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現代文 高校生

論理国語「擬似群衆の時代」に関する質問です。 文中の表現でわからない部分があるので、説明して頂きたいです。 「ひと頃透明性の高い建築」 「建築そのものを消し去り、流動する映像体としての建築物として存在する」 「ピクチャープラネット」 どなたか説明をお願いいたします...!!!

204 ■擬似群衆の時代 ① 街角で見かける大型スクリーン、いわゆる街頭ビジョンが新宿駅東口に現れたのは、 一九八〇年代の初めだった。ビルの壁面に映し出される映像は、当初白熱電球によるもの だったが、それでも東口駅前に群衆が絶えなかったのは、万博などの催し以外で本格的に 設置された最初の例のひとつだったからだろう。巨大白黒テレビという趣のスクリーンを、 すぐにアートとして取り入れたのがビデオアーティストのビル・ヴィオラだったことはよ く知られている。 4 それから三十年近く経過した現在、私たちの都市にはさらに大型のスクリーンが氾濫す ることになった。例えばマンハッタンのタイムズスクエア周辺のビルは、その壁面のほと んどがスクリーンと化している。そこではケーブルテレビ局が建物全体を覆う曲面スク リーンに四六時中ニュースを流しており、広場の反対側では同じように広告が流されてい みなと ちひろ 港千尋 5 10 参照 と。 tan 現代社会を読み解くため に6→400ページ 新宿駅東口 東京都新宿 区のターミナル駅の東側 出口。 2万博 万国博覧会のこ 3 ビル・ヴィオラ Bill Viola 一九五一年~。ニュー ヨークの生まれ。 4マンハッタン Manhat- アメリカ合衆国、 ニューヨーク市の中心を なす区の一つ。 これだけの大きさになると建物に画面が取り付けられているというより、画面の一部 が建物になっていると言ったほうが近いかもしれない。 こんにち 建築物が映像装置と一体化する現状は、おそらく今日の建築の方向性と矛盾するもので はないだろう。設計段階ですでにコンピューター・グラフィックスとして映像化される建 築は、紙に描かれていた時代とは大きく異なる様相をしている。ひと頃透明性の高い建築 が流行したのもつかの間、複雑な構造計算が可能な高速演算装置のおかげで、新しい建築 はますます映像のような自由度をもち、私たちを驚かせる。 そこでは二次元と三次元が相 互に浸透し合い、ある場合には建物そのものを消し去り、流動する映像体としての構築物 擬似群衆の時代 20 タイムズスクエアの夜景 5 5高速演算装置 コンピューターのこと。 問① ここでいう「二次元」 「三次元」とはそれぞれ 何か。

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物理 高校生

なぜこれは電位が急に足し算をし出すんですか? 意味がわかりません。位置エネルギーなら2dの点だけでいいじゃないですか。何やってんですかこれって。 図で教えてくれると助かります。

