ばかりでなく、それ以外の財(狩 猟道具、衣服、装飾具)を保持することも容易になるため、持つ者と持たざる者の格差が発生する。 定住は不平 等を産み出すのである。たくさんの貯蔵食糧と財を所有すれば、当然これらを管理する必要が生ずる。ここに、 コントロールという思考が芽生える。 貯蔵技術の次に人間が発明したのは農耕技術である。農耕は自然との変革管理なしには行えない。 野原や森林 を切り拓いて、田や畑にする。田畑は放っておくと、原野に戻ろうとするから手入れをしなければならない。自 然のコントロールという思想は、ここに確かなものとなる。しかし、自然は簡単にコントロールできるものでは ない。洪水、ひでり、大地震。 これらは現在でも手に負えない。コントロールしたいが、コントロールできない 自然。農耕民は、自然をコントロールしたいという願望と、コントロール不能な自然とのギャップにはさまれ、 ⑨非定住狩猟採集民とは少し違った自然観をもつようになる。 定住・農耕は自然の上に立つ神の出現と関係があるように思う。関係があるというのは、もちろん、因果関係 があるという意味ではない。⑤定住・農耕は、自然の上に立つ神という考えを受け入れやすい精神状態を作った のではないかということである。 アニミズム的な考えでは、自然はそれ自体が神々であった。一方、自然の上に立つ神は、自然を創造し、自然 を制御する。 ⑥このような神は、自然に対する人々のコントロール願望の反映なのではないだろうか。自分たち が制御できない自然を神に託して、神を崇拝することで、自然を間接的にコントロールしたい。 アニミズムにはおそらく真理という観念はない。多数の神々すなわち自然は、自分勝手に好きなことをして、 同化する。 人間を楽しませたり、困らせたり、殺したりする。 人間もまた神々のネットワークの一部であり、死ねば神々と それに対し自然の上に立つ神では、神の行いと考えが自然現象を決定するわけだから、すなわち、これが真理

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