09316 T〔N〕と 。 り、 7 320 だけ離 ニ運ぶ →B /m 低いから 1773年にキャヴェンディッシュが発見していた。 電気力線と等電位線 物理 例題 69 の点電荷がある。 クーロンの法則の比例定数をko とし,重力の影響は考えない。 真空中で, x軸上の原点に電気量4gの正の点電荷, x=dの位置に電気量4の正 (1) 軸を含む平面内の電気力線の様子を表す図として最も適当なものを下の① ~④の中から選べ。 ただし, 図中の左の黒点は、軸の原点、右の黒点はx=dの 位置を示す。 なお, 図では電気力線の向きを表す矢印は省略してある。また, 等 ■位線を表す図として最も適当なものを, ①~④の中から選べ。 Q (2) x軸上で電界が0になる点はどこか。 0- xxx 1-X 1-43 3 質量(m,正の電気量 Qをもつ荷電粒子をx軸上のæ=2dの点に静かに置いた。 の電荷がx軸上の無限遠点に行ったときの速さを求めよ。 ① センサー 101 電気力線 ①接線が電界の方向 ②密→電界が強い 疎→電界が弱い ③正電荷(無限遠) から 負電荷 (無限遠) ヘ ④等電位面と直交 ⑤ Qから出る電気力線の 本数N=4kQ N ⑥E= andal S (SE に垂直な面積) 等電位線 地図の等高線に対応 正電荷→山の頂上 負電荷→海底の谷底 りになる点あいる センサー102 センサー 103 真空中の荷電粒子の運動 ~mv²+qV=- 2 (重力を考えない場合) Furk 解答 (1) この場合、電気力線は正電荷から出て無限港に行く。 *********** ------- 本数は電気量に比例する。 答えは④ 実際は三次元なので,この平面内の本数が電気量に比例すると は限らない。 等電位線は地図の等高線に対応する。 電気量の絶対値が大き いほど等電位線は密になる。 答えは ② (2) 世界の強さは+1Cの電荷が受ける力である。電界がOK なる点の座標をx(0<x<d) とすると、クーロンの法則よ り ko v=kx²² 4g×1 2² = ko g×1 (d-x)² これより (3-2d) (x-2d) = 0 V=ko エネルギー保存 mx02- 4q 9 + ko (2d-d) 2d ▶309 316 x=2dの点では電界の向きが同じなので不適。 ( 3 無限遠点を電位の基準とすると, x=2dの点の電位Vは, 3koq ....... (1) d +|QV|=| ①②より, v= GK Fr Bxx cd) mu²+Qx0 6koqQ md 2 ゆえに, x= d 3 物理 基礎 物理 24 電界と電位 197

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物理 高校生

【電界と電位】 +をどこにおいてもどっちも反発してどこ置いても0にならないと思うんですけど、意味がわかりません。 YouTubeとか色んな問題見るとどっちかが−なので、引力によって消えるのがどこかわかるんですけど、プラスで考えたら無理くないですか

電気力線と等電位線 T ・軸上の原点に電気量4gの正の点霊荷 エ=dの位置に気晃4の正 の点電荷がある。クーロンの法則の中 300 40 . 重力の影響に考えたい。 (1) z軸を含む平面内の電気力線の様子を表す図として最も適当なものを,下の① 例題69 真空中で, T ~④の中から選べ。 ただし, 図中の左の黒点は軸の原点 右の黒点はx=dの 電線を表す図として最も適当なものを ① ~ ④ の中から選べ。 OPLE 質量,正の電気量Qをもつ荷電粒子をx軸上のx=2dの点に静かに置いた。 人とd-xになる この電荷がx軸上の無限遠点に行ったときの速さ”を求めよ。 位置を示す。 なお, 図では電気力線の向きを表す矢印は省略してある。また、等 x軸上で電界が0になる点はどこか。 0- センサー 101 電気力線 ①接線が電界の方向 ②密→電界が強い 疎→電界が弱い ③正電荷(無限遠) から 負電荷 (無限遠) へ ④等電位面と直交 ⑤ Qから出る電気力線の 本数N=4kQ N ⑥E=- S (SはEに垂直な面積) りになる点をい 102 等電位線 地図の等高線に対応 正電荷→山の頂上 負電荷→海底の谷底 ●センサー103 真空中の荷電粒子の運動 ·mv²+aV=-F 解答 (1) この場合、 電気力線は正電荷から出て無限遠に行く。 本数は電気量に比例する。 答えは④4 ---O 4g×1 注 実際は三次元なので、 この平面内の本数が電気量に比例すると は限らない。 等電位線は地図の等高線に対応する。 電気量の絶対値が大き いほど等電位線は密になる。 答えは ② @k (2) 電界の強さは+1Cの電荷が受ける力である。 電界が0 なる点の座標をx(0<x<d) とすると、クーロンの法則よ り. ko g×1 (d-x)² これより (3-2d) (x-2d) = 0 = ko Aq 9 +ko 2d (2d-d) エネルギー保存の法則より, mx0°+QV= V = ko 注x=2dの点では電界の向きが同じなので不適。 (3) 無限遠点を電位の基準とすると, x=2dの点の電位Vは, 3koq (√+V) d ①②より, v= Asu 2 mv² + Qx0 物理 GURES 6kgQ md 2 ゆえに, x= d 3 20 24

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現代文 高校生

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DELUC 四 次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。(B) 見えない人が「見て」いる空間と、見える人が目でとらえている空間。それがどのように違うのかは、一緒に時間を過ごす中で、ふとした 瞬間に明らかになるものです。 たとえば、 *注木下路徳さんと一緒に歩いているとき。その日、私と木下さんは私の勤務先である東京工業大学大岡山キャンパスの私の研 究室でインタビューを行うことになっていました。 私と木下さんはまず大岡山駅の改札で待ち合わせて、交差点をわたってすぐの大学正門を抜け、私の研究室がある西9号館に向かって歩き はじめました。その途中、一五メートルほどの緩やかな坂道を下っていたときです。木下さんが言いました。 「大岡山はやっぱり山で、いま その斜面をおりているんですね」。 私はそれを聞いて、かなりびっくりしてしまいました。 ①なぜなら木下さんが、そこを「山の斜面」だと言ったからです。毎日のようにそ こを行き来していましたが、私にとってはそれはただの「坂道」でしかありませんでした。 つまり私にとってそれは、大岡山駅という「出発点」と、西9号館という「目的地」をつなぐ道順の一部でしかなく、曲がってしまえばも り忘れてしまうような、空間的にも意味的にも他の空間や道から分節化された「部分」でしかなかった。それに対して木下さんが口にしたの は、もっと俯瞰(ふかん)的で空間全体をとらえるイメージでした。 確かに言われてみれば、木下さんの言う通り、大岡山の南半分は駅の改札を「頂上」とするお椀(わん)をふせたような地形をしており、西 9号館はその「ふもと」に位置しています。その頂上からふもとに向かう斜面を、私たちは下っていました。 けれども、見える人にとって、そのような俯瞰的で三次元的なイメージを持つことはきわめて難しいことです。坂道の両側には、サークル 勧誘の立て看板が立ち並んでいます。 学校だから、知った顔とすれ違うかもしれません。前方には混雑した学食の入り口が見えます。目に飛 び込んでくるさまざまな情報が、見える人の意識を奪っていくのです。あるいはそれらをすべてシャットアウトしてスマホの画面に視線を落 とすか。そこを通る通行人には、自分がどんな地形のどのあたりを歩いているかなんて、想像する余裕はありません。 そう、私たちはまさに「通行人」なのだとそのとき思いました。 「通るべき場所」として定められ、方向性を持つ「道」に、いわば②ベル り開放的なものに思えます。 トコンベアのように運ばれている存在。それに比べて、まるでスキーヤーのように広い平面の上に自分で線を引く木下さんのイメージは、よ 物理的には同じ場所に立っていたのだとしても、その場所に与える意味次第では全く異なる経験をしていることになる。それが、木下さん の一言が私に与えた驚きでした。人は、物理的な空間を歩きながら、実は脳内に作り上げたイメージの中を歩いている。私と木下さんは、同 じ坂を並んで下りながら、実は全く違う世界を歩いていたわけです。 ③彼らは「道」から自由だと言えるのかもしれません。 道は、人が進むべき方向を示します。もちろん視覚障害者だって、個人差はあると しても、音の反響や白杖(はくじょう) の感触を利用して道の幅や向きを把握しています。 しかし、目が道のずっと先まで一瞬にして見通すこ とができるのに対し、音や感触で把握できる範囲は限定されている。道から自由であるとは、予測が立ちにくいという意味では特殊な慎重さ

